見出し画像

色々な戦いを繰り広げたウズベキスタン🇺🇿紀行〜前編〜【DAY53-57】|働きながら世界一周

カザフスタンに続く2国目のスタン系国。

美しいモスクがたくさんあって、
歴史もある素敵な国。
日本人の旅行先としても地味に人気。

ウズベキスタンの経済成長率は5.7%(2022年実績)だそうで、今回も街中で建設中のビルを何個も見た。

大きなマンションができるらしいinサマルカンド

ただ、まだまだカザフスタンやキルギスに比べると、色んなものが整備されておらず、混沌さを感じる国でもあった。

私にとってはであるが、今回のウズベキスタンの旅は体調や出会い、人、食べ物、気候など含め向き合うべき戦いが多かった。

もちろん良いこともあったけれど、なんだかモヤモヤした気持ちをずっと抱えながら旅をしていたような気もする。そんなウズベキスタン紀行。前編。


1.ビシュケクから国境を越え、タシケントへ

前回のブログでも出てきたビシュケクのバスセンター。

ここでウズベキスタンの首都であるタシケント行きのチケットを事前に買っておき、夕方19時発のバスに乗る。

バスのチケット売り場

チケットは2000ソム(3500円くらい)だった気がする。たしか。事前に調べていた値段よりずいぶんと高いなと思った印象。

ビシュケク最後の日は大雨で、雨の中バスに乗り込む。

途中から雨雲がなくなり綺麗な夕日が、、!

今回出国と入国の手続きが2回ある。カザフスタンを経由して、ウズベキスタンに入るため、1回目はキルギスの出国、カザフスタンへの入国、2回目はカザフスタンの出国、ウズベキスタンへの入国が必要になる。

1回目は21時ごろだっただろうか。
2回目は深夜2時ごろだった。どちらにせよバスでうとうとしかけたときに起こされて、眠い中手続きをするというような感じだった。

1回目の出国のとき、出国センターまで歩く

1回目のカザフスタン入国後、真っ暗な道中で検査を受けるバスを待つ中「1人旅ですか?」と話しかけてくる人がいた。

彼はキルギス人で、名前はバイといった。
とても明るく親切な人で、よくウズベキスタンに旅行するのだという。仕事は香水を作って売る仕事で、良い香りがする小さいパフュームの瓶を私にくれた。

ウズベキスタンに入国後、ガラっと空気や人の雰囲気が変わり、顔の濃い人が増えた。そしてなかなかバスが国境を越えて来ず、バスを待つ人たちや両替商、食べ物売りの人たち、タクシーのおじさんなど含め、そこら中に人が溢れていた。バイがカザフスタンの出国手続きはあんまりいけてないと言っていた。

ウズベキスタン入国後、国境付近にて

待っている間、お金を両替したり、パンを買ったりした。ウズベキスタンは小麦の産地らしく、見たことのないくらい大きいパンを売っている人たちがいた。両替もパンを買うのも全部バイが手伝ってくれた。
キルギスソムは、その国境沿いでは両替できず、ドルをウズベキスタンスムに替えた。

結局3時間待ってもバスは国境から出て来ず、バスの乗客たちは痺れを切らしてタクシーで移動する人たちもいた。

私も、そろそろ待ちきれなくなってきて、バイに相談したら、市内のバスで途中まで移動できるということで、それに乗ってバスで移動をすることにした。

バスに乗りながら、宗教の話を聞いた。キルギスもウズベキスタンも、ほとんど9割の人がイスラム教スンニ派の信者らしい。バイも昔は違ったけど、いまは信者だと言っていた。色んなしきたりがあって、お祈りもそうだし、左手でご飯を食べてはいけないとか、バイ自身はそれはとても大事なことだと思う時もあれば正直面倒になることもあると言っていた。

イスラム教の中でも細かく分ければ73個くらい宗派があるらしく(聞き間違いでなければ)、イラクや中東の方の宗派とはお互いに仲が悪いと言っていた。

バスから乗り継いで、地下鉄に乗った。
地下鉄の駅はとても豪華で綺麗だった。

地下鉄の駅に向かう

電車が暗いのと、少し乗っている人たちの目線が怖い気がしたけど、慣れたら大丈夫だった。

私が途中でカフェに寄って仕事をするというと、バイはそこまで送ってくれた。本当に優しくてありがたかった。またキルギスに行く時は連絡するよ!

親切にしてくれた彼

2.セクハラ男との出会い

基本的にこれまでホステルに泊まってきて、嫌な人というのはいなかったのだけれど、今回初めて嫌な人に出会った。

ホステルで挨拶をして最初はフレンドリーに話をしていたのだけれど、
段々仲良くなってくると、結婚の話をし始めて、僕は日本人と結婚したい、と言い始めた。
知らん。笑

そして、トルコ人の女性は嘘つきだとか(トルコに住んでるらしい)、日本人の女性はベッドが熱いとか、偏見でしかないような言葉をずっと喋っていた。
あと勝手に友達認定をされて、急に手を繋いでこようとしたり、とにかく感覚もわからなかったし気持ち悪かった。

そんなに仲良くないのにすぐに友達って言ってくる外国人の男性は信用できないと思う。ネパールのツアー会社のおじさんもそういえばそんな感じだった。

その後ホステルで顔を合わせても1度も話さなかったし目も合わせなかった。
話しかけられても全無視。あー本当に気持ち悪かった。

3.タシケントでの思い出

ウズベキスタンは、日差しが強く、キルギスと少し気候が違っていた。

暑すぎて、しばらく歩くと汗が止まらず、異常に喉が渇いた。

タシケントは、ウズベキスタンの首都。自然もあり、バレエ劇場などの文化的な施設もある素敵なところ。

今回、歴史ある市場であるチョルスー・バザールや、ピラフセンター、遊園地のような雰囲気のマジックシティ、博物館などを巡った。
日本人が建設に関わったと言われているナヴォイ劇場というところで、バレエを見たりもできるらしかったけど、体調不良で断念。

TASIKENTはあなたを好きだよ!って新しい
チョルスー・バザール、地元の人も多く買いに来る。積まれてる玉ねぎ
お肉からお惣菜、乳製品、野菜、卵までなんでも揃う
Magic City

移動手段は、地下鉄、もしくはタクシー。
朝や夜以降は歩くのが気持ちいいけど、真昼間に長時間歩くのは辛い。

地下鉄は、2000スム(日本円で25円)で乗ることができて、駅の窓口のおばちゃんにお金を渡すと、チケットをくれる仕組み。

駅は少し暗いけど、装飾や建築が素晴らしく、見ているだけで楽しかった(写真撮影は禁止)。

1個困ったのは、キルギスのソムが、ウズベキスタンでは両替できないこと。街中の銀行に行ったけど、ソムはどこに行っても多分両替できないよって言われた。キルギスを出国する時点で、国境付近にいる両替商に頼んで全部カザフスタンのテンゲに変えておけば良かった。。こうやって各国の余り札が増えていく。笑
あと、キルギスでもそうだったけど、ウズベキスタンだと何かとドルを持っていると便利だ。ホテルの支払いや両替などもドルだとスムーズにできることが多い。

タシケントで色々スポットを回ったけど、ホステルの近くに、コーヒー屋さんがあって、なんだかんだそこにいるのが1番居心地が良かったかな。

世界のどこを旅していても、やっぱりコーヒー屋さんみたいな居場所が欲しいと思ってしまう。仕事や考え事をゆっくりできる場所。

ウズベキスタンはコーヒー文化よりお茶文化らしく、あんまりカフェらしいカフェが多くなかったのも、気が合わなかった理由の一つかもしれない。

しまいには冷たい飲み物を飲みすぎたのか、
食べ物が合わなかったのか、ウズベキスタンについて1日目の夕方にしばらく胃痛で動けなくなってしまった。

ウズベキスタンの刺繍
博物館で見た絵

4.タシケントからサマルカンドへの豪華列車

ウズベキスタン内の都市は基本的に鉄道で移動が可能で、かつインターネットから予約することができる。

タシケントからサマルカンドへの移動をウズベキスタン3日目にしたかったのだけれど、列車が空いていなかったので、最初はバスで移動しようと思っていた。

それをホステルのスタッフの人に言ったら、「キャンセルする人とかもいるから再度見てみたら状況変わるよ」と言われて、私の代わりに見てくれて、予約までしてくれた。

金額は30万スム(日本円で言うと3700円)くらい。ウズベキスタンにしては高級な列車。14時過ぎに発車をして、18時ごろに着く予定だった。

これが結構な豪華列車で、内装が素敵。乗ってテンションが上がった。

王朝風のデザイン
座席に鏡がついている

今回同キャビンの人が、ウズベキスタンのお医者さんだった。

それで日本とウズベキスタンの給与水準の話、サッカーの話、日本とウズベキスタンと医療制度の話、お互いの家族の話、宗教の話などをした。

小さいころ、日本のおしんがテレビ放送されていて、よく見ていたらしい(笑)

日本の教師は薄給で長時間労働でみんな大変だ、みたいな話をしたら、ウズベキスタンでも同じ問題があるとのこと。ウズベキスタンの先生は、日本円にすると大体月給4万5000円くらいなんだって。お医者さんになると、10万くらいになるらしいけど。
それでも日本に比べると、給与水準はまだまだ低いなと感じた。

彼もムスリムで、毎日お祈りをしていると言っていた。宗教同士の衝突について、どう思うか?という質問をしてみたところ、彼は「衝突はよくないと思うし、お互いの宗教を尊重しあうべきだ」と言っていた。

イスラム教について、これまであんまり触れる機会がなかったけれど、同じ宗教であっても色んな考え方の人がいるんだと思ったし、もう少し宗教とは?という問いに対して考えてみたいと思った(と思ってAmazonで本をポチりした)。

サマルカンドについて、お医者さんとは、色々話できて楽しかったよ、と言って握手してお別れ。彼はブハラに住んでいるらしく、ブハラまで行くようだった。

5.美しき青い遺跡、サマルカンド観光

サマルカンド駅について、今回のホテルまで市バスで向かった。

タシケントのホステルで嫌な思い出ができた私は、今回はゆっくりしようと個室の部屋のホテルを久しぶりに予約しておいた。プール付きの綺麗ないホテル。

何も気にせず荷物を散らかせたりゆっくりできるって最高。ホステルはホステルの良さがあるし、使いたい用途に合わせて使い分ければいいと思う。

あと暑いと思ったらプールで泳げるのも良かった。

サマルカンドは、タシケントに比べて道が舗装されていなかったりするところも多く、油断していると道に穴が空いていたり、大きな砂利につまづいたりするから要注意だ。ホテルからちょっと散歩するのも歩くのに一苦労。

道を歩いていると急に現れるじゃり

それでもこれから街を作っていくんだろうなという雰囲気を感じ取れた。

1日観光をしたのだけれど、最初レギスタン広場にタクシーで行って、そのあとグーリ・アミール廟まで歩きで移動、カフェ休憩し、その後またタクシーでシャーヒ・ズィンダ廟群に行き、ホテルに戻るという流れ。青色の種類がこんなにあるのか、と思うくらい美しかった。

レギスタン広場。3つのマドラサに囲われるようなつくり
※マドラサとは教育施設のこと
ティリャーコリーマドラサの天井
グーリ・アミール廟。中にティムール朝の王だったティムールや息子たちが眠る

グーリ・アミール廟に行く際に、行く格好を間違えてしまい、長袖長丈のワンピースを買った。

これが思った以上に涼しくて快適でヘビロテしている。サマルカンドも、とにかく暑すぎて、やっぱりちょっと歩くだけでも熱中症になりそうだった。普段あんまり水を飲まなくても大丈夫だけれど、ウズベキスタン滞在時は2リットル以上は飲んでいたと思う。

ウズベキスタンのレストランに大体あるモヒート
シャーヒ・ズィンダ廟群
モスクの天井。このデザインが好きだった

6.ウズベキスタンのご飯事情

ウズベキスタンで、ピラフや野菜サラダ、
パン、スープなどを食べたけど、何が美味しかったって、サラダで出てくるトマトと、朝食で食べたフルーツが1番美味しかった。

ピラフセンターのピラフ。ピラフもパンももちろんおいしかった!

ウズベキスタンでサラダを頼むと、必ずと言っても良いくらい、トマトときゅうりのセットのようなものが出てくる。

このトマトが旨味が強くて、味が濃くて、美味しい。これは新しい発見だった。暑く乾燥した地域だから、水が絞られて美味しいトマトができるのだろうか。

フルーツは、小さい桃やスイカなど、何を食べても美味しい。

タシケントのホステルの朝食の一部

もちろんピラフもおいしかった。
地域によって、油の多さが違ったりするらしい。ただ美味しいのだけど、結構ボリュームがあるのとお肉もしっかりしているので、1回食べるともういいってなるかもしれない(笑)

あとはサモサやピロシキのようなお肉が入ったパンも多い。

というか基本お肉で、味も大体似たようなものが多いので、さすがにシーフードが食べたくなってきて、あー日本のお寿司とカレーが食べたいなーって思った。贅沢なのかもしれないけど。

タシケントは比較的飲食店も多くて、特に中心部にはなんでもある。対してサマルカンドは、私の泊まったホテルの近くは少し歩かないと飲食店がなく、サマルカンド初日はスーパーで冷たいパンとチーズを買って食べるというひもじい思いをした。

日本のスーパーやコンビニみたいになんでもあるわけじゃない。小麦製品、ハム、チーズ、お菓子はたくさんあるっていう感じ。

あとちょっとおしゃれなレストランでカツレツも食べたり、ホテルの近くでホットドッグを食べたりもした。

7.列車でサマルカンドからブハラへ

タシケント3日間、サマルカンド2日間を経て、電車でブハラに向かう。

サマルカンドの駅

ブハラはウズベキスタンの古都で、これまでの都市とはまた違った雰囲気。

電車は18時過ぎに出て、22時ごろにブハラに着く列車だったけど、ウズベキスタンの若い女子4人組と同じ席だった。
1人英語の先生をしているという子が積極的に話しかけてくれて、少し話をしたけど、私自身疲れてたのもあってすぐに寝てしまった。

本当にウズベキスタンの人たちはフレンドリーで良い人たちが多いのだけど、たまに1人になりたい時にはシャットダウンしたくなってしまう。

出会いを楽しむのも旅の醍醐味と思いつつ、難しい自分の中での戦い。

温かい人たちに囲まれると、やっぱり自分がすごい冷たく自己中な人間のように感じる。でもそれで良いとも思ったりする。人間関係にも人によって上限が違う。

そんなこんなで、後編はブハラ、ヌクス、そして国境を超えてカスピ海の沿岸へ、、!

ブハラ行きの電車の中

まだまだ旅は続きます。


この記事が参加している募集

「働きながら世界一周」と銘打ってはいるものの、旅の刺激からインプットを得て、書くお仕事をもっと増やせたらなと思っています。 少しでも良いな、今後も読みたいな、と思ったらサポートいただけると励みになります!!!