「卒業」なんて、ほんとはしてほしくないんだ
ここ最近、アイドル界での「卒業」が相次いでいる気がする。
先日僕が触れた生田絵梨花さんしかり、昨年から乃木坂の1期生、2期生が次々と卒業していった。
今や3期生と4期生が活躍の場を広げ、5期生も加入する。本格的に世代交代が始まっているのか、と実感してしまう。
欅坂…もとい櫻坂もそうだ。
改名前からグループを支えてきた1期生。色々と苦難や困難はあっただろうが、それでもグループの顔として、2期生を先導していく姿は頼もしかった。
2期生の勢いは半端じゃない。松田里奈ちゃん可愛い(個人的見解)。
つい先日の原田葵さん卒業で、しばらくメンタルをやられてしまったのが記憶に新しい(個人的事情)。
原田 葵公式ブログ | 櫻坂46公式サイト (sakurazaka46.com)
物事には必ず始まりがあるし、終わりがある。
頭では理解しているつもりでも、「終わり」は本当に怖いし、悲しい。
これは別にアイドルの卒業だけに限った話ではないのだけど。あえて「アイドルの卒業」のみに目を向けるとしたら、僕はまた違った「怖さ」があると思う。
ワンピースという漫画(なんだこの書き方)に、チョッパーというキャラクターがいるのは知っているだろうか。
彼は元々、仲間のトナカイからいじめられている所をDr.ヒルルクという人物に救われ、その姿に憧れ医者を目指すことになる。
そのヒルルクは、とある事情により死を迎えることになるのだが、死の直前にこんなセリフを残す。
「人に忘れられた時」
これこそが「死」である、と。
裏を返せば、仮にある人が肉体的な死を迎えたとしても、その人のことを忘れなければ、いつまでも「生き続ける」ということにはなる。
何故この話をしたのかというと、「アイドルグループからの卒業」ということは、その子もいつか「忘れられてしまう」ということになる。
それが、僕にとって1番怖いことで、嫌なことなのだ。
新しい風を吹かせるというのは大事なことだ。ステレオタイプなやり方では何も変わらない。アイドルだって年を取るし、若い世代がどんどん活躍していくべきなのだ。
そんなこと、誰かにいちいち指摘されなくてもわかっている。
わかっているからこそ、このどうしようもない気持ちをどうすればいいのかわからない。
乃木坂の1期生や2期生は、今のグループの雰囲気というか、方向性というか、その礎を築いてくれた貢献者であることは疑いようがない。
そしてそれは櫻坂の1期生もしかり。
彼女たちも様々な困難を乗り越え、それでもアイドル界を必死に生き抜いてきた。
だからこそ、彼女たちが卒業するときは心苦しい。
これまでの苦労や、努力や、歩んできた道のりは「卒業」というたった2文字によって終着させられてしまう。
これから新しくグループを知る人たちは、そういった根っこの部分を知らないまま、今を時めく新世代の輝きだけに魅了されていくことになる。
怖いし、寂しい。
………
今までずっと応援してきた人はもちろん、これから新しくグループを知る人たちへ。
どうか彼女たちの存在を忘れないでほしい。
建物の建設には必ず基礎が必要なように、卒業していったメンバーもグループの礎であり、功績はずっと残り続ける。
グループの表に出てくることはなくとも、今まさに表で輝いているメンバーの土台として、彼女たちを後押ししているのだ。
「忘れない」ことこそが、真の意味でそのグループを「応援する」ということなのかもしれない。
…ちょっと言いすぎかな。
あと、「推しは推せるときに推せ」ってやつ。
やかましいわ。
ありがとうございました。