沈黙が愛なら
学校の図書室。
そこに行く生徒はごく僅かだ。せいぜい、試験前になれば多少混雑するくらいだろう。
だから、孤独を愛する僕は、休み時間になれば決まってそこにいた。
…友達がいないわけじゃない。あくまで1人が好きなんだ。あくまで。
読書に没頭したり、勉強をしたり、あるいは物思いに更けてみたり。最適かつ快適な環境だった。
…あいつが現れるまでは。
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チャイムが鳴り、いつも通り僕は図書室へ向かった。
ドアを開ければ、カウンターに控えている生徒の他には誰もいない、というのが常だった。
しかし、その日は先客がいた。
顔はよく見えなかったが、読書をしている女の子が1人、ぽつんと座っていた。
ちっ、と舌打ちをしたくなったが、公共の場所なのだからしょうがない。
僕はなるべく、彼女が視界に入らないような席に座った。
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翌日。
またいつものように図書室へ行くと、昨日と全く同じ席に、全く同じようにあいつはいた。
そいつはドアを開けたときにちらっ、とこちらを見たが、すぐに手元へ視線を落とした。
見たことのない顔だ。同級生ではないらしい。
その日は、僕の読みたかった本が入ったという情報を得ていたから、そいつに構わず僕はさっさと本棚に向かった。
「えっ…と。ここの棚のはずだけど…」
が、見つけることはできかった。
そうか、新着本だから別棚で展示されているはずだ、と思い確認したが
「…あれ?ないな…」
おかしいと思い、カウンターで暇そうにしている図書係に声をかけようとした時、たまたまさっきの子が読んでいる本のタイトルが目に入った。
それは、まさに僕が読みたかったものだった。
「…?」
思わず僕はその本を凝視してしまい、それに気づいたのかふと視線を上げたそいつと目が合ってしまった。
大人しそうな、端正な顔立ちだった。
が、そんなことはどうでもよく、僕は少しイラっとした。
(まさか先に取られていたとは…)
仕方なく、その日は別の本を読むことにした。もやもやした気分で、いつもより没頭できなかったが。
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また別の日。
心待ちにしていた、とあるシリーズの新作がついに入ったらしいと情報を得た僕は、昼休みが待ち遠しかった。
そこまで好きなら買えばいい、と思ったかもしれないが、生憎と高校生の僕にはそんな時間もお金もない。
月に1回発行される「図書室便り」を、一番真剣に読んでいるのは、間違いなく僕だろう。
意気揚々と図書室に向かい、ドアを開けると、もうすっかり見慣れた例のあいつが座っている。
1か月ほど経ち、あいつがいる風景にようやく慣れてきたところだったが、その日に限って、僕はその手元を真っ先に見てしまった。
見間違えるわけがない。僕が楽しみにしていた例の新作だ。
「な…」
またしても先を越されてしまい、思わず僕は声を漏らしてしまった。
それに気づいたそいつが、顔を上げた。
この図書室で毎日のように同じ空間にいるが、こうして顔を合わせることも稀で、ましてや会話をしたことなど一切ない。
というか、まだ僕は気に食わなかった。
自分だけの居場所を奪われたような気がしていた。
そして今や、自分だけのものと思っていた楽しみすら、目の前で奪われてしまった。
僕は初めて、そのまま回れ右をして、図書室を後にした。
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次の週も、またその次の週も、僕はなんだか図書室に行くのが怖かった。
行く度に相変わらずあいつはいるし、そして、たいてい僕が読もうと思った本を先に読んでいる。
とうとう僕は、図書室に行くのをやめてしまった。
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前期最初の定期試験を終え、放課後。
試験期間は図書室で勉強するのが常だったが、結局今回は一度も行っていない。どころか、気づけば1か月近く足を踏み入れていなかった。
ふと、一番好きな小説のタイトルを思い出した。
それが何故かはわからないが、気づけば、僕の足はかつて通い詰めたあの場所へ向かっていた。
「かつて」などと表現する程昔のことではないが、向かう道程に懐かしさすら感じる。
階段を下りて、右へ曲がれば、目当ての場所はすぐそこだ。
最後の1段を降りたとき、突然後ろから声が聞こえた。
「あ、あの…」
そこにいたのは、以前は毎日のように見かけていた、あの女の子だった。
「えっ…と。図書室でよく、お見かけしたなぁ、と思って…そうですよね?」
まさか僕の顔を覚えていて、こんな風に声をかけられるとは思ってもいなかった。
「そ…そうです。しばらく来てなかったけど」
「ああ…よかった…」
そう言うと彼女はほっと溜息をついて、少しだけ表情を緩めた。
以前は全く気にも留めていなかったが、改めて見ると美人な子だ。
「おれのこと、認識してたんだ。いつも真剣に読書してるから、気づかれてないと思ってたよ」
「いやいや…!さすがに毎日見かけてましたから。でも私、声かける勇気はなくって…」
僕からは恐らく「話しかけるな」オーラが満載だっただろうから、それは尚更だろう。
「あ、あと…ずっと聞きたかったんですけど…」
「ん?」
「その…私のこと、き、嫌いですか…?」
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「え…」
不思議なことに、以前はあんなに気に食わないと思っていたのに、今はそんな感情はこれっぽっちもなくなっていた。
…本人にも僕の態度は伝わっていたということか。
「…嫌いというか。最初の方は、なんでいるんだよ、とか思ってたのはあるね。それに…」
「…読みたい本も先に取られちゃって、とかですか…?」
「…!なんでそれを…」
「え、えと…何回か私の読んでる本を凝視してたことがあったなと…」
今考えれば、僕はなんて小さい男だったのだろう。こんなことで1人の人間を見定めていたのだ。自分で自分が恥ずかしい。
「…それはほんとに、申し訳ありません…」
「いえ…全然。気持ちはわかります。読みたい本を読もうと思ったら読めないの、すっごくもやもやしますよね…」
「それに!」
そう言うと彼女は、目をキラキラさせた。
「それだけ本が好きってことですよね!そうですよね!」
大人しいと勝手に思っていたのだが、こう接していると、意外とよく喋る子らしい。
「そ、そうですね…」
思わず敬語になってしまうくらい、僕は押されていた。
「本のことお話しできる相手、友達になかなかいないんです。前からずっと話しかけようと思ってたんですけど…タイミングないし、図書室だと声かけられないし!このタイミングで会えてよかったです!」
「あ、私、小坂菜緒って言います!1年2組です!よかったら仲良くしてください!」
急に距離を詰めてくると、さすがにドキッとしてしまう。
「あ…お、おれは2年の…」
「あっ!先輩だったんですね、失礼しました」
「い、いや。何も気にしてないよ。その…よろしくね。」
「では早速!」
そう言うと小坂は、急に僕の手を引くと、
「ほら!行きますよ!図書室!」
僕の孤独な図書室ライフは、もう二度と戻ってこないらしい。
…まぁ、楽しくなりそうだから、それでいいか。