酸っぱい自己嫌悪
トンネルを抜けると、昔と変わらない海岸線が視界に飛び込んできた。
道路沿いに車を止めて、外に出る。
ガードレールは潮風のせいか、あの頃よりも錆びついている気がした。
「ずいぶん長いこと来てなかったもんな…」
月日が経ったことを改めて実感して、なんとも言えない寂しさがこみ上げてくる。
向こうに見える町まであと少しだ。
_______________
「高校を出たら、東京の大学に行く」
当時付き合っていた彼女—河田陽菜から唐突に告げられた僕は、何も答えることができなかった。
都会とは程遠い、海沿いのこの町から東京に行くということは、しばらく会えなくなるということを意味する。
もやもやした気持ちのまま、僕は彼女に背を向けた。
「ごめん…ずっと言えなくて。でも…でも私…!」
後ろから聞こえてくる声を、僕は聞こえないふりをした。
_______________
高校を卒業した後、僕は逃げるようにこの町を出て、地元ではそこそこ名の知れた大学へ進学した。
陽菜からは、卒業後も何度かLINEが届いていた。
東京での生活のこと。大学のこと。最近始めたアルバイトのこと。
何か返信しようと、チャット欄に文字を書いては消して、書いては消してを繰り返し、結局適当に返事を返すだけになっていた。
「あの時はごめん」
たった一言、そう返せばいいだけのはずだったのに。
_______________
そのうち連絡はぱったりと止んだ。
僕も彼女のことを考えないようにしていた。
だが、今になって、あの頃の自分を省みて後悔の念が湧いてきたのだ。
君が見ていた夢を、素直に応援するべきだったのだ、と。
君と離れることが寂しくて、信じられなくて、賛成なんてできなかったあの時。
どれだけ彼女をがっかりさせただろう。
僕がするべきことは、僕自身が一番わかっていたはずなのに。
_______________
彼女にはもう何年も会っていない。
だけど、自分の夢を今でも追い続けているのだろう、となんとなく確信している。
あるいはもう、夢を叶えているのかもしれない。
多分、僕のことなどとうに忘れ、新しい出会いの中に思い出も消し去っているだろう。
新しい彼氏は、僕とは違って理解のある人であってほしい。
僕はただ、遠い空の下で幸せを祈るくらいでちょうどいい。
_______________
僕もやっと、叶えたい夢を見つけることができた。
その時初めて、「決心をする」ことの大切さ、そして勇気がわかったのだ。
だからこそわかる。
あの時僕が言うべきだったことを。
「わかった。ずっと待ってる」
今となっては手遅れだが。
「陽菜…ほんと…ごめんな…」
誰にも届かないその言葉は、潮風と共に海へと消えていった。
_______________
僕の青春時代を過ごした町は、あの頃と変わらずそこにあった。
自転車を押しながら帰る僕ら2人の光景が、今にもその場に見えそうだった。
さっき車で通った海岸線も、昔は何度も自転車で通っていたと思うと感慨深い。
そんな青春の思い出と、幼なすぎた過去の自分を思い返し、心がキュッとなるのを感じた。
と、ちょうど母から連絡が入った。
「今から最寄り駅に着くから迎えに来てくれない?車だったよね?」
仕方なく吸いかけのタバコをもみ消して、駅へと車を走らせる。
_______________
田舎の駅ということもあって、相も変わらず構内は閑散としていた。
都会のように「待ち合わせをしていてもなかなか合流できない」なんてことは絶対にない。高校時代は、僕らもよく待ち合わせに使っていた。
それはもちろん、陽菜との待ち合わせも例外ではない。
彼女のことはとっくに忘れたと思っていたはずなのに、帰ってきた途端これだ。女々しさに笑いすらこみあげてくる。
僕の唯一の後悔だからだろうか。
ちょっとした自己嫌悪感を味わいながら、改札の前でスマホを眺めていると、
「あ、あの…」
不意に前から女性の声がして、ちらっと顔を上げる。
「やっぱり…そうだ!」
迎えに来た母のことなど、もはやどうでもよかった。
この町に、僕はやっと帰ってくることができたのだ。