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いつでも微笑みを

1人が好き。

…1人が一番落ち着く。自分のペースで生きていけるから。

毎週金曜日、私は決まってお気に入りのカフェに行く。

そこでコーヒーを飲みながら、ぼーっと夕暮れを過ごしたり、課題に集中したり、お気に入りの音楽に没頭したりする。

私の一番好きな時間。

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「いらっしゃいませ~…」

このカフェでバイトを始めたのは1ヵ月前。ようやく仕事にも慣れてきた。

ただ、思っていた以上に…暇…

まあ、今どきの人はこんな小洒落たカフェには来ないか…と思っていると

カラン♪

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…大学生だろうか。少なくとも同じ歳位に見える女性が入ってきた。

「い、いらっしゃいませ。お1人様ですか?」

「あ、はい。あの窓際の席でもいいですか?」

「は、はい。かしこまりました」

ぎこちなく席へ案内すると、

「ふふ。新人さんですか?」

ふいに、そう話しかけられた。

「そ、そうです。やっと1ヵ月くらいです。よく来られるんですか?」

「ええ。毎週この時間に来てるんです」

そう答えながら微笑む顔が、僕の胸に印象深く刻まれた。

これが、僕と彼女の出会いだった。

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先週、新人さんに会った。

今日もいつも通りの時間に行くと、その新人さんがいた。

「あ、先週はどうも。同じ席、空いてますよ」

なかなか気が利く人みたいだ。

「ありがとうございます」

席に着き、いつものコーヒーを注文する。そして、外の風景を眺めながら、今日の出来事を反芻した。

(「…京子ってさー、気になる男の子とかいないの??」

「え…別に」

「え~そうなんだ~、彼氏とかいたら楽しいのに~」

「あはは…まあね…」)

…くだらない。

そう思ってはいても、大体は愛想笑いで切り抜ける。それが「愛想」だとバレていないかどうかは別として。

…おばあちゃんに言われた。

「京子の笑顔は、みんなを幸せにするねぇ」

だから私は、いつでも笑顔を心掛けている。

…どんなに辛いことがあっても、笑顔が幸せにしてくれるから。

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先週も、先々週も、もちろん今週も、彼女は同じ時間に来た。

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席で作業をしたり、何か考え事をしている様子に、つい目が留まってしまう。

…可愛い。

「あの、すいません」

「…あっ」

「私の顔、何かついてます?」

気づかないうちに、彼女は僕の立っているレジの前にいた。

「あ、いや…お会計ですね。失礼しました」

「ふふ。仕事中なんだからしっかりしてください」

…恥ずかしい姿を見せてしまった。

彼女が店を出た後、席の片づけをしに行くと

「…?これ、忘れ物…だよな?」

1冊のノートが椅子に置かれたままだった。

「今出たばっかだから…走れば追いつけるな」

僕はノートを手にして、急いで店を出た。

ものの数分で、見覚えのある後ろ姿に追いついた。

「あ…あの…!」

「え…店員さん?どうしたんですか?」

そういえば、僕の呼び名は「新人さん」からいつのまにか「店員さん」に変わっていた。

「あ…これ。わざわざありがとうございます。でも、来週も来るからその時でもよかったのに」

クスっ、と彼女が笑う。

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「あ…確かに…」

「でも、助かりました。それじゃ」

「あっ…と…」

そういえば、ノートに名前が書いてあった。

【齊藤 京子】

「さ、齊藤さん!」

「…?名前…あ、ノート?」

「また来週も!お待ちしてます!」

すっかり日も暮れ暗くなっていたが、彼女の驚いた大きな眼は確かに見えた。

「京子、でいいですよ!は~い!」

彼女の後ろ姿を見送り、僕は急いで店へ戻った。

「…可愛い顔してるけど、意外と声低いよな…」

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パソコンの画面に没頭していると、外はすっかり暗くなっていた。

「やば…終わるかな…」

課題に追われ、私は少し焦っていた。

カフェの営業時間も迫ってきているので、急いで片付けようとしていると、

「今日は一段と集中してますね~」

いつもの店員さんだ。私が来る金曜日にはいつもいるから、気づけば自然と顔なじみになっていた。

「あ、これ、サービスです。店長には内緒で」

…いつの間にこんなことを覚えたのか。

でも、気を使ってくれるのは嬉しい。

「…ありがとうございます」

笑顔を忘れずに。おばあちゃんの言葉は、私の心の支えだ。

…最近会えてないな。会いに行かなきゃ。

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今日は珍しく、京子さんはストロベリーシェイクを注文した。

「へへ…たまには気分変えようと思って」

「そういう日もありますよね。かしこまりました~」

かれこれバイトを始めて数ヶ月経った。すっかり僕はこの仕事にも慣れ、京子さんとも仲良くなった。

「お待たせしました~」

「お、ありがとうございます~」

さっそくグラスを手に取り、ストローに口をつけた。

美味しそうに飲む顔が幸せそうで、こっちまで笑顔になる。

「…?」

ピンクカフェ解禁

しばらく席を離れない僕を、彼女は不思議そうにちらっ、と見た。

その仕草に、僕は思わずドキッとした。

短い夏はもうすぐ終わる。秋が近づいてきた。

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……

…いつもの場所へ向かう足取りが、重い。

…信じたくない。

…おばあちゃんが亡くなったなんて。

命は果てるもの。もちろんそんなことはわかっている。

あまりにも急だった。

それでも私は、気づけばあのカフェの入り口に立っていた。なんという涙ぐましい習慣だろう。

「あ、今日はちょっと遅かったですね。席、すぐ案内します~」

いつもの店員さんが、いつものように明るく接客をしてくれる。

そうだ。私も。私の笑顔は、絶やしちゃいけないんだ。

…笑わなきゃ…

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いつものように京子さんを席に案内したが、様子がおかしい。

と、次の瞬間、京子さんの目からぽろぽろとしずくが溢れだした。

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「えっ…京子さん!?」

突然のことに、僕はひどく慌ててしまった。

笑顔の似合う京子さんの、見たことのない姿だった。

「ご…ごめん…なさい…」

ようやく捻り出したような京子さんの声は、今にも消えてしまいそうだった。

「おばあちゃん…おばあちゃんが…死ん…じゃって…」

「私…もう…どうしたらいいかわから…ない…」

「最後に…会いたかった…」

気の利いた言葉も言えず、僕はしばらく黙っていた。

人の命は儚い。失う悲しみは、残された人に重くのしかかるものだ。

ようやく僕は、口を開いた。

「…京子さん。こんなこと言うのは変かもしれませんが

…笑ってください。いつもみたいに」

「え…?」

「…とても悲しいと思います。今すぐ立ち直るなんて、できるわけないです。

…でも…その…おばあさんはずっと…京子さんの心の中で生き続けると思います…し、

だからこそ、京子さんが笑っているべきなんじゃないかな、って…

そしたら、おばあさんもきっと…嬉しいんじゃないかなって…」

「………」

京子さんが、ゆっくり顔を上げた。

「はは…すいません。なんか、そういう歌があったような気がして…」

急に僕は恥ずかしくなり、慌ててごまかした。

悲しみの真ん中にいる人に、こんな言葉が正しいのかはわからなかったが、それが僕の本心だった。

すると、京子さんはニコッと笑った。

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「…そっかぁ。ありがと、おばあちゃん」

「え?」

「ありがとうございます。やっぱり、笑顔がいちばんですよね!てことで、いつものコーヒーください!」

京子さんはそう言うと、さっきの涙が嘘のように明るい表情になった。

どこか、すっきりした雰囲気を感じる。

まるで、この秋の空のように。

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今日も、来てよかった。

来ていなかったら、私はずっと立ち直れなかったと思う。

やっぱり、私の一番好きな場所だ。

…前よりも、ずっとずっと好きな場所。

今度、あの店員さんをご飯に誘ってみよう。

晩秋の空を見上げながら、そんなことを考えた。そして、いつものコーヒーが来るのを、一段と心待ちにしていた。

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