ある冬の夜のはなし
その日のことはよく覚えている。今日のような寒い日だった。
たまたま見つけた自動販売機。1000円札を取り出す手すら震えるほどの寒さで、上手く手が動かない。
ようやく手にした缶コーヒーで暖を取る。
しんしんと雪が降る中、誰も歩いていない通りでコーヒーを飲みながら、
『今夜は今年一番の寒さになるでしょう』
とニュースで言っていたのをふと、思い出した。
_______________
自動販売機の反対側から人の気配を感じ、思わず僕は身を固くした。
その人も、僕と同じように寒さに震えながら、財布の小銭を取り出そうとしていた。
街灯の影であまり顔がよく見えないが、女の人であることは間違いない。
と、その時──────────
シャラン─────と音がしそうなくらい、綺麗な長い髪が揺れたかと思うと、白い雪の上に、帽子と100円玉が落ちた。
駆け寄った瞬間、驚いたような目のその人と、視線がぶつかった。
「あっ……」
街灯の光と、白い雪に照らされたその顔は、息をのむほど美人だった。
「あ、あの、ありがとうございます」
震え声でそう言うと、僕から受け取った帽子の雪を手ではらった。
「コーヒー、でいいんですよね?」
僕はそう言うと、ポケットに突っ込んでいた先ほどのお釣りを取り出すと、自動販売機に入れた。
「えっ…そんな…いいのに…」
「いえ。これくらい良いんですよ」
なぜそうしたのかはわからない。ただ、僕がそうしたかっただけだろう。
「はい、どうぞ」
『微糖』と書かれたコーヒーを手渡すと、
「ありがとうございます」
ニッコリと笑ったその表情の眩しさに、僕は思わず目を細めてしまった。例え話ではない。
「…今日の夜、今年一寒いみたいですね」
もう少しその場にいたくて、僕は彼女にそう話しかけた。
「そうなんですね…通りで」
両手で缶を持ちながら、彼女はそう言った。白い息が宙に舞う。
_______________
辺りには僕ら2人以外に誰もいなく、雪の降る音までもが聞こえてきそうなほど静かだった。
一足先に缶コーヒーは飲み終わっていたが、僕はそれとなく横の彼女を見ていた。
長い茶色の髪と、雪にも負けない白い肌。瞬きをすれば音が聞こえそうなほど長いまつげと大きな瞳。
さっき出会ったばかりの彼女に、僕はすっかり魅了されていた。
「あの…」
突然彼女が、僕の方へ向いた。
「もしかして、私が飲み終わるの待ってたりします?」
クスっと笑う表情に、僕はまた心を動かされてしまう。
「あ…別にその…そういうわけでは…」
そう言うと、僕は誤魔化すかのように、空へ向かって白い息をほうっ、と吐いた。
それは想像以上に大きく、ゆっくりと空へ上がっていった。
「わ…すごい。じゃあ。私も!」
彼女がほうっ、と息を吐く。
「あらら…あんまり大きくなかったな、悔しい」
大人っぽい見た目をしているのにまるで子供のような話し方で、僕は思わずぷっ、と吹き出してしまった。
「!!なんで笑うんですかぁ!」
喋れば喋るほどその口調がおかしくて、僕は大声で笑った。
釣られて彼女も笑い出した。
冬の夜空に、笑い声が遠く遠く響いていた。
_______________
どのくらい時間が経ったのだろう。
急に風がぴゅう、と吹き、その寒さに思わず肩を縮める。
「寒っ…」
彼女もそう言うと、はっと何か思い出したような顔で、
「あ、そろそろ行かなきゃ…」
と言うと、僕の方を見た。
「そろそろ私、行きますね?」
「あ…そうですよね。なんかすいません」
「いえ~!コーヒーご馳走さまでした!」
それから会釈をすると、彼女は街灯の奥の暗闇へと歩き出した。
が、急に立ち止まったかと思うと、
「…コーヒーはキリマンジャロ派なんです」
くるっと振り向くと、そう言い残して、また夜の闇に消えていった。
コーヒーの種類なんて詳しくないから、キリマンジャロと言われても僕はぽかん、としていた。
「今度お店で探してみるか…」
そして、たまたま立ち寄ったこの自動販売機の場所を、深く頭に刻んで歩き出した。
また彼女に会えるかもしれないから。
その時は、キリマンジャロのコーヒーを渡そう。