夏の花は向日葵だけじゃない
窓際に佇む向日葵。
日差しを浴びて、その黄色がより鮮やかに映える。
その綺麗な花びらの色を見る度に、私はあの子のことを思い出す。
あの夏に咲いていた、一輪の花。
______________
私がお見舞いに行くといつも、ひよりは外を眺めていた。
「やっほ~」
私が声をかけても、ひよりは振り向かない。いつものことだ。
私も気にせず、窓際の花瓶に飾られている向日葵を、持ってきた新しいものに取り替える。
「またひまわりじゃん~」
「いいでしょ!ひよりが好きって言うからさ」
「まあ…言ったけどね。だからって毎回ひまわりにすることないじゃん」
「お見舞いはね~その人の好きな花を持ってくのが一番いいんだよ!」
「そうね…」
呆れたような口調でそう言うと、ひよりはようやく私の方を見た。
そして、顔を見合わせて笑った。
______________
「体調、最近はどう?暑いから辛かったりしない?」
「もう…慣れた。ぼーっとして、気づいたら日も暮れてるしね」
私がこの病室に通い始めて、もう半年になる。
初めて来たときは、外の寒さに震えていたというのに、今ではセミの甲高い鳴き声に文句を言いながらここへ来ている。
もはや私の生活の一部だ。
「…ねえ」
ひよりは再び窓の方に顔を向け、外に広がる夕焼け空を見上げた。
「不思議じゃない?もう私、入院して半年も経つんだよ」
「…うん。そういえばそれくらいだね。急にどうしたの?」
「こんなに長くいられるなんて、思ってなかったから」
「……」
当然私は、何も答えることができなかった。
昔からひよりは、良くも悪くも言いたいことははっきり言う。
おかげで私たちは何度も喧嘩をしたし、何度もひよりのその度胸(と、言っていいのだろうか)にひやひやさせられた。
「いつ死んでもおかしくないみたいだし、私」
「…そんなこと…
そんなこと言わないでよっ」
さすがに私も、つい大声になってしまった。
しかしひよりは、私の方を見ることもせず、また話し始めた。
「…3ヶ月持てばいい方って言われてたんだよ?気づいたらその倍は生きてるし。すごいよね」
「なんか、最近1日の感覚が短く感じるんだよね…」
「まるで、私を急かしているみたいに」
「毎日外を眺めながら、数えるの。もう外に出なくなってどれくらいたつのかなぁって」
「いつも色んな話してくれるよね。いいなぁ、毎日が輝いてて。きっと、私が過ごす一日よりキラキラしてて、楽しくて、でもたまにちょっぴり嫌なことあったり」
「私、楽しくもないし、悲しいなって思うこともないもん」
「きっとそのせいかなー。1日が短く感じるの。毎日同じことの繰り返しだもんね」
ここまで話したひよりは、すっと口を閉じた。
______________
私は、もはや何も言い返せず、黙っていることしかできなかった。
こんなことを考えながら日々を過ごしていたんだ。
親友なのに、何もわかってあげられていなかった。
「…なんか、ごめんね」
やっと捻り出した言葉はそれだった。
「なんで謝るの?別に何も悪いことしてないじゃん。私が不運なだけだよ」
ひよりはそう言ってあっけらかんと笑った。
その笑顔すらなんだか痛々しいものに見えてしまい、私は直視することができなかった。
どうするのが正解かわからなかった私は、この場から離脱することを選んだ。
「あ、も、もうこんな時間!長居してごめんね?今日はもう休みなよ、私ももう帰るし。また明日、ね?」
するとひよりは、悲しいような、でもどこか嬉しいような、そんな表情をした。
私が帰るときはいつも、来た時と同じように外の方を眺めているのに、今日は珍しく私の顔を見ている。
「…うん。また明日」
そう言い、手を振った。
今日は機嫌がいいのかな。それとも、ちょっと寂しい?
可愛いとこあるじゃん、と思いながら、私は病室を後にした。
______________
「ひよりが息を引き取った」と連絡が入ったのは、次の日のことだった。
あまりにも突然の別れだった。
連絡を受けたときも、お通夜に行った時も、棺の中で眠っている彼女の顔を見た時ですら、私は何も実感が湧かなかった。
あの病室に行って、向日葵を飾り、くだらない話をする。私にとって大切な時間だった。
いつか2人で、外の風に吹かれながら、とりとめもなく歩くのが、私の夢だった。
失ったものと、叶わなかった願い。その悲しみの深さは言葉では言い表せない。
私の心に、大きな穴がぽっかり空いた。
______________
数週間後。
私はなんとなく、あの病室の前にいた。
白いベッドの上には、もう誰も寝ていない。
そこにいたはずの彼女を、心の中で想像するほかない。
「あ、君…」
不意に、後ろから声を掛けられた。
「や、すまないね。もしかして、よくひよりのお見舞いに来ていてくれていたのは君かね?」
「そ、そうですけど…?」
「驚かせてすまない。ひよりの父親なんだ」
お父さんに会うのは初めてだった。どうやら私と同じく、ふと寄ってみたらしい。
「まだあそこにひよりがいるんじゃないか、なんてね…はは」
「私も…ついそう思っちゃいます」
「そういえば、なんだが」
そう言うとお父さんは、背広から一通の便箋を取り出した。
「これ、ひよりが書いていた手紙らしいんだがね。君にぜひ読んでほしいんだ。ここで会えてよかったよ」
「手紙…?」
私はそれを受け取り、お礼を言ってひとまず帰宅した。
______________
自分の部屋に入るやいなや、私はその手紙を読み始めた。
内容は極めて普通のことだった。自分の今の思い、家族への感謝、私も含めた友人たちへ向けて。
「…これ、別に私だけが読む必要ってないのでは?」
お父さんが言っていた「君に」読んでほしいとはどういうことだろう、と思っていた時。
後半の文章に、私は目を凝らした。
___________
『追伸。
私はひまわりが好きです。
ひまわりは太陽に向かってまっすぐ伸びる、らしいですね。
私もひまわりみたいに、まっすぐ上を向いて生きていきたい。
窓際に置いてある花瓶を見る度に、私はいつもそんなことを考えていました。
そう考えるだけで、頑張ろうと思えました。
私に勇気をくれていたんです。
またひまわりかぁ、なんて言っていたけど、本当はとても嬉しかったよ。
沢山いろんなことを話したね。私のつまらない日々も、お陰で少しは明るくなりました。
もっと一緒にいたかったのに、ごめんね。
そして、ありがとう。』
___________
「うっ…うううっ…」
色んな感情が溢れ、私は涙を抑えることができなかった。
あの日、もしかしたらひよりは、こうなることを悟っていたのかもしれない。
だから、珍しく手を振ってくれたりなんかして…
なのに私は、それに気づけず逃げ出してしまった。なんと薄情だったんだろう。
そんな私に「感謝」だなんて。
「私こそ…ごめんね。ひより」
伝えるのが遅すぎた言葉が、今更口から出てきた。
でも、いつもははっきり思ったことを言うくせに、変な所だけ素直じゃないなぁ、と思うと、少しだけ笑えてしまった。
ようやく涙を拭いて、私は手紙を便箋にしまった。
そういえば、と思い、私は机の上にあった空の花瓶を手に取った。次に入れる花は、もうとっくに思い浮かんでいた。
___________
今日も向日葵は、色あせることなく私の部屋の窓際に佇んでいる。
まるで、いつも外を眺めていた1人の少女のように。
あの夏に、向日葵よりも鮮やかに咲いた花は、確かに存在していた。