明日へ架ける虹
春。
枝の新芽が芽吹き、新しい世界が動き始める。
それは僕のバイト先でも例外ではない。
「え~、今日から新しくバイトに加わる子が何人かいるから。みんな仲良くしてやってくれ。あ、ちゃんと仕事も教えてくれよ」
去年、自分はここで紹介される側だったな、と思うと、少しだけ感慨深い。
やや緊張した面持ちで、新人の子たちが順番に簡単な挨拶をし始めた。ふと見ると、その中にひときわ背の高い女の子がいるのに気づいた。
その子は、
「高橋未来虹です。一生懸命がんばります。よろしくお願いします」
と挨拶をして、ぺこりと頭を下げた。
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新しい出会いには、それとなく心が躍る。
翌日から、新人たちの研修が始まった。
自慢ではないが、週4回のバイト生活を続けてきたお陰で、たった1年とはいえ仕事はかなりできる方になっていた。
というわけで、新人の指導もといお目付け役は、もっぱら僕に任されることとなった。
「えー…ここはこうして…で、こういう時はこうで…」
1年前の自分がそうしてもらったように、僕も試行錯誤しながら指導を試みる。実際に仕事をするのと、人にそれを説明するのとでは大きな違いだ。後者は難しい。
そんなバイトを続けて数日後。
「あ…お願いします…」
今日は、あの背の高い子が出勤していた。
「えっと、高橋さんだよね?よろしく。今日は僕が仕事とか教えるね」
(しかし大きいな…僕とあんまり変わらないんじゃ…)
第一印象のせいか、名前と顔はなんとなく覚えていたが、改めて彼女が自分の近くに立っていると、はっきりした顔立ちと相まって、モデルのようだった。
「あ、あ、はい!よ、よろしくお願いしますっ!」
そう言うと、まだ緊張した顔つきで彼女は丁寧にお辞儀をした。
「わからないことがあったら、何でも聞いてね。まあ僕もまだぺーぺーだから、あんまり緊張しなくていいよ~」
「ぺ…ぺーぺーですか?」
思わぬところで質問を受けてしまった。
「ああ…ぼ、僕も去年始めたばっかだからさ。一緒にがんばろう!」
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新人というのはえてして皆初めは真面目なものだ。一応僕もそうだった。
この高橋さんももちろん例外ではなかった。
…いや。「大真面目」と言った方がいいかもしれない。
「料理は注文入ったら、ハンディに打って終わり。ドリンクは注文受けたら、僕らが戻ってそのまま作るから」
「ふむふむ…ドリンクの種類とか作り方…早く覚える…っと」
なにもそこまで言っていないのだが、一生懸命メモを取っている。
「あー、やっていくうちに慣れるよ。最初は作り方見ながらでいいから」
「いえ!少しでも早く役に立ちたいので!」
心構えが、もはやバイトではなく社員だ。「まあ金もらえればいっか~」と考えていた1年前の僕とは大違いである。
「先輩が一番気を付けてることってなんですか?」
先輩呼びもなんだか新鮮で、悪くない。
「一番か…笑顔、かな?接客の基本だけど」
「笑顔…」
「最初のうちは特に、緊張して忘れがちなんだけどね。笑顔、やってみ?」
調子に乗った僕は、ついそんな無茶ぶりをしてしまった。すると高橋さんは、
「え…えと…
こ、こんな感じですかね?」
自分から振ってはみたが、まさか本当にやるとは思ってもいなかったし、予想以上の笑顔の破壊力で僕は動揺してしまった。
「あ、あー…いいね!うん!それで行こう!」
「へへ…なんか恥ずかしいですね…わかりました!」
何はともあれ、緊張もほぐれたようでなによりだった。
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高橋さんは、その真面目な性格からかとにかく一生懸命だった。
「いらっしゃいませ!」
「ありがとうございました!」
率先してはきはきと声を出すのはもちろんのこと、
「すいません、これはどうしたらいいですか?」
「こう言われたのですが、何をすればいいですか?」
わからないことは自分で解決せず、しっかり話してくれるし、
「あー、そういう時はこうすればいいよ」
「わかりました!ありがとうございます!」
と返事をして、すぐにメモを取る。とても手がかからなくてこっちとしても有難い。
「あ、お客さん来てるからレジ入ってくれる?僕が席片付けてくるよ」
「あ、はい!」
基本的な仕事もあっという間に覚えてしまったから、僕も安心して一通り任せることができる。
席を片付けていると、レジでの会話が耳に入ってきた。
「お姉さん、新人さん?テキパキしてるね~」
「そうです!ありがとうございます!」
「うんうん、笑顔もいいね~可愛いよ~」
「ほ、ほんとですか…?あ、あの…ありがとうございます…」
居酒屋の仕事で最も面倒なのは、酔っ払いへの対応かもしれない。「適当にあしらう」ことも時には必要だ。
…別に、彼女が可愛くないというわけではないが。
次はそれを教えるか…と思いながら、僕は机上の空いたグラスを片付けた。
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ガシャーーーーーーーーーーーーーーン!
突然の大きな音に、誰もが振り返る。
慌てて物音の方向へ向かうと、割れたガラスの破片の前で、高橋さんが呆然と立ち尽くしていた。
「あー、大丈夫?危ないからすぐ片付けるね、動かないで」
高橋さんは返事もせず、おびえたような顔でこっちを見ていた。
「す…すいません…私のせいで…」
「ん?大丈夫だよ」
と言いながら見上げると、すらりと長い脚が真っ先に目に入り、恥ずかしさから思わず目をそらした。
「た、たまにはミスもあるよ。そしたら僕もフォローするし、気にしないで」
「ありがとう…ございます。次は気を付けます」
「うん。高橋さんも、お客さんにも怪我がなくてよかったよ」
割れたガラスの破片が、店の灯りに照らされキラキラと光っていた。
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また別の日。
今度は、個室の方から大きな声が聞こえてくる。
「だからっ!いつ頼んだと思ってんだよ!早く持って来いよ!」
とかく、酔った人間というのは、気持ちも声も大きくなりがちだ。それがどれほど周りの人間に迷惑をかけるか、当の本人が1番理解していないことも腹が立つ。
「も、申し訳…ありません…」
そして怒鳴られているのは、よりにもよって高橋さんだった。
遠くからでは表情がよく見えないが、険悪な雰囲気であることに間違いはない。
僕は急いでその場に向かった。
「あー、お客様。どうなされましたー?」
「どうしたもこうしたもねえよ!さっき頼んだ飲み物まだ来ねえんだよ!ちんたらしすぎだろ!この姉ちゃん仕事してんのか!?」
高橋さんは、隣でぶるぶると震えている。涙を必死にこらえているようだ。
「本日土曜日でしてー、お店の方も大変混雑してます。どうしても順番に提供するとなると時間がかかってしまいまして…申し訳ありませんがもう少々お待ちいただけますか?」
「はぁ!?たかが飲み物だぞ!?さっさと持ってこれるだろ、そんなもん」
いつもなら何度も頭を下げて終わるところだが、そんなわけにはいかない、とその時の僕は思った。
「ですから、順番にお持ちしています。ほかにも注文されている方がいますので、お客様を優先して、ということはできません。」
「それと」
「この子、まだ新人なので。あまり怖がらせないでください。周りのお客様にも迷惑です。」
「…………す、すいませんでした」
幾分か落ち着き、そのお客さんも我に返ったようだった。
僕は頭を下げ、そのまま席を離れた。高橋さんも、慌てて頭を下げて僕についてくる。
「あ…あの…」
「ん?大丈夫だよ。それより、高橋さんこそ大丈夫?」
「は、はい…ありがとうございます」
再び笑顔に戻ったのを見て、僕はほっとした。
「怖かったよね。でももう大丈夫。もしまたなんかあったら、僕が何とかするから」
「へへ…先輩…優しいんですね…」
…まいったなぁ。
そんなこと言われたら、何度でも手助けしたくなっちゃうじゃないか。
「でも、もう次は大丈夫です!私がなんとかします!」
やっぱり高橋さんは相変わらず、どこまでも真面目な子みたいだ。
…多分、この先も何かと手をかけてしまいそうだが。