伝えるという事

文章を書くというのは

やろうと思って出来る事ではなくて

そのきっかけは未だに不明

書いてないという状態は

走っていない状態と同じで

いったん止まると急には走り出せない

急には書けない

以上は筆をサボっていた言い訳でございます



伝える事とは



という話をあるきっかけでしまして

伝える事について少し考えたわけです


伝える手段のひとつは「言葉」で

でも言葉は正確に伝わるかどうかというと

そうでないこともたくさん

そもそも言語化出来る事の方が少なくて

代替的な言葉を使ったりもするのだけど

やはりなかなか難しい


自分が発信する場合でなく受取る場合

その言葉の意味をそのまま捉えられたらいいが

これまたその言葉にいろんな情報を足してしまい

ありのままでは受取れなくなる


ある程度大人になり

たくさんの言葉を知ったはずなのに

伝える事がもっと難しくなっていく

受取る事も



そういや、

言葉のなかった時代

原始時代みたいな時代

ウホウホ言いながら何かを伝えあっていたはずだ

そうでなければ極端な話

私たちが生まれていない可能性もあるのだ


ひょっとしたら私たちは

言葉で何かを伝えあっているようで

実はそれ以外の大半を

ウホウホ的何かで伝えあっているのではないだろうか


例えば飲みに行ってたくさん話をして

次の日

何話したか覚えてないけど楽しかった

みたいな事がよくあるが

それを何かと言われれば

ウホウホ的何かなのではないだろうか


ライブをして

またはライブを観て

なんとも言えない高揚感を言葉に出来ない時

それはウホウホ的何かではないだろうか


このウホウホ的何かは

学術的に解明されているかも知れないが

おそらく難しい言葉にされているので

脳みそツルツルの私には伝わってこない


これからどうにも表現出来ない事を

どうしても伝えたい時は

ウホウホと言ってみようか・・・




いや、言わないっすねー

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