see line H
20代後半、バンドから離れ会社員になり、転職をしてとある企業に就職。規模はめちゃくちゃデカいが今でいう超ブラック企業。ある人から聞いたのだが、その時やっていた仕事は日本で3本の指に入るハードな仕事と職安などで言われていたらしい。ちなみに今はそんなでもない優良企業らしい。
そんな会社に中途入社したのだが、その同期に一つ年上のHさんという男性がいた。Hさんはとても穏やかな人でいつも柔和な笑みを浮かべてて人の悪口とか絶対に言わない所謂「超いい人」だった。Hさんとはウマも合い、同期の中でも最も仲良くしていた人だ。
Hさんは結婚していて子供1人、ちなみに私もHさんと出逢った数年後「一度目」の結婚をする。
入社当時、半年ほど研修所に通うのだが、いつも一緒のバスに乗り、帰りも一緒のバスで帰っていた。結構ハードな研修の日々の中で、くだらない話をしたりしながら過ごす行き帰りの時間は大きな癒しだった。
Hさんは当時胃が悪く、薬を飲みながら生活をしていた。お互いハードな研修や仕事の中で、その事が結構気になっていた。
お互い次の配属先へ行き、私と言えば目先の事でてんてこ舞いの状態で、Hさんとは少し疎遠になるが、配属先が同じ地区だったため、以前ほどじゃないにしてもコンタクトはとっていたし、同じような仕事をして似たような悩みを持つ事で単なる同期というよりも大事な友人、親友だと認識していた。
時間が過ぎて私が次の部署へいく事になる。その後釜をHさんが担当する事になったのだが、私がとんでもないミスを犯し、Hさんを巻き込んでしまう。
後日談ではあるが、Hさんは「これはオレのせいだ」とかばってくれていたらしい。ちなみにそのミスは明らかに私のせいである。未だにこの顛末を思い出すと胸が痛くなる。
それからしばらくしてHさんが入院したと聞いた。病名は「胃がん」。
大丈夫か!? の前にゾッとした。
私は最低である。
そして多忙に多忙を極め、いや怖かったのかもしれない、見舞いにいく事をしなかった。
人生において汚点があるとすれば、これは最大の汚点だ。
数年後、私は一身上の都合でその会社を退社する。退社した数か月後、Hさんの訃報。
その事を聞いた時、私はその事実に向き合えず、涙も出なかった。ただただ心が痛んでいた事や情けない自分に蓋をしていた。
通夜の会場に行くとその会社の人間にたくさん会った。今どうしてるのみたいな話に私は受け答えしていた。Hさんが死んだという実感にも蓋をしていた。
焼香を済ませ、親族に挨拶をすると、子供の手を引いた奥さんが立っていた。奥さんは私が誰か分かったようで「〇〇さんですよね」と声をかけてくださった。
「主人が生前お世話になりました。主人はあなたをとてもいい友人だったと言っていました。本当にありがとうございました。」
私は頭を下げ、溢れ出る涙を止められず、それ以上言葉を発する事も出来なかった。
数日経ち、家に一人でいた時、突然何の前触れもなく涙が出てきて号泣した。号泣しながら「ごめん」と何度も繰り返し謝っていた。何度も。
それから数年経ち、私はthanを作り、今でもthanをやっていて、ある時期にsee lineという曲を作った。亡くなった2人の友人の事に思いを馳せて、彼ら亡くなった者と生きている私の間には明確に一線がありその線をお互いに見ているという曲なのだが、彼らがその線を見ているかは不明だ。私はその見えない線を見ていて、彼らにはひょっとしたら見えてるのかもしれない、そんな曲だ。
その2人の友人の1人がHさんだ。
余談だが、その2人に加えて昨年亡くなったバズ(犬ドッグ)もその線を見ているような気がしている。
人として回り道をしながらもおそらく正しい道を歩めているとしたらHさんのおかげでもある。彼の穏やかでにこやかな人柄に出来るだけ学ぼうと今でも思いながら日々暮らしている。これがなかなか難しく、癇癪を起したりもするのだが、歳を重ねる毎に少しずつ彼に近づいていけてるようにも思う。
いつか私も召されて、その線を見る機会が出来たら、Hさんに会いに行きたい。ひょっとしたらめっちゃ怒られるかもしれんけど、、、いや、Hさんやったら、線みたいないつもの目で「おつかれさん」って言うかな。どうかな。