幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第二章
第二章 喉が渇く!
謎だらけの『麺酒房かしわぎ』に気持ちいいくらいにハマった僕は、隙あらば通うようになっていた。店を知って半年ほどたった頃、ライターの師匠であり蕎麦変人の岡本さんとは『かしわぎ』で待ち合わせるのが慣例化していた。
この日も、八坪二階建ての狭小な店内は、顔を紅潮させた何組かのお客で賑わっていた。いつものモノラルなジャズと、そのリズムに合わせるかのように足をカックンさせ続けるオカン。そして超マイペースの柏木さん。岡本さんも相変わらず、酒のアテのはずのネギネギ小鉢(青ねぎの刻みとおかか)をおかずにして五目御飯と二八そばを二杯ずつ食べている。
僕はただただ、この空間に漂う、そばの甘い香りと安堵感みたいなものに身を任せていた。
すると、先まで釜を見つめていた柏木さんがふわっと旋回し、どこかに忍ばせておいた酒入りのメジャーカップに手をやりながら声をかけてきた。
「あ、あのぅ、エッセイ読んだよ」
「エッセイ。ええっ、ほんまですかっ」
「むふふぅ、イラストもいいねぇ」
ぴあ関西版のイラスト&エッセイ連載「河村研二のマナ板の恋」だった。岡本さんが、いつのまにか柏木さんに見せていたらしい。今号は実は『かしわぎ』のことを書いていたのだ。
遅い、忘れっぽい、客より自分が先に酔っぱらう、とそば屋としては致命的なのに、とんでもなく有難くて落ち着く味がする、店主はまるで大仏だ、といった内容だった。
柏木さんには黙っておこうと思っていた。照れながら頭を下げる僕を横目に岡本さんが柏木さんにこういう。
「カワムラの文はいかがですか」
「いやぁ面白いよ、ちょっと変で。普通飲食店のことなんて何がうまいのまずいのってことしか書かないのにね。むふふ」
恐縮して頭の中が真っ白になってしまった。
オカンは流しの前でタバコをふかしながら、素知らぬ顔をしてジャズに合わせて口ずさみ続けている。
「いやぁ実はね、私も少しばかり、カワムラ君とよく似た業界で仕事をしていたんだよ」といって、そば粉のついた大きな眼鏡の向こうで笑みを浮かべながら、しばらく僕の顔を眺め続ける柏木さん。柏木さんのもう一つの名物、独特の間である。
「ど、どのようなお仕事をしてはったんですか」
「いや、これが雑誌や本を出版する会社で。週刊平板て言うね、古い話だけどそれやってて。気が付けばマガジンホームって名前になって、それで大阪にも支社だすっていうんでね」
「えっ、週刊平板ってあの芸能や小説などわんさかと世に放ってきた週刊誌ですよね。すごい。編集をされてたんですか」
そこに岡本さんが素早く細い足を組み直して割って入った。
「カワムラの文章力はまだまだですけど、あのコーナーはコアなファンをつかむんじゃないかと期待してまして」
「そうだね、キレイにまとまってないところがいいねぇ。いや、店にしてもインタビューにしても必要な情報をキレイに書くのは普通だから。まぁそれが仕事なんだけど。カワムラ君の場合はそのシトとのやりとりがコミカルで面白いんだよ。で、不思議とそこから店の雰囲気が滲み出てくる。ふむぅ、独特のタッチだよねぇ」
緊張する僕は肩をすぼめるようにして軽く頭を下げた。それを見た柏木さんは大きな眼鏡の奥で再びじんわりと笑顔になり、数秒の間をおいてこういった。
「ふふ、このままでいいよ」
ほっとした瞬間に賑やかな三人組の客が入ってきた。一人はコロンまみれで赤いスーツを着た女性。夜十一時を回っている。そろそろラッシュ第二波か。
本日の『かしわぎ』会はこれにて終了。店を後にした我々はコンビニでジュースを買いぐびぐびと飲みながら地下鉄心斎橋駅方向へと歩く。
「岡本さん、ぴあを持って行くなら一言言ってくださいよ。黙っておこうと思ってたからもうびっくりです」
「ははは、すみません。カワムラの晴れ舞台だから柏木さんにも読んでもらおうと思ってね」
「ほんで元出版社勤めと聞いてさらにびびりました。しかもあのマガジンホームってすごすぎ。岡本さん、知ってたんですか」
「ええ、まぁ。なにやら大阪では支社長だったらしいですよ。カワムラに言うと緊張しちゃうと思って黙ってたんですよ」
「うっそぉ、ほんまですか。めちゃくちゃ偉いさんじゃないですか。だのにそば屋。ミナミでは斬新なおいしさやけど、とてもそば屋とは思えないどんくささで、柏木さんこそ変人の極地じゃないですか」
「そう、客が来店するより先に自分が飲んじゃってる店。必ずと言っていいほど釜のお湯吹きこぼしちゃうしね。でも、柏木さんは間違いなくただもんじゃないですよ」
「おまけにオカンが意味不明のカックン運動してたまにブチギレる。規格外過ぎるそば屋ですね」
「いつも暑苦しい帽子かぶってますしね。普通そば屋って職人がかぶるような白いやつですよね。柏木さん、色とりどりの可愛い帽子をかぶってますよ。なにやら帽子がお好きなようで。銀座あたりにはたくさんあったようですが大阪にはそれほどなくて、どこかお店を知らないかって聞かれたことがありますけど僕もよくわからなくて」
「そう言えば大正区の『そば切り凡愚』店主の真野さんも帽子がトレードマーク。職人帽子じゃなくて絵描きなんかがかぶってそうなアーティスト帽子。大阪でそば屋やるとああいう感じになるんでしょうかね」
『そば切り凡愚』とは大阪を代表する三たてそばの草分けである。環状線大正駅から歩いて十五分ほどの下町に立地。長屋の一室を店に改造し、入口入ってすぐのところにいつも大きな犬がいた。看板メニューは一辺がゆうに五ミリ以上もある極太そばと鴨汁の組合せだ。真野さんは元フォトグラファーでそば職人ではない。が、だからこそしがらみがなく、型にはまらないご自身の性格も合わさって、自由で大らかな斬新さと楽しさのつまった店だった。連日ウェイティング必至の人気店である。(現在は和歌山県伊都郡かつらぎ町に移転し『あまの凡愚』と改名。完全予約制)
「いいじゃないですか。東京だと伝統的なそば屋が多くて、厳しい修業を経て一人前の職人になるという感じだけど、大阪は自由奔放で店主の個性が溢れてますよね。柏木さんは元編集者のそば好き酒好きであって職人じゃない。ただ、おかあさんとの関係がよくわかりませんけど。まぁその辺は詮索しないようにしておきましょう。柏木さん、ああ見えてきっと誰よりも男気のある性格なんだと思いますよ。面倒見がいいというか、実はガテン系というか」
そう言って岡本さんは地下の駅へ潜る直前、再び自動販売機でジュースを購入。
「あぁ、やっぱり『かしわぎ』のそばを食べると喉が渇く!」
数日後、たまたま『かしわぎ』の近くで取材があった僕は帰りにふらりとたち寄ってみた。時刻は四時頃。店は夜のみの営業で暖簾を出すのは五時だ。
シャッターが上がっていた。入口横の幅五〇センチほどの小窓から目を見開いて中を覗く。すると煤ぼけたガラスの向こうで半そで姿でそばを打つ柏木さんの姿が見えた。帽子はかぶっていない。頭はつるぴかだった。腕っぷしもあってとても六〇代の初老とは思えない。
忙しいかな。迷いながらもせっかく来たのだからと図々しく戸を開けてみた。
「こんちわ〜っ。す、すんません、突然に。たまたまこの近くで取材があったものですから」
柏木さんは三、四回、トントンと包丁を入れたところで手を止め、そっと横に置いてあった帽子を頭に載せて微笑んでくれた。
「そうそう、僕はファッションには疎いんですが、そこの百貨店とか隣駅の難波高島屋とかに帽子屋さんがあると思います。あとちょっと若いかもしれませんがアメ村にも一軒」
とっさに帽子屋を探していることを思い出し、前触れもなくそんな話を切り出す。
「あぁこれね。大阪には意外にないんだよねぇ。髙島屋には行ったことがあって、なんちゅうか、ああいうところは良いのしか置いてなくてね。アメ村か、今度行ってみるよ」
柏木さんは、そば生地を切り終え、すぐ目の前に置いてあったヤカンをもってビールグラスにお茶を注いでくれた。出がらしのぬるい茶だ。
「難波ってのはあれだね、よく西の渋谷なんて言われてるみたいだけど、和歌山方面のターミナルもあるし、なんちゅうかもっと雑多だから池袋って感じだね」
当時の柏木さんは店から歩いて十分ほどのマンションに住んでいたようだ。
「ほら、黒門市場のあたりなんてちょっと築地の裏側っぽくもあるし。よく仕入れに行くんだけど、においが似てるんだよ」
「魚と発泡スチロールのにおいですか」
「だね。他におでん種、青ネギや振りかけ用の鰹節、煮つけたニシンなんかもあすこで買うんだよ。けっこう重宝してんだよね」
店のある東心斎から市場のある日本橋までは、いつも一人でぶらりと十五分ほどかけて歩いていくという。
「柏木さんて元々築地近くの明石町っておっしゃってましたよね」
「そう、なんとなく大阪日本橋の裏側と雰囲気が似てるよ。あの辺りは元々海軍関係の施設が集まっていたところで、それが大正時代の大震災と二次大戦の空襲で全部丸焼けになったらしくてね。なにやら家から東京駅や有楽町の駅まで見通せたってくらいだから。今ある建物や住民はそれほど古くはないってことだよ」
「そうなんですね。懐かしいな、築地。わずか一年半ほどしかいなかったんですけど、一世一代の賭けで上京していたので思い出が色濃く残っています」
「へぇ、賭けってどんな」
「お恥ずかしい話ですけど、本当はレストランを開業するのが目的でした。その話を持ってきてくれたのが岡もっちゃんもいた大阪のスポーツクラブの同僚です。その人のご実家が築地で食品商社や仲買やってて。
でも、実際には叶わず、なぜか魚河岸仲買に。そして結婚を約束していた大阪の彼女とも破局。でも仲買の先輩たちは公私共に本当によくしてくれて。銭湯には毎日一緒にいくし、明石町の居酒屋、有楽町の焼き鳥も。いつも心に寄り添ってくれました。そんな時に、三〇年に一度という幻の水神祭がありまして。これがいろんなことの踏ん切りをつけるのにいい機会になって、結局大阪へ戻ってきたわけです」
「なるほどねぇ。水神祭って、魚河岸海幸門のところにある波除神社の」
「いや、場内にある水神社です。小さな遥拝所でほとんど誰も参っていません。元は神田明神らしいです」
「あぁ確かにあったねぇ。あの静まり返ったところの。そうか、三〇年に一度か。誰もが体験できるもんじゃないね」
「そうなんです。みんなケン坊が氏子代表だといって持ち上げてくれて。こんな大きなコブができるまで担ぎ続けました。ま、今考えるとしんどいから僕に担がせたのかもしれないけど。新大橋通りや晴海通りも一時通行止めにしてまでやってました。なぜか晴海通りの交差点でみんなが揉みたがるので大渋滞になってしょうがない」
「むふふ、面白いね」
「柏木さんはたまには築地へ帰られるんですか」
「あすこにはもう家はなくて、今は郊外にあんだけどまぁ用事がない限り行かないね。子供が三人いてね、一人は海外にいて、まぁ一番下の息子が結婚に興味がないようでちょっと心配なんだけど。ちょうどカワムラ君と同じくらいの歳でさ」
出がらしの茶は空っぽになっていた。
「あっ、すみません、仕込みの邪魔しちゃって。もう帰ります。また岡本さんと出直してきますんで」
「あ、そう。悪いね。またね」
店を出て僕は下水と生ごみの匂いが染みついた東心斎橋の路地を歩く。元編集者。店好き。そして東京・築地という共通点。つくづくご縁を感じる柏木さん、なんて考えながらふと思う。
柏木さんは大阪で骨を埋める気なのだろうか。もう東京へは帰らないのだろうか。どこか東京に郷愁を感じているようにも見える。なぜ大阪でそば屋なのか。そんなことを思いながら僕は地下鉄に乗って帰路についた。