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蕎麦変人おかもとさん #2

第二話 坂の上の『拓朗亭』

(第一話 蕎麦屋探検隊)

  一九九六年(平成八年)、三月。

 コトンコトン、コトンコトン。

「河村さんっ、着きますよ。亀岡です」

 目を覚ますとそこに岡本さんが立っていた。

「あ、おはようございます。トンネルが長いもんで途中から意識が消えてしまいました」

「嵯峨野線は癒されますよね。映画村の太秦。渡月橋の嵐山。観光列車のトロッコ嵐山駅、の直後にトンネル。そして外に出たかと思うと今度は眼下に日本最長約一六キロの川下りで有名な保津峡があって、すぐまたトンネル。ヒーリング効果抜群です」

 我々はJR嵯峨野線に乗って、亀岡にある蕎麦屋『拓朗亭』に行く途中であった。JR大阪駅から新快速に乗って京都駅で乗り換え。乗った車両は柿色と緑色のいわゆる湘南カラーの一一三系と呼ばれる、当時すでにレトロなもの。車内は快晴の日でもどこからか湿気を帯びた絨毯のような匂いがする。椅子は直角の背もたれの対面式。エンジンは図太いモーター音で、スピードが出るほど椅子の下からむわっと熱い空気が湧き上がってくる。

 亀岡駅に到着し、我々は電車を降りた。そこは大阪より気温三℃は低いであろう冷涼で爽やかな空気が広がっている。色褪せたアスファルトに木造の屋根が一部残り、それ以外はH型鋼の柱とトタン屋根が立っている。駅の広告ボードには、聞き慣れない信用金庫や病院の名が連なり、その向こうの田園からは牛糞の匂いがうっすらと漂ってくる。

 階段を上って向こう側の駅舎に向う。時計を見るとちょうど五時。人の数は想像以上に多く、学生服姿、主婦や子供、年配者などと年齢層も幅広い。人々は改札を抜けると、自転車置き場や目の前のバス停、家からのお迎えらしきロータリーに停車するマイカーのほうへと広がっていった。

「念のために電話しておきましょうか」

 そう言って岡本さんは駅舎に置かれた赤い公衆電話の受話器をもって十円玉を入れ、ダイヤルを回す。初めていく店なのにすでに番号を暗記している。

 ジリリリリ、ジリリリリ……、ガチャン(コインが電話機の中に落ちる音。当時は通話がつながるとコインが落ち、つながらないと戻ってくる仕掛けであった)

「あ、もしもし、拓朗亭さんですか、わたくし岡本と申します。今亀岡駅におりまして、そちらに伺いたいのですが。え、もう売り切れて今日は夜の営業はやらないと。ふむふむ、ええ、本当ですか、ありがとうございます。それではすぐに伺います」

「もう売り切れてたんですか。すごい、やっぱ繁盛店なんですね。ところで蕎麦って打ってからそんなすぐに食べることができるんですね。小麦粉の生地だと寝かせる時間が必要ですけど」

「挽きたて、打ちたて、ゆがきたて、なんて言うくらいだからそうなんでしょうね」

 駅舎を出て振り返ると、薄暮の空に切妻型の木造の屋根が重なって見えた。

 我々は南つつじヶ丘大葉台行きのバスに乗り、旅気分に酔いしれた。

「岡本さん、亀岡ってほんま不思議なところですね。観光地のようでベッドタウンのような気もするし。京都駅から各停で約三〇分で、あれだけの自然もあれば、この通り町には人も車もぎょうさんいて」

「確かにそうですね。亀岡ってベッドタウンであることは間違いないと思うんですけど、洛中とはまた違う独自の歴史をもつ町でもあります。明智光秀や岡部長盛、藤堂高虎などゆかりの城下町なんです。篠山や綾部、福知山などと同じ丹波国亀山藩で、洛中から見ると山陰道の玄関口。そこにトロッコや川くだり、温泉などといった自然観光も豊富にある。京都観光の上級者の間ではすごく人気のある町なんですよ」

「へぇ。やっぱ岡本さんは何でも詳しいですね。新聞記者に絶対向いていると思うねんけどな。なんでスポーツクラブのフロントなんかやってるんですか」

 岡本さんは広島の出身で、実はお爺さんが某大手新聞社の偉いさんである。高卒後、上京し青山学院大学に入学するが、中退し、縁あって大阪の高級スポーツクラブに就職した。

 ちなみにその時にクラブのラウンジ運営を任されていたのが僕である。後に僕はいろいろあって一時期築地魚河岸で働き、その後大阪北部の箕面市で創作料理が売りのバーを開業する。そこに岡本さんが来てくれるようになり、やがて蕎麦屋探検隊を結成することになるわけだが、同時にこれまたいろいろあって僕はモノを書く仕事に転じる。そして気が付けば、文学、社会、歴史に精通していた岡本さんが僕のモノ書きの師匠になっていたというわけだ。

 バスに乗車して一〇分ほど経っただろうか。車窓からは先までの風景とは一転し、閑静な住宅やのどかな畑が見えてきた、と思ったら岡本さんがあわてて停車ボタンを押した。

「あれっ、もしかして通り過ぎちゃったかもっ。先の停留所で降りなきゃならなかったんだ。次おりますよ」

 さすがの歩くコンピュータも眠ってしまったようである。

 我々が降りたのは「大葉台二丁目」というバス停。長い長いまっすぐの二車線の坂道の途中にあり、上から下からと自動車が勢いよく横行している。周囲は大きな家がぎっしりと立ち並んでいた。我々は上ってきた坂道を歩いて下っていく。

 新興住宅地のど真ん中。とても蕎麦屋があるようには思えない。

『拓朗亭』を教えてくれたのは京都大学近くの信州戸隠流の蕎麦屋『實徳(みのり)』の店主、粕谷敏明さん(当時三七歳)だった。「亀岡にへんこな店主と強烈においしい蕎麦屋がある」と。

 実は今回の亀岡探検は、まだ書き始めて間もない日刊ゲンダイの取材の下見を兼ねていた。同じ京都でもう一軒、太秦にある『味禅』と合せて三軒で、四月に毘沙門堂(山科区)にて「野だてそば」というイベントをするというのだ。残念ながら今回の記事が出るのはイベントの後になるが、この三軒の蕎麦の食べ比べを紙面で展開する予定となっていた。

 外はすっかり日が暮れている。バス停から一〇〇メートルほども歩いただろうか。前方に先ほど逃した大葉台一丁目のバス停が見えてきた。と、そのときである。先のほうに赤提灯が浮かんで見えた。

 玄関の上には幅五〇センチほど、長さ一メートルほどの『丹乃國蕎麦 拓朗亭』と彫られた木の看板がかかっている。店名の横には小さく「たろうてい」とルビも彫られていた。横には信楽焼きの大きな狸が鎮座。

 重たい引き戸をカラカラと開け、恐る恐る店の中へと足を踏み入れる。そこには八人がけの大きなテーブルと四人がけのテーブル三つが、蛍光灯の青白い光に照らされていた。とその瞬間、大量の枝豆を蒸したような生ぬるい水蒸気に包まれ、同時に「ブォォォ~ン」と心地いい低音の鐘が一回鳴った。客席側のど真ん中の柱の上部にかけられたアンティークな柱時計が五時半を指していた。 

「あ、いらっしゃいませっ。どうぞ、おかけください」

 左手の厨房から小柄な女性が顔を出す。

 我々は重たい木製の椅子に腰かけ、目の前に置かれてあったメニューを食いるように見る。ざる、ざる重、天ぷら、おろしなど。いくつか種類があるが、すべて冷たい蕎麦ばかり。当時、冷たい蕎麦しか置かない店なんて聞いたこともない。

「岡本さん、冷たい蕎麦しかやらないなんて、なんだか頑固な気配むんむんですね」

「確かに。でも本当においしいお蕎麦は冷たくても十分に味と香りがするそうですよ。ここは初めてなので、まずはざるから注文しましょうね」

 と、その時、厨房から今度は男性が出てきた。紺色の作務衣姿で、銀縁の眼鏡の奥から鋭い眼が光る。

「あのぉ、『實徳』から聞いてこられた方ですよね。きんの(昨日)、粕谷から電話があったところですよ。今日はわざわざありがとうございます。あ、僕は店主の前川(当時四二歳。現在は矢田姓)昌美と言います。こっちは妻の和代」

「あ、はじめまして。粕谷さんが連絡してくださってたんですね。僕は岡本と言います。こちらが河村です。実は先ほど最寄りのバス停を通り越しちゃいまして。一つ先のバス停で降りました」

「それはそれは、こんな辺鄙なところまでようこそ。ささ、まずは蕎麦を食べて頂きましょう。ざるでいいですか。それが一番蕎麦の個性を感じやすいと思うので」

 そういって前川さんは厨房へ戻り、隣の延し場に入っていった。

 BGMはない。厨房の大きな換気扇の音と、柱時計のカッチンカッチンと秒を刻む音が一切の邪気を切り刻むようにひたすら響き渡っている。待つ間、独特の緊張感が漂ってくる。

「岡本さん、僕らなんも言うてないのに、ご主人からざるを勧めてこられましたね。やっぱりおいしい蕎麦屋は基本がざるなんでしょうかね」

「そうなんでしょうね。でも、ほら、前にいった『凡愚』さんなんかは熱盛りをされてましたね。三〇〇年続くと言われる堺の蕎麦屋『ちく満』なんか熱盛りしか置いてなかったじゃないですか。蕎麦って元々は蕎麦がきが古いらしいですよ。それが江戸時代になって切った麺状の蕎麦が流行りだしたと言われてます。でも、当時の麺も蒸したての熱いものだったとか。蕎麦は元々は熱いもんってことですね」

「それをあえて冷たくして食べるのが醍醐味ってわけですね。僕は高校時代、家族亭で少しバイトしたことがありますけど、冷たい蕎麦を頼む人って、そんなに吸い込んだら咽るでっていうくらいにみんな勢いよくすすってました。冷たい蕎麦好きの人ってすすりたいんでしょうね。熱いのんじゃすすれない。あれ、もしかしてすするために冷たい蕎麦が生まれたのかな。なんやようわからんようになってきました」

 時計の秒を刻む音の間に、トントントンと台を叩くような音がどこからか聞こえてきた。どうやら延し場で前川さんが蕎麦を切っているようである。

「おおっと、今まさに蕎麦が麺になっている最中ですよ。河村さん、見に行きましょう」

 岡本さんはそう言っていったん店を出て、入口横にあった延し場の窓から中を覗き込んだ。すると左手で蕎麦の生地の上に置いた板を支えながら、右手で中華包丁のような大きな包丁をリズミカルに落としていく前川さんの姿があった。何十回か切るたびに、手に蕎麦をもってぱたぱたと粉を振り払い、木箱の中に丁寧に並べていく。そして蓋をし、箱をもってすぐに厨房へ戻っていった。

 我々も店内に戻り、あらためてあたりを見回す。奥の壁には七福神の筆絵がかかり、その下に酒一種類のみが書かれたメニューが貼られている。右奥の扉にはトイレマークの札が。そして岡本さんが座る背後の壁には、薄緑色の生の蕎麦を手に持ったアップの写真が。

「あれ、この蕎麦なんでこんな色してるんでしょうね。普通、蕎麦ってもっとこげ茶色だったり濃い灰色だったりするんやないんですか。着色料でも入れてるんやろか」

「さぁて、なぜでしょう。どこかの蕎麦屋の写真なんだろうか」

 次に入口横のレジ付近の壁に貼られていた一辺三〇センチほどの写真に目が行った。この店には似つかわしくない、フォークギターを持って立っているミュージシャンの写真だ。

「岡本さん、なんとこっちには歌手の吉田拓郎の写真が貼ってありますよ。頑固な蕎麦屋がタクロウですって。まったくイメージが合わない」

 岡本さんは眼鏡をかけなおすようにして目を細める。

「あれ、もしかしたら店名はそこからとったのかな。でも、字が一字違ってる。それに読み方もタクロウじゃなくてタロウだし。なんのことやら」

 ポリポリポリポリ……

「あれ、岡本さん、何を食べてるんですか」

 指先には五センチほどのベビースターラー麺のような細い揚げ物が。先ほどお茶と一緒に出してくれたものである。

「こりゃうまい。蕎麦を揚げたものですって」

 僕もポリポリパリパリ……

「うわぁほんまやおいしい。揚げてるのに、ちょびっと蕎麦の味がする。蕎麦って繊細なようでそうでもないんかな」

 厨房では前川さんが片手にステンレスの取っ手つきのざるを持ち、大きな釜の前で仁王立ち。そして厨房フードにつけたタイマーをじっと睨み続ける。とその瞬間ピピピピピッとタイマーが鳴った。

 前川さんはうりゃあ~って感じで大きなざるを釜の中に突っ込み、金魚すくいみたいにあっちこっち動かしたかと思うと、一気に横のシンクに移して流水で洗い、さらに隣のシンクに張った冷水の中へ入れた。そこに今度は小さな竹笊を突っ込んで蕎麦を掬いあげ、チャッチャッと水分を切り、ぐわっしと掴んでせいろに蕎麦を盛り付ける。そしてすぐさま和代さんがお膳ごと持ち上げこちらにやってきた。一切の邪気が入り込む隙がないほどの緊迫感とスピードである。

「はいっ、お待ちどう様ですっ」

 せいろの横には蕎麦猪口、汁が入った徳利、青ネギの刻みとおろし山葵の薬味皿が。当時、生の山葵や蕎麦猪口と別に、汁の入った徳利が出てくるのも珍しい。そして我々は食べる前から蕎麦のビジュアルに目が釘付けとなった。

「この蕎麦、淡く緑色がかってますよ。それに麺に影がある。丸でも平でもなくはっきりとした四角形ですよ」と岡本さん。

「この不思議な香り、なんですか。稲を刈った時のような、どこかの草原に吹く風のような、いや枝豆を蒸したような感じかな。今までかいだことのない香りです」

 まず、何もつけずに口に運んだ。するとシャープに見えた蕎麦の角が、ふわりと絹のような柔らかな食感となり、枝豆のような力強い味が広がった。直後、稲のような枝豆を茹でたときのような香りがふわり。岡本さんが言う。

「なんですか、この味の濃さは。蕎麦は冷たいのに、その香りがずっと漂い続けています」

 三口目は少し汁をつけてたぐうと、鰹節、昆布、シイタケのやや甘めの旨味が舌の上に広がり、その後再び枝豆のような濃い味と香りが顕わになった。

「こりゃおいしくて夢中になりますね」

 スバッ、スバスバスバスバッ―――

「これは大事件や。めったに褒めない岡本さんが褒めた。今まで食べた蕎麦とはまた違った味わいですね。一枚じゃ足らへんわ」

 ススッ、ススッ、チュルチュル……

 あっという間に岡本さんは平らげてしまった。

「すみませんっ。もう一枚お願いできますか」

「あ、僕ももう一枚たのんます」

 ものの二、三分で二枚目が出てきた。枝豆のような香りが先よりも強く感じらえる。再び何もつけずにたぐう。香ばしくて味が濃くて喉越しがいい。

 スバッスバッ、スバスバスバッ―――

 ススッ、ススッ、チュルチュル……

 我々は二枚目も早々に平らげてしまう。

「岡本さん、遠慮してはるんですか。ぜんぜん足らへんっていう顔してますよ。もう一枚注文しますか」

「はい、頂きましょう。すいませんっ、もう一枚おかわりいいですか」

 無我夢中で三枚を一気に平らげてしまった我々。量は気取った蕎麦屋の一つ半くらいのボリューム感はある。蕎麦一〇〇パーでお腹パンパンだ。

 そこに蕎麦湯がやってきた。

 猪口の中に蕎麦湯を流しいれると、トロトロとした重湯かクリームスープのような白い液体が出てきた。徳利から汁を注ぎ、お箸でかき混ぜ、口に運ぶ。こんなにとろみのある蕎麦湯を飲んだのも初めてのことであった。今では各地の蕎麦屋で当たり前のようにでてくるが、これもまた当時では大変珍しいものだったのだ。

 値段にも目を見張った。ざる蕎麦一枚八五〇円。当時の蕎麦屋は食堂風のところがだいたい四〇〇~五〇〇円。三たてのこだわった手打ち蕎麦屋のざるが七〇〇~八〇〇円である。今まで食べた中で、最も高価なざる蕎麦だ。

 そんなことを岡本さんと小声で話していたら、ふと厨房にいた前川さんが突然振り向き、仁王のような強いまなざしをこちらに向けた。うわっ、我々なんか余計なことを言ったか、それとも作法を間違えたのか!? 

第三話 いい蕎麦には睡魔が潜む


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