孤独であるためのレッスン1

今回は諸富祥彦さんの「孤独であるためのレッスン」についてご紹介します。

NHK BOOKS

著者はひとりでいられることを、これからの社会を創造的に生きてゆくための能力として提唱しています。

運命の感覚に開かれた生き方考え方

たしかに人は遺伝や家庭環境生育史などによっても強く影響されて生きるけれども、決してそれによって決定されつくしてはいない。むしろ、どこからかささやきかけてくるような"運命の呼び声""運命のささやき"に心を開き、耳を傾け、その声を聴きつつ生きてゆくことによって、その人にしか生きることのできないたった一つの人生という作品を完成することができる、・・・

孤独であるためのレッスン

ひとりでいることは決して悪いことではありません。自分のひとりを受容し肯定する自己肯定することがスタートとなります。

子どもにとっては、ひとりでボーッとしている時間がとても大切な意味を持っており、その体験の中で想像力や創造性が育っているようです。

孤独であるためのレッスン

ひとりじゃいられない症候群

むしろ、ひとりになれない人間たちのほうがおかしい。誰かと絶えずくっつくことにより、安心感を確保し、誰ともくっついていない人間をことさらに排除しようとする。そちらのほうが、よほど変だ、おかしい、と私には、思えるのです。

孤独であるためのレッスン

インターネット、メール、SNSなどによってつながりすぎた社会環境の変化が、このような孤独嫌悪を引き起こしているのでしょう。

"多さ""広さ""速さ"といった物差しは人生の価値の尺度としてどんどん見放されていき、むしろ、人生の"浅さ"を示すものと受け取られるようになるでしょう。・・・
"深さ"の次元が人生の価値尺度として重要視されるとき、不可欠となるのが、孤独になる能力、充実した孤独、豊かな孤独をエンジョイできる能力です。

孤独であるためのレッスン

著者は充実した孤独を手にする条件として八つの条件を上げています。

1.「分かり合えない人とは、わかり合えないままでいい」
と認める勇気を持て

ようは、理解してくれる人だけ理解してもらえればいいと考えれば気は楽です。悩む必要はありません。

2.あなたが、人間関係について暗に抱いている
「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。

人間のさまざま捕らわれや苦しみの背後には、ある偏った歪みのある無意識の信念やバイアスが存在している場合が多々あります。

3.自分の人生で「ほんとうに大切な何か」
「どうしても大切にしたい何か」を見つけること。

孤独においては心を開いて生きることが大切で、素直に大切なものや魅了されるものを認めてあげることです。
大切な人生の使命感や自分のミッションに気づくことができれば、人はひとりでも強くなれます。

4.「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実をしっかり見つめよ。
絶えず、死の地点から、人生を捕らえる視点を持て。

死を直視して、人生のゴールつまり逆側から見れば、自分にとって本当に必要なものが見えてくるかもしれません。
メメント・モリというラテン語は死を忘れるなという意味だそうです。
それは自分にとって本当に大切なものとそうでないものとを見分ける目を持てということです。

5.自分だけの「たった一つの人生という作品」をどう作るか、絶えず構想ながら生きよ。そのための想像力を駆使せよ。

私という人生の作品、物語と言ってもいいかと思いますが、それを構想していくには想像力、イマジネーションが必要です。自分の人生の主人公は自分です。仏教でいう自灯明ということになります。他人に言われるままの人生ではありません。

6.さまざまなソーシャルスキルを身につけよ。とりわけ、他人の話を聴く力、他人を認める技術は必要。

7.ほんの一人~二人でいい。「この人だけは、私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。そう思える人を見つけておくこと。

祖父母、恩師、友人などいざというときに支えとなってくれる人がいると孤独な人間にとって支えになります。
そういった場合、広く浅くの付き合いではうまくいきません。少ない人と深い付き合いを通して信頼関係を築くことのほうが大切のようです。

8.自分だけは、自分の味方であれ。そのために、「自分を超えた地点から自分を見守るまなざし」を自分の中に育てよ。

自分を認める。自分の心に耳を傾け自分の声を聴くことが大切です。

「すべてはあるがままに。すべては流れのままに。」と言っている、そのようなより大きな自分と絶えず共にいて、それを自分の内側で感じ、育んでいく姿勢を大切にする必要があるでしょう。

自分の内側と対話するそのためには孤独で一人になることが必要なんですね。


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