半裸の男達を見て思う
タイやベトナムを徘徊していると、たまに街中で見かけるのがパンツ一丁の半裸の男達である。
彼らの中にはホームレスも含まれるが、私が気になるのはホームレスではなくて、家があって、なおかつ半裸で外をさまよう男達のことである。
ちょっと郊外に出たり、下町に出かけると、雑貨屋の軒先、沿道などに半裸の男が佇んでいるのを見かける。
彼らの多くはでっぷりと腹が出ている。軒先でタバコでも吸いながら、ボーッと過ごしているように見える。彼らの多くは年齢不詳だが、おそらくは60歳、70歳以上はいっているのかもしれない。
彼らを見て、私は想像するしか無いのだが、おそらくは、その男達のファミリーはその土地で代々続くショップハウスなどを所有していて、あまり儲からないけれども家賃のかからないことをいいことに、1階部分の店舗にて、その土地の人々だけを相手にして細々と商売をしているのだろう。
そして、そういう半裸の男の子供達の世代というのが、実務一切を引き受けており、半裸の男は日がな一日、何もしないで過ごしていても、家族から厳しい追及は受けないのだろうなと思った。
それから、タイでは特に、自分たちの年老いた父母の世話を子供が見なければいけないというのは、かなり厳格な文化規範にもなっているようであり、面倒を見られる方の父母にしても、なんの僻めも無いらしいのである。親が年取ったら、子供が親の面倒を見るのは当たり前というわけだ。
年金制度にしても、東南アジアの国々はまだまだシステムとしては信頼出来ないものだろうから、高齢者の世話を子供達が行なうというのは、社会全体の要請でもあるわけだ。
そういうタイでの年老いた親でイサーンの田舎などに暮らし、働かずに子供からの仕送りに頼っているようなケースも多かろう。本当に困窮して生活がどうしようもなく成り立たないという人たちも多いだろうが、その一方で、朝から酒を煽っては、飲んだくれの生活を送って、バンコクで働く自分の子供からの仕送りを待つような親もいるに違いないのだ。
背景事情は色々だろうけど、「年老いた親の面倒は子供が見なければいけない」という不文律が強く作用するので、ニートみたいに生きていたとしても、誰も咎める人がいないだろう。
そんなことを考えていたのだが、この手の問題というのは、現地人のエリート層の人たちには中々伝わりにくい事でもある。
最近まで住んでいたベトナムのホーチミンでの事だ。
取引先のアドミンのベトナム人女性と知り合い、色々と議論をする機会があった。その女性は勉強全般が大好きだと言っていて、仕事以外の時間を語学やその他の自主学習にあてているような勤勉な人であった。
取引先は大手日系メーカーだったから、優秀さを買われて採用されたのだろう。
その女性に、先述の半裸の男達の話を持ち出したのだが、全く理解をしてもらえなかった。英語を使って懇切丁寧に説明をしたつもりであるが、単純に自国の恥部について指摘を受けて、侮辱されたような印象を受けてしまったらしい。
ホームレスと、ニートとして生きる人を区別しないのかもしれない。彼らの背景に対しても、詳細な部分は捨象されて、単純に貧しくてかわいそうな人みたいな印象しか持たないということか。
発展途上国のエリート層と議論するときには、こういうときにかなりの困難を感じる。
先進国で留学や就労などをして、先進国での感覚を身につけたようなエリート層はまた違うのかもしれないが、そうでない人に対しては、そもそも社会や世界に対して抱いている前提が異なるのだから、実りのある議論をするのは難しいかもしれない。いや、相互理解をすると言ったらいいだろうか、生易しいことではない。
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