おたまじゃくしの前足が出る瞬間。
山に暮らす我が家。
山にいるとつくづく自分が知らないことだらけだったんだなあって思うんです。
1日の大半はいつもと同じようなことやっていて、まあ、とりあえず知ってることって言ったらいつもがってるやり方くらいで、そこもいつものルーティンから外れたら見えてくるものが違ってくる。
いつもは朝ごはんの後やってる畑仕事を朝ごはんの前にやってみた時の、森の音から見えてくる生き物の動きとかも少し時間が違うだけで全然違う。
生き物を想う。
山に住んで思うのは、生き物の動きにも流れがあって、ここらは、雪が溶けてくる頃になると、家の中に入ってるクモの動きが活発になって、5月になって雪が完全に溶けて地温が上がってくると、お腹に卵を抱えてクモがたくさん行き来を始める。
そしたら蝶々やありが出てきて、もう少し暖かくなるとカナヘビが出てくる。
その頃になると6月すぎ。一斉にブヨが出てきて、もう一息暖かくなると、蚊が発生する。
それくらいの暖かさになると蜂が巣を作るために行き来し始める。ハエも出てくるので、この時期から一斉に死骸や腐敗物の分解の時期になるんだろうな。
7月はアブの時期がある。
もちろん夏の間はそれなりにいるんだけど、「一斉に」動く時期っていうものがあって、その時期を2週間ほど過ぎると、あれほどの動きを見ることもなくなる。
生き物ってそういう風にして、巣を作ったり、交尾したりしているんだってわかるとなんとなく、彼らの人生を想像できるようになって面白い。
学びってそういうことから発生するとワクワクするのかもしれないな、と勉強嫌いだった私は想う。
机上での学びをゲーム感覚(計算のように)で楽しめるタイプの人と、こうして自分の感覚でみてやっと楽しめるタイプの人がいるんだろうな。
カエルの前足。
1時間も玄関前で寝転がっておたまじゃくしを眺めてる私の写真を撮ってくれたムスメ。
この写真のように輝く瞬間を眺めておりました。
おたまじゃくしの前足が出る瞬間、見せてもらいましたよ。
エラのあたりが出っ張ってきたからそろそろかも、って思ってペットボトルに入れて下からずーっと眺めておりました。
1時間半くらい経ったけど二本目の前足はまだ進化途中。
途中で宅急便のお兄さんが来て、すみません!いつ出るかわからないからサインは息子に頼んでください、って言ったら息子にサイン頼んで寝転がってる私の横に箱を置いて笑ってかえっていったりなんかもしてね、笑。
それぞれのこたいによって時間差はあれど、卵から生まれてくるように足をにょっと出すんだよ。
左足が出て右足が出て。
休み休み小さな透き通った足を出していく。
疲れては休んで、本当に少しずつ自分の皮を破りながら。
小さな小さな神秘。
本当にすごいなー。
みんな一生懸命いきてるんだねー。
ちいさな、でも、とてつもなく大きな命の輝きだなっておもった。
いいところ見せてもらったな。
こういうことを感じたくて山に住んでるのかもしれない。
感動する日々がいつもある。
幼い頃、甘えられなかった悲しさとか、今でも自分と向き合うもどかしさとかを抱えてぶつかることがある。
目の前で起こったことが嫌で、その人のせいにしたくなることがある。
けれどもそこで立ち止まっていては苦しいだけで、自分の受け止め方を変えて今を超えていくしかない訳で、何かが起こった時のそれはきっとその人のせいではない。もちろん親のせいでもない。
そこを理解して自分ごととして考えていかない限り、形を変えて似たような心の葛藤が起こり続ける。
その時をどう自分の学びに変えていくか、それに尽きるのだとおもう。
そんな時に感動した時の心が私を救ってくれる。
ああ、生きてるってありがたいねっておもう。
色々あれど一生懸命生きてみよう、って思える。
誰しもが、どんな生き物でも今を懸命に生きてるということを常に目の当たりできる日々が私に大切な事を教えてくれます。
今日も一生懸命生きていこう。