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歩いた距離は100キロ。歩くことで旅になる。

今年もたびの支度をしています。

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手作りの帽子。

バックパック。
そしてお気に入りのものたち。

必要最低限の暮らす道具を詰めて、歩いてたびにでます。

いつもは車で行く距離を歩いたら、それはもうたびの始まり。

車で20分ほどの距離は、歩いたら数時間。

通り過ぎていたはずの景色も歩いてみたら見えてくるものが違ってきます。

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(旦那さんの友人父子が一緒に行くことに。我が家はこの時、母子での移動。初対面、異例の組み合わせに笑った。でもムスメは初めてあった小さな男の子にしっかり寄り添ってくれました。いろんなことを、目の前で決断して自分に誠意ある行動をしていく。旅は決断の連続。)


1日だけで帰ってくるたびも、自分の足で歩いてみたら大きなたびになります。

そんな経験を去年の夏は積みました。

そうして歩いた距離は100キロ。

北国の田舎を歩く人はほぼおらず、みんなが通り過ぎる国道も、農道も、山道も興味で立ち止まりながら、ゆっくりゆっくり歩いていきます。

緊急事態宣言??

だってね、わたしたちの選ぶ道は誰も歩いてない、笑。

田舎道、国道、山道。みんな車で通り過ぎていく道だから。

変わり者の私たち。

国道を歩いていたら側のパン屋さんが、頑張れって昨日のパンを差し入れてくれたっけ。

農道の真ん中にたってたキムチ屋さんに寄ったら、おかみさんが夕方になって目的地のキャンプ場に顔を出してくれて、手作りのコロッケと卵焼き、子供達が喜びだろうって思ってぶどうまで買って差し入れてくれたっけ。

車で移動していたら、何も起こらなかった関係が、歩くことでかわった。

わたしたちは昨年、こうして歩いて旅に出ることにはまりました。

10キロの荷物を背負って、歩いて10キロ。自分の限界を身をもってしりながら歩いた時間。

海に泊まったり、

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山に泊まったり、

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キャンプ場に泊まったり。

バックパックにテント、シュラフ、ガスバーナーと着替え。それに好きなもの。

バックパックはどんな家よりも小さなおうち。

わたしたちの暮らしの道具を詰めて、移動した先で暮らしを作っていく経験も重ねたね。

ここに何泊するか、明日はどこに移動して家を作るか、全て子どもたちの心に任せて何も決めずに、私たちは結局トータルでひと月をこんな風に過ごしました。

毎日、お天気を見て、どれくらい歩けるか考えて、泊まれる場所を決めていく覚悟。

徒歩での移動は引き返すにも数時間。3時までにつかないと、道に迷ったら夜になる。そんな緊張感。

実際に、そんな時にケータイナビが切れ、持っていった地図はそこだけ破れてる、なんてハプニングもありました。

その時の時間はすでに2時。母子での移動だったので、おてあげたわたしは子どもたちに相談。

子どもたちはもう1時間探してなかったら目印の駅まで引き返し、列車に乗ろうと決めました。わたしが携帯を持っていないので、(ナビ機能のみ使用可能)、どこかで電話を借りてなるべく家に近い駅まで移動してパパに迎えにきて貰えば今日中には帰れる、と。

見事、1時間後には子どもたちが目的地を見つけました。

このありがたさ。今日泊まれる場所がある安堵感。みんなで超えた自信。

「いつもは我が家があり、パパがいる安心を噛み締めながら暮らせてる。」

ムスコ11歳、ムスメ7歳、みんなで改めて感謝して。


そしてね、歩いて移動する旅は豪華なキャンプフードではなく、お味噌汁くらいしか作れない火起こし道具なので納豆ご飯やお蕎麦の日もおおくい。あといくら予算があるかも含めて子どもたちとたび中の生き方、暮らし方を全て公表して決めて行ったんですね。

生きるということをシェアする時間でした。

私たちは安心して生きられる日常のありがたさを噛み締め、旅に満足すると、うちに向かいます。

ある時は1週間、ある時は3日。わたしが膝を痛めて歩けなくなって、旅先まで迎えにきてもらうこともあったね。

旅の初日はワクワクして家を出るけど、それぞれの力を使いきり、もう疲れたねってなったり、パパがいないときは、そろそろパパに会いたいね、ってなり、そこでまた区切りをつけてうちに向かいます。

パパに途中まで迎えにきてもらった第一声はわたしたちみんなで、パパがいてくれる安心感っていいねえ、いつもありがとう😊、ってみんなで再会を喜んで。

パパなしで家を背負って移動し、暮らしを作り上げた数日、パパの大きさをそれぞれが噛みしめる。

日々が当たり前ではないこと、家族はかけがえがないということ。

生き抜く暮らしはそれを教えてくれます。

出会った人から優しさをいただくことにも只々感謝が溢れます。何で歩いてキャンプに行くの?って笑いながら会話を交わした人が差し入れを届けてくれたり、飴ちゃんをくれたり。

道を間違えた私たちを送ってくださった農家さんもいました。

コロナの最中にもたくさんの人さまの優しさがあることを痛感しています。

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(ゲストハウスに泊まった時もありました。ひとり旅の人に仲良くしてもらったこどもたち。こうして優しさの中から人を信じること、自分の日々を楽しむことを身体に染み込ませていくんじゃないかと思うのです。)

そうして自分がどう生きていきたいかをまたあらためて整理されていく。

私たちは、歩くことも好きです。

歩くとたくさんの知らないことを学べるから。自分の感覚で見て、触って、感動して。本当にね、ワクワクするんです。

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日々の中に感動と感謝を見つけながら生きていたいから。


そんな時間を去年は過ごしました。それはどんなことがあっても自分次第で日々の味わい方を変えていけるんだと教えてくれました。

だからわたしは思うんです。

コロナ騒ぎが始まり、大人の不安以上に、多くの子どもたちは不満な一年をすごしてきてるんだろうなとそうぞうしています。

子どもたちにとっての一年は大人よりずっと、大きなものなんじゃないかな。

不安を忘れてワクワクと興味に没頭する時間を。

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(硫黄山まで歩いた道のり。歩いてる人は誰もおらず、国道を車が通り過ぎていきました。けれども歩いて見えた景色がある。

この山に近づくまでに少しずつ、植物の植生が変わっていくのが目に見えました。歩いてみて初めてわかったことだから。)

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(湧き出た熱湯。ここに立たないとわからない匂いと空気がある。)

私が子どもたちに願う日々のすごしかたです。

大事な一年をどう過ごそうか、改めて丁寧に考えさせてもらった一年。

わたしは一応、笑、大人です。

少なからずいろんな経験を積んで今があり、何が起きたとて、今、自分は目の前をどう受け入れ、生きていきたいかを考える力があります。

だから子どもたちに思いを馳せています。

自然を観察したり、自分の手足を使って今できる冒険をしたりしてみる。不安を忘れて今の興味に没頭する時間を過ごして欲しいとおもう。

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わたしたちの生き方が誰かのきっかけになったらいいな、そう思いながら今年も、私たちは、できることの中でワクワクを見つけて過ごしていこうと思います。

大切な子ども時代、不安を減らす方法を彼ら自身が一つでも見つけていけるように。

そうしてそんな自分に希望を持ちながらいきていけるように。

そんな力がついたとしたら、こんな時代を生きることになったことも、前向きな意味を持ってくると思うのです。







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