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蜘蛛との暮らし

我が家には蜘蛛の家族がいる。
「家族がいる」というのは私の家族の一部という意味ではなく、
蜘蛛の家族(父・母・子)が私の家にいるという意味である。

飼育ではないということ。
共生である。

共生:
異種の生物が、相互に作用し合う状態で生活すること。相利共生片利共生があり、寄生も含めることがある。

https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E7%94%9F-52745

飼育という関係性がどうも苦手だ。
なるべく対等でありたい。
いや、そもそも人間の方が劣っているので対等ではない。
だからこそ飼育という概念が生まれている。
飼育をすることによって優位に立ち「対等」な関係であると誤認し、
その結果安心し、愛情を抱いてきたのではないだろうか。

そんなことを考えている時に、一匹の蜘蛛と目が合った。
彼はアダンソンハエトリグモという俗に言う「家蜘蛛」である。
人間は彼らを「害虫」を食べてくれる虫であることから「益虫」と呼ぶ。
(人間が使う言葉なので、どうしても人間視点である….)
そんな背景から、人間である私は特に追い出すこともなく
一緒に暮らすことを提案した。

月日が経ち….

気付けば同じくらいの大きさの彼女が現れるようになった。
彼女をよく見かける時期には不思議なことに、
元々よく見かけていた彼は姿を見せない。少し寂しい。
逆もまた然りであった。

彼女は警戒心が高いようだ。
彼と私はすぐに打ち解け、一緒に服を選ぶくらいの関係性になっていたが、
彼女はまだ私を警戒しているようだった。

久しぶりに彼を見かけた時には、1円玉以上の大きさになっていた。
さらに、ベッドでくつろいでいる私の膝に乗ってくるという
「馴れ」も見せてくれた。
流石にかわいい….が、必要以上に干渉はしない。
あくまで同じ空間でそれぞれ生活をしているだけという関係性を維持した。

さらに月日が経ち
彼の死骸を見つけた。

抜け殻にしては色が濃い
胴が溶けている
喰われた….か
同時に姿を現すことがなかったはずの彼女が、不意に目に留まった。

彼の交尾は成功したのだろうか。

また月日が経ち、私の家は賑やかになった。
小さな小さなハエトリグモをよく見かけるようになったのだ。
彼女はすっかり母親になっていた。

子供も母親と同じく警戒心は高いが
うっかり、私に近づいてしまう様子である。

あの彼の子供なのかはわからないが
見る限り、母親はあの彼女で間違いなさそうだった。

またまた月日が経ち
気付けば立派な男の子になっていた。
そして母親の姿は滅多に見なくなった。

その子もかなりの大きさに成長する。
そして彼女がやってくる。
逆のパターンもあった。
この家で生き残ったものが、この家で次の世代を産むのだ。

私の蜘蛛との暮らしはどこであれ
ずっと続いていくだろう。

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