音楽の歴史の間違った学び方
歴史は学問ではない
私自身、記憶術の特殊トレーニングを受けています。暗記基準の入試がよういされている日本の大学ならどこでも受かる自信があります。地図上で近い場所で東京藝術大学を選んだまでです。そして、日本の大学、いや世界の大学、いや世界の学校、学問全ての歴史教育が間違っているというスタンスです。
歴史は学問でないからです。そもそも学問として扱っている段階でおかしいのです。つまり、教科として「歴史」や「音楽史」がある段階で間違っていると考えています。
『反時代的考察』
『反時代的考察』はニーチェの2冊目の本です。
訳が正しいかいささか不安ではありますが、これがニーチェが批判した歴史主義です。
私は大いに同意します。というか、この思想からのスタートでした。
ちなみに
ちなみに、この『反時代的考察』ではニーチェはショーペンハウアーとワーグナーから影響を受けていることが書かれています。これが前提になっていることを押さえてください。
つまり、厭世主義として、人生は苦しみしかない、芸術が救済してくれる、とくに音楽だ!という思想です。
音楽理論
音楽理論の始まりもエトス論というのがあり、アポロン的な静的・知性的な状態と、デュオニュソス的な動的・感情的な状態とのバランスが考察されています。
音楽理論の歴史を振り返っても自分にどのように取り入れるべきかを考えるべきなのです。
音楽家一人について勉強しても
「この音楽家のこの作品はこの時代のこの社会情勢をこのように反映しており、この音階が、この和音がこのように構成されていて、誰の影響を受けて、どんな後継者に受け継がれて・・・・・・」
これが音大で学ぶ音楽史です。なんやねんこれ?
「先生! この史実をどのように先生はご自分の人生に役立たせたのですか? 役立ってないですよね? だってそんなところで子供相手に話して、給料もらってるだけですもんね?」
と、ロスの音楽高校、バークリー音楽大学、東京藝術大学とずっと思い続けていました。今でも思っています。
やるべきこと
「この史実があるなら、自分はこれをやってみよう」
これだけでいいのです。
私は音楽家一人の行動一つを知ったら、一つ行動をする・・・これを推奨しています。
そして提案します。
自分で考えてください。私の意見として提案しているだけです。それをワークとしてできるようにしました。