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音楽家がバッハから学ぶこと5選?

バッハ

音楽の父・・・なんて呼んでいるのは現代っ子だけです。あたかも偉大な功績を残しながら崇拝されて尊敬されて大スターとして存在していたようにイメージしてしまいますよね。でも、本当は誰も知らないタダの地元のサラリーマンとしておとなしく死んでいったのがバッハです。

①パクリ

先生の持っている他の作曲家の楽譜をこっそり書き写して、勉強して、自分の音楽に取り入れること・・・・・・ これを「学習」と呼ぶのです。ピカソはじめ多くの芸術家が「一流は盗む」と言っています。盗んでそのまま演奏する。何か自分流に改良できないかを考える。型から離れて独自のものにする。この流れは日本武道界でいわれる「守破離」そのものです。日本人の私達こそバッハのこの姿勢を学ぶべきです

②リサイクル

バッハは教会で毎週新しい曲を書く仕事に就いていました。前に書いた曲の一部を再利用したり、ちょっとアレンジを変えたりして上手くリサイクルしました。これにより効率良く毎週曲を書くことができたのです。芸術家としての創造なのか、労働者としての作業なのかを割り切っているところは、私達職業音楽家が見習う部分です。

(私は今自分が書いた本をリサイクルしながらこのノートを書いています)

③サラリーマン魂

私達現代の音楽家はバッハを音楽の父のように崇めていますが、当時は誰も知らない地元のサラリーマンでした。最後の就職先も「あの有名音楽家も都合悪いし、この音楽家も無理らしいから、まぁバッハで良いか」くらいで決まった仕事です。壮大な《マタイ受難曲》も「なんじゃこりゃ?」と評価されないまま亡くなりました。数十年後にたまたま《マタイ受難曲》を発見したメンデルスゾーンがバッハを有名にしたのです。そこからバッハの作品を掘り出すと宝の山だったということです。人目に付かず一生懸命生きたサラリーマンが没後に評価されるようなものです。私達も現在の評価に一喜一憂している場合ではないかもしれませんね。

④子育て

当時はバッハといえばフリーデマン・バッハ、CPE・バッハ、クリスチャン・バッハを意味しました。バッハの子供達です。私達が「バッハ」と呼んでいるヨハン・セバスチャン・バッハは、自分が大学に行けなかったので子供達には正当な教育を受けさせたいと思って、サラリーマン音楽家として頑張って稼いで、子供達に音楽教育を受けさせて有名音楽家に育て上げた父親としてすごい人なのです。私達も音楽家として後継者の育成にも力を入れたいものです。

⑤総まとめ

バッハの音楽で私達が知ることができるのはバロック時代の総まとめです。オペラ以外のバロック時代の音楽を俯瞰できます。雑な説明になりますが、たくさんの作曲家の音楽を聴かなくても、バッハさえ聴いておけばバロック時代のオペラ以外の音楽はだいたいわかるということです。パクったり、リサイクルしながら、サラリーマンとして子供達の教育のために頑張った結果です。私達も今は日の目を見なくても、数百年後の音楽家が今の時代を俯瞰できる音楽を残したいものです。

上記元ネタ

上記の元ネタは以下の『音楽家の歴史吸収術』です。100人の音楽家から5つずつ即、ご自身の音楽人生に取り入れられるように書きました。

史実をつらつら並べた本ではありません。

上記内容を気に入って頂けましたら是非本書を手に取ってお読みください。

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津本幸司

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