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25歳一日目。「哲学は自覚の学である」。

今日ってかもう昨日になるところですが、誕生日だったんですよ。25歳になりました。
色々な人が祝ってくださった。文字通りとても有り難いことです。

しかしもうすっかり大人なので、誕生日といっても普通の日常があって、学校があって、哲学しておりました。

今日は学校で彼氏が発表担当だったので、昨日の晩から付き合って議論して、半ばピリピリしながらごはん食べてささやかに祝ってもらって。
朝ふつうに起きて、日中から研究室で提出書類のために割とちゃんと研究をがんばって。
そしていよいよ本番、彼氏が先生にめためたにされたところを横目に見て。
あちゃーと思って、
学校の閉門までまた次の勉強会やって。

そして今帰宅。

25歳一日目はこんな一日でした。

それだからもう今日勉強会で検討したこととか、自分の研究のことで頭がいっぱい。

勉強会のレジュメにしろ、提出書類にしろ、
「自分が何のために書いているのか」
「自分が書いていることにはどんな意義があるのか」
「この文章を最後まで読んでもらうだけのメリットを読み手に提供できるか」
みたいなことがグルグルしている。

だからこうやって思いつくままにnoteに書いてるなんていうのは破綻しているともいえる。

でもまた一転して、実は破綻していなくて。

noteを今書いている目的は、よくよく考えれば
「物好きに届け!わたしの排泄物!」だからです。
勉強会のレジュメ書いたり、提出書類用に自分の研究を説明したりするのとは目的も、読み手も、全然ちがうということ。
だから破綻していない。自分が何を書きたかったのか、言いたかったのかをよくよく考えたらね。

「言葉」っていうのは、やはり周囲に規定されて機能するのだなぁ。
(和辻哲郎も言ってたもん)

まぁいずれにせよ、今日一日のまとめ。
「哲学は自覚の学である」。

(伝わる人に伝われ)