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わたしは平成十年生まれなんですけども。
久方ぶりの投稿です。
最近思ってることをつらつらと。
ただただ時代を懐古する話です。
私は平成十年生まれ、西暦で言えば1998年生まれなんですけども、
我々の世代って時代のビミョーーーーな所、
過渡期を生きてるなぁって最近よく思います。
30歳が見えてきて、体調にもちょっとずつババアの気配がしてきて、その都度よく思います。
一.私が生きた時代のかんじ
例えば、世紀末は1999年と2000年生まれの世代ですし、新世紀は2001年からです。
(私の妹はシンジ君とタメであります。)
私が生まれた当時、ノストラダムスの予言で1999年7月に世界は滅びるとされていて、オカルトブームの真っ只中(らしい)。
でも世界滅亡を逃れた実感は、赤ん坊なので当然ありません。
テレビ番組で言えば、
幼児期に「おジャ魔女どれみ」を途中から見て、
話はよくわからんまま「明日のナージャ」を見て、
「ふたりはプリキュア」が始まったのを明確に覚えている。
ガジェット周りで言えば、
私が小さい頃、まだ録画はテープでした。
DVDが出て、ブルーレイが出て、という推移をリアルタイムで見てました。
初代ニンテンドーDSと「たまごっちプチプチおみせっち」が7歳の時のクリスマスプレゼントでした。
DSライトになり、Wiiが出て、3DSが出て。
初代「どうぶつの森」は知らず、しかし「おいでよ」を知っています。
中学校に上がる時、ゆとり教育が終わりました。
ケータイ小説が流行っていたけど、ケータイがないから文庫で刷られたものを読んでいました。
中学で携帯電話を持っていた子はガラケーで、
iPodを持っている子は既にラインをしていて、
USB型のウォークマンだった私は友達との連絡を学校の連絡網と家電(イエデン)で取っていて、
高校生で携帯を持たせてもらった時、最初からスマホでした。
ラインの他にはツイッターとフェイスブックをやっていて、
高校生活の途中でインスタが出てきました。
最初インスタにはストーリーなんかなくて、
淡々と写真だけが浮上してきて、
そこまで仲良くない関係性でもリア友の投稿すべてにいいねする風習がありました。
高校生の時ギャルは既にほとんどおらず、
メイクはこれって流行りも特になかった。
スクールカースト上位には、
ブラウスの胸元開けて超ミニスカでバンギャみたいな子もいたし、
ブラウスのボタン全部留めて、スカートはミモレ丈で、モードっぽいメイクした子もいた。
おしゃれさんにはざっくり二種類がいました。
「エモい」は既にあったかな。たぶん。
自然発生的に「エモ〜」とかは言ってた気がする。
音楽は大森靖子とクリープハイプを聴いていました。
私はあまり詳しくなかったけど、カラオケに行くと友達がボカロ曲を歌っていました。
「からくりピエロ」とか、「吉原ラメント」とか、「脳漿炸裂ガール」とか。
米津玄師はまだハチでした。
既にちょっとだけ懐かしくなっていた、
ゴールデンボンバー「女々しくて」の良さに気づいたのはこの頃です。
ネットの中では「ゆめかわいい」や「病みかわいい」が幅を利かせていました。
ピンク、紫、青っぽい宇宙のサムネイルとか。
「ヤンデレ」と「メンヘラ」って何が違うのとか。
「ファッションメンヘラ」だとか。
黒髪姫カット、ピンクと水色のギンガムチェックのハートスタンプで口元隠す、みたいな自撮りアイコンとか。
ふわふわなフィルタリングしたリスカの写真が流れてくるとか。
それでも「地雷系」は未だ存在しませんでした。
家出や援交や不良は既に廃れ、「パパ活」は未だ存在せず、しかし「オフパコ」はありました。
ハタチになって、ちゃんと条例を守って、憧れていたタバコを吸い始めた矢先、
電子タバコが登場し、紙巻タバコは廃れ、
コロナ禍で喫煙所は軒並み消えていきました。
そんな世代です。
二.いつも最後尾と最先端にいる
一応私も「Z世代」らしいのですが、たぶん逆算して計上されてると思う。
「ゆとり世代」と「さとり世代」の両方にちょっとずつかかっている。
平成十年生まれというのは一見キリが良いかもしれませんが、物心ついたのはもう平成の後半。
正直、ど真ん中を生きたという実感は乏しい。
憧れたおねえさんたちの服やメイクや流行は、
私が覚えた頃、世間では既に流行遅れ。
かといって、令和の令和感には乗り切れてない。
と、思って勝手に疎外感を感じている今日この頃。
だったのですが、
これ裏を返せば、いつもけっこう先駆けをやっている。
時代の最先端を走っている。
ということですよね?
(結果的に。)
(我々が令和の流行を作ったんだ!みたいなことではなくて。)
プリキュアを大人になってググってみたら、
それまでの女の子向けアニメへのアンチテーゼ。「女の子だって戦える」ことの象徴らしいじゃないですか。
それらを明確に、いの一番に見て育った女児。
我々はたぶん、フェミニズムを内面化して生きてるのですよね。
「地雷系」(別にとりわけよいことではなさそうだが)や「エモい」の素地になったのも、
たぶん我々が愛でた「ゆめかわいい」とか「病みかわいい」。
あと、レトロブームを作ったのは我々ではないかって自負はあります。
我々は嵐やAKBやボカロで育ったから、演歌や歌謡曲やフォークをむしろ新しいと思って聴いてた。
車を持つのが当たり前ではないから、友達と顔を合わせるのに古き善き喫茶店を使う。
いつも時代に置いていかれているというわけではなくて、
我々が「良い」と思ったもの、「素敵だ」と感じたこと、
それらを現実と折り合いつけつつ貫いたことが、
次の時代っぽさになっていく。
そういう風に考えたら楽しいじゃないか。
過渡期を生きるのは楽しい。
振り返って見れるようになるまでは、そもそもいつも過渡期なんだ。
結.そんなに怖えか新時代が
例えば「明治維新」って我々から見たら「激動の時代」ですが、
当時を生きていた人々がすごい激動感を感じていたか?っていう。
実は我々が思うよりなかったんじゃないか?って思うのです。
日常的な目先の不安や心配があって、戸惑いがあって、困りごとがあって、
案外それだけだったんじゃないかって。
でも後世の我々から見たら「凄まじい時代を生き抜いた」となる。
逆に「縄文時代」や「江戸時代」や「中世ヨーロッパ」って他の世界史を知ってる我々から見たら平和で退屈で、人によっては進歩のない時代と見なすのかもしれないけれど、
そこに生きてる人々やその足跡なくして、次の時代には繋がらないのですよね。
我々は後から「なんかすごい出来事」をピックアップして印象に残すだけですから、
印象や史実に残らない時代の人々の存在を思い出して、なんというか、安心していいように思うのですよね。
出来事の隆盛や衰退といえど、
それって結局相対的なもの、結果を見て後から反省したものにすぎなくて、
今まさに生きてるっていう時に、
そんな判断なんてつかないのですよね。
要は何が言いたいかというと、
かなり停滞ムードを漂わせている日本だけども、
今真っ只中にいるからよく見えないだけだ、
ということ。
「時代に取り残された〇〇」みたいな紋切り型の言葉があるけれど、
取り残されるわけがないんですよね。
構造的に。
我々が生きているという一挙手一投足が、即ち時代。
そんなようなことを、
アラサーが見えてきて冬だろうが夏だろうが足首が冷える今日この頃、
漠然と考えています。
【余談】危機の時代の田辺元
専門にするまでではないものの、門下内で読んでいる哲学書に、
田辺元の最晩年の著作、『死の哲学』というのがあります。
田辺は本の中でしきりに
「世は原子力時代」「死の時代」等々と表現します。
田辺の主題、その思想の軸は、西田哲学との対決やハイデガー哲学との対決、「死の自覚」の思想にあるものの、
節々に当時(敗戦後と冷戦下)の緊張感を感じさせます。
んで、田辺の没年を見てみると、1962年。
これ、キューバ危機の年なのです。
気づいた時、すごくゾッとしました。
「核戦争をすんでのところで回避した」
という出来事なのです。
世界が滅びてしまうかもしれない緊張感の元、そのピークに達する只中に、
田辺は「死の哲学」を著していたのです。
この凄まじさ、私が感じている畏怖感、
伝わりますかね?