エージェント・キース#4「戦場のビッグフット」
静まり返った夜のジャングル。木々のざわめきや虫の鳴き声が反政府軍のゲリラたちを包み込む。
迷彩模様のフェイスペイントを塗った彼らは用心深く獣道を進んでゆく。暗闇に向けて構えるAK-47には土埃が付いていた。
「橋まで500m圏内だ。用意しておけ」
そう部隊長が言うと、兵士の一人が橋爆破用のC4を取り出した。
この先にある川の橋は敵が架けたものだ。奇襲攻撃で破壊すれば車両は大幅な迂回を余儀なくされる。だがこちらは自然の中に隠された秘密のルートを知り尽くしている。この作戦が成功すればこちらが優勢となる。
その時、夜空の静寂を遮るように赤い閃光弾が放たれた。樹木の隙間から強烈な光が兵士たちを照らし出した。
「敵襲!」
「クソッ、バレていたか!」
ゲリラたちは散開し、生い茂る木々に隠れる。バースト射撃をする銃声が幾重にも木霊する。射線を示す洩光弾の光線がレーザーのように交錯する。両軍とも、サイトが碌に見えぬこの暗闇の中では曳光弾が照準の頼りなのだ。
ゲリラたちは弾をばら撒き続ける。見えない敵を狙って撃つのではなく、弾幕で敵にプレッシャーを与える撃ち方だ。手探りの銃撃戦が繰り広げられた。
しかし突如、敵の攻撃がピタリと止んだ。ゲリラたちの間に嫌な予感が走った。
「あ、あれはなんだ!」
奥からぬるりと現れた巨大な影。それは有機的な脚を備えた4メートル級の二足歩行兵器だ。
噂に聞いたことがある。ビッグフット。奴はその巨体に見合わぬ器用さで入り組んだ樹海を掻き分け、神出鬼没で現れる死神だと言うことを。
右腕に備わったミニガンが回転を始める。ミニガンは数発ずつ、この暗闇の中で正確無比に無駄なくゲリラたちを一人ずつ射抜いてゆく。
「狼狽えるな!脚を狙え!」
部隊長の指示に従い、ゲリラたちは一斉にビッグフットの脚部を狙う。だが、陶磁器のように白く丸みを帯びた装甲が全て弾き返す。
ビッグフットは脚部への攻撃を歯牙にかけず、なおもゲリラたちを射抜いてゆく。彼らは傷一つ与えることすらできず犬死していった。
上手くビッグフットの視界へ逃れたゲリラ兵が一人。彼は爆破用C4を携えている男だった。このまま逃げても必ず奴に見つかる。ならば。
男はC4を身体に巻きつけた。奴の死角を見定め、男は草むらの陰から飛び出た。握りしめる手には起爆スイッチ。
「ウオオオオ!」
奴の足元まであと10メートル、7メートル。このまま奴の脚に組み付く。5メートル、4メートル。そしてスイッチを押すだけだ。
3メートル。奴が突如こちらを振り向き、その巨体を屈めた。
「え」
男は身体をくの字に曲げて吹き飛んでいた。後方の巨木に激突する。その衝撃が手の中の起爆スイッチに伝わった。
ビッグフットは振り払った足を元に戻した。その後ろで赤い炎がぱっと散った。
エージェント・キース:#4「戦場のビッグフット」
1
赤茶色の未舗装路を走るトラックの上で、粗末な戦闘服を着た兵士たちがAK-47の擦り減ったストックを固く握りしめながら揺られていた。
パクテの町が敵勢力の奇襲を受けた。その知らせが届いたのは今から30分前だった。パクテは小さな町であり、前線から離れた場所なので警備が手薄になっていた。そこを突かれたのだ。
とうとうあそこまで敵が攻め込んできた。焦りと緊張が、汗と泥にまみれた男たちを乗せた荷台の間に立ち込める。だがその奥で一人だけ洞窟の闇の如く沈黙を貫いていた者がいた。谷底の深淵のように目深に被ったカーキ色のフードから顔を覗かせず、微動だにしないその姿はさながら硫黄が立ち込める岩山の干からびた老木を思わせた。
向かい合わせに座っていたジェイクはフードの男の存在にふと気が付いた。ずっと目の前にいたはずなのに、なぜ今まで気づかなかったのだろうと思うと悪寒が走る。
そういえば奴とは今まで同じ部隊と戦って来たはずだが顔を見た記憶がない。それどころか、奴がいつこの部隊に舞い込んできたのかすら覚えていない。
不気味だ。幽霊でも見てしまったのではないか。目を離したら奴がまたこの空間から霞のように消えてしまいそうだ。そう思ったジェイクは、彼を握りしめるようにじっと睨み続けた。
兵士らを運ぶトラックが町に差し掛かった。ビルや民家はところどころ崩れ落ち、乗り捨てられた車が炎と黒煙を上げる。だが戦場と化した筈のこの町は奇妙な静寂に包まれていた。
得も言われぬ異変にAKを握るジェイクの手に汗がじっとりと滲む。
「おい、見ろ!」荷台から乗り出して前方を見ていた隣の兵士が唐突に指さして叫んだ。「マンハントの奴らだ!女子供が連れ去らわれるぞ!」
ジェイクが顔を覗かせると、広場の一帯をハンヴィーやトラックが取り囲んでいるのが見えた。敵に雇われた余所者のPMC(民間軍事企業)兵が泣き叫ぶ主婦や子供たちを車に押し込めていく。それを援護するように敵はレジスタンスたちと応戦していた。
トラックがタイヤを滑らせながら急停止を始めたその時である。
ジェイクの目の前にいた男が忽然と消した。残っていたのはひらひらと舞う薄汚れたフードだけだった。そしてジェイクはその黒い影を目で追った。 そして影は黒髪を空になびかせる男へと姿を変えた。
「トォーッ!」
他の者が荷台を降りる前にその男は敵に向かって飛び立っていた。男が手にするグロック19から冷徹な9mmパラベラム弾が火を噴く。
黒髪の男は広場を塞ぐハンヴィーを蹴り、宙返りと共に軌道を変える。数々の弾道が男を追うが、影を掴むが如くするりとその脇へと抜ける。代わりに空を舞う影から放たれる鉛の矢に次々と心臓を貫かれてゆく。そしてPMCたちは狙いを定める間もなく白銀の閃光に切り裂かれ、斃れていった。
そしてもう一台、レジスタンスの仲間のトラックが到着した。
「フォーメーションB!狼狽えるな!」
トラックからと女の勇ましい怒声がレジスタンスたちに轟いた。トラックの荷台から出てきたその女は赤髪で、身を包む戦闘服が所々擦り切れていた。唇は砂埃で汚れ、麗しさの片鱗を残しつつも雄々しき野犬のような瞳をしていた。
ミランダと呼ばれたその女に続き、配下の精鋭たちも荷台から早業で飛び降り、機械的なシンクロで陣形を展開してゆく。
黒い影の男が白銀の閃光を走らせる最中、レジスタンスはそのAK-47で周囲の敵たちを無駄のない洗練された動作で排除していった。
「姉貴――ミランダだ!俺たちも加わるぞ!」
そう言ってジェイクたちも彼女の姿に奮起され、敵に猛攻を仕掛ける。
一糸乱れぬ民兵たちの反撃に押し返されてゆくPMC兵たち。だがしかし、レジスタンスたちが戦っている最中に、拉致した住人たちを押し込めたトラックは足早に撤退していった。
「クソッ、取り逃した!」ミランダが呪いを吐く。「奴らめ、とうとうこの町にも来はじめたか」
辺りの人間がざわめき始める。親族を連れ去らわれて慟哭を始める者もいた。
「マンハンターめ――」ジェイク。「誰にも気付かれず、神出鬼没で抵抗できない女子供を攫って行く。あのハイエナPMCの中でも一番タチの悪い部隊だ。だが助けに行くったって奴らの基地の警備は厳重だ……」
「ならば俺もその作戦に助太刀しよう」
どこからか男の声がした。皆がその方向へ顔を向けると、闇を切り取ったような男の姿があった。彼はマットブラックのスーツにカーキ色のプレートを身に着けていた。
男がミランダの方へとゆっくりと歩み寄ってきた。周りにいた民兵たちに緊張が走る。
「あのPMC、一見ゴロツキに見えるが相当訓練されていると見えた」
「おい、なんだよ突然ズケズケと入り込んで来やがって!」ジェイクが痺れを切らしてキースとミランダの間に割って入る。周りのレジスタンスたちもざわめき始めた。
「待ちな!この男は敵じゃない」ミランダがそう言うと、男たちは一気に静まり返った。「会えて光栄だわ、エージェント・キース」
2
その晩、レジスタンスたちはパクテの町にあるビルの一室で晩餐を取っていた。キースは薄暗い別室でコンクリートの壁に寄り添い、ジェニファーと連絡をしていた。
『また迂闊な行動に出たわね、キース。あなたは本来、ミランダ以外に姿を見せずに彼女と合流する手筈だったはずよ』
「人さらいの現場と直面したんだ。みすみす出ない訳にはいかないだろう」
『勘違いしないで。あなたは完全無欠のヒーローじゃないのよ。事実、あなたがしゃしゃり出ても奴らを取り逃がしてしまった。もっと大局を見据えるべきよ』
「だが仮にあのアクシデントで手助けせぬままミランダと接触したとして、心象的に十分な支援を受けられるとは思えん。ジェニファー、戦場は生き物だ。大局を見据えるのも大事だが咄嗟の決断を求められる時もある。俺はこのまま救出作戦に同行してミッションを続行する。いずれにせよターゲットも人質も同じ基地にいるから、むしろ今回の件で彼らは強い味方になる。作戦の概要をここで振り返りたい」
そう言ってキースは懐から地図を取り出して広げ、ミッションの概要を振り返る。
インド洋に面するこの東南アジアの小国・マノルは、長年の独裁政権と反政府勢力による紛争が続いていた。長年膠着状態にある両者だったが、政権側が先のPMCを雇い入れたことで戦局は急変。以降レジスタンスたちはジリ貧の戦いを強いられていた。
しかしある日、衛星写真で撮影されたPMCの基地にNATO国の試作兵器が運び込まれ疑惑が持ち上がった。東側勢力のマノル政府にNATOの兵器が輸出されること自体があり得ない話だが、その中で使用される日本製のセンサーは特に最重要機密の一つである。動かぬ物証としてシリアルナンバーの書かれた制御基板を持ち帰る、というのが今回の任務である。
『あなたはよく知っていると思うけど、1993年にソ連が市場経済を導入してから各地の多国籍企業が独自の自警団を持ち始めた。特に、1999年のアルゼンチン紛争で日本のミヤモト社が自社の農園の自警団を大々的に前線に投入したことで、企業は国から独立した勢力として認識され始めたわ。今回のミッションはその挑発的な不正輸出を繰り返す企業を牽制したい、というNATOの思惑があるわ』
アルゼンチン紛争。キース自身もかつて、アメリカのエージェントとしてそこに潜入していた。スティーブと出会ったのも、ジェニファーからスカウトされたのもあの紛争が切っ掛けだ。あそこから世界も己自身も少しずつ変わっていった。
『最後に言っておくけどキース、あなたのその心は強い武器になるけど、時として致命的な弱点にもなり得るわ。大局とか作戦とか関係なく、ね。そのことを覚えておいて』
「任務が終わってから茶でも飲みながらゆっくりと話そう。以上だ」
ジェニファーとの連絡を終えたキースは民兵たちのいる大部屋へと戻った。部屋に戻ると、ミランダが立ち上がって皆の前に出た。男たちは全員、彼女の方へ向いた。
「今回、このパクテがとうとう奴らの歯牙に掛かり始めた。その上わざわざマンハンターをけし掛けて我らの誇りと親族を愚弄する、下賤な挑発行為に乗り出してきた!我々はこれ以上、手をこまねくわけにはいかない。翌夜、北西にある奴らの本拠地に総攻撃を仕掛け、攫われた者たちを救出する!」
晩餐の席を囲う兵士たちの反応は微妙だ。一人の男が手を挙げた。
「ちょっと待ってくれ。あそこにはビッグフットが何機もいる。その上あそこは窪地だから裏から攻めるのも難しいぞ」
「それについては俺から説明しよう」ミランダの陰に立っていたキースが壇上に現れた。「奴らPMCの名はサンド・バルチャー(砂のハゲタカ)。その名の通り賊のような連中だが、それなりの規模を誇っている組織だ。だがそれ以上に問題は例の『ビッグフット』とやらだ」
キースはミランダから渡された写真を見た。そこには世闇の中で二本足の兵器がぼんやりと写っている。
「こいつの詳細や流通経路は不明だが、基地の防衛の要となっているのは明らかだ」
「そんなこと改めて言われるまでもなく分かるぜ」とジェイク。「奴らはジャングルをゴリラのように掻き分け、出会った人間はどこに隠れようと正確無比に撃ち抜かれる。どいつも口をそろえて言っている」
「しかし勝算はある。奴らは徒党を組んで荒らし回るのは得意だが、防衛戦に回るとかなり脆い。特に奇襲攻撃となれば尚更な」
そこにミランダが付け加える。
「そこで今回、この作戦に彼も加わってもらうことにした。彼には真後ろの崖からビッグフットの格納庫を単独で破壊してもらう。それを合図に私たちの舞台は正門からの陽動を行う。そして側面の営舎から人質を救出する部隊は――ジェイク、あなたがリーダーよ」
3
翌日の深夜、人質救出作戦は決行された。
C4爆薬を手渡されたキースはパクテの町から数十キロ離れたジャングルで本隊と分かれ、教えられたゲリラの秘密ルートを辿り始めた。秘密ルートは獣道同然の険しさであり、宵闇の中では見極めることすら困難である。このような道は衛星写真にも探知されづらい。ローテクなレジスタンスたちが政府軍との勝負を可能にする秘策のひとつなのだ。
そのような道をキースは星明りさえ届かぬジャングルの中で正確にトレースし、音を立てず風のようにすり抜けてゆく。彼が身に纏うカーボン筋線維スーツの力と長き訓練で鍛えた眼力があって成し得る技だ。
そしてジャングルを抜けると満月が顔を出し、眼下に窪地が広がっていた。テントや営舎などの人工的な建物が立ち並び、眩いサーチライトが番犬のように部外者に目を光らせている。
キースは音もなく崖を素早く降り、闇に紛れてビッグフットが眠る格納庫へと向かった。格納庫の中に入ると、そこには3台の二足歩行兵器が鎮座していた。全高は約4メートル、コックピットから手足が生えたような形をしている。
腕には7.62mmミニガン、左腕には大型のマチェーテ。そしてコックピットには例のスマートセンサー。
メインはミニガンとスマートセンサーの組み合わせであることが想像つく。なるほど確かに反乱軍の者が口々にしたように、巧妙に擬態した神出鬼没のゲリラもこのスマートセンサーを目の前にすれば丸裸も同然である。一方のマチェーテの刃先には何か太いものを切った使用感が残っていた。この基地を開拓する際に伐採目的に使ったのだろう。
右肩には重々しいミサイルポッドらしきものがある。こちらは対戦車用の分隊支援が目的であることが明白だ。相手の反乱軍も少ないながら装甲車などを保有しているので妥当だろう。しかしながら車両が入れない樹海での戦いが主な活躍場なせいか、使用した痕跡が見られない。
それよりもひと際目を引いたのが脚部のフォルムだ。有機的で筋肉質丸みを帯び、カモシカの脚を思わせる形態をしている。人工筋肉に沿った白い装甲は陶磁器を思わせた。キースはその物体に見覚えがあった。
ナノカーボン筋線維。彼が身に纏うスーツと同じ、秘匿技術の塊だ。泥で汚れたビッグフットの足元にはわずかに血痕が残っていた。
「なぜ奴らがこんな代物を――」
『獲物は想像以上に大きいみたいね』ジェニファーの通信が入った。『こんなプロトタイプ、聞いたことないわ』
「だがこいつはどうやって運ぶ?」
『カーボン筋線維は公表するにはあまりに危険な物よ。今回は当初の予定通り、センサーだけ回収しましょう』
キースはビッグフットの一台からコックピットの先端に取り付けられたセンサーを力づくで引きずり出し、中から目的の基板を取り出す。
「目的のオブジェクトは回収した。あとはこのプロトタイプを破壊する」
キースは格納庫から脱出し、各所に設置したC4爆薬のスイッチを押した。
轟音と共に崩れ去る格納庫。その時ふと、遠くにもう一体のビッグフットが動いている様子が見えた。
「おのれ!」
キースは急いでその方へ向かった。
――
基地の最奥部から爆音と炎が上がった。ジェイクの部隊4人は杭で打ちつけたロープを伝って崖下へと降りてゆく。
正面口の陽動部隊がPMCたちと戦闘を始めた。目指すは営舎。戦火を縫ってそこへと向かう。
営舎は二階建ての簡素な構造となっている。裏口に辿り着いたジェイクたちは錠を銃で撃ち抜いて侵入を開始した。
狭い廊下を4人が警戒しながら進んでいく。
「ツーマンセルで救出対象を探そう」とジェイク。
4人は二手に分かれ、1階と2階を捜索開始した。だが、どこにも人質の姿は見当たらない。
「ここに地下室の階段があるぞ!」1階のチームの報告を受け、ジェイクたちはそこに向かう。小さな物置部屋のロッカーの陰にその階段が隠れていた。
ジェイクたちはその階段を下りてゆく。地上の戦闘の余波で時折天井から埃が落ちて来る。階段を下りたその先で、手足を縛られた人質たちが檻の中に閉じ込められた。
「みんな、もう大丈夫だ。俺に付いてきてくれ」
そう言ってジェイクたちは人質たちを促し、地上へと脱出させる。
「頭を低くしてくれ。ここは危険だ、ミランダたちが足止めしている間に脱出するぞ」
廊下に出て人質たちを先導しようとしたその時、建物の壁が崩れ、巨人のような影がジェイクたちを覗いていた。
『甘いぞ!貴様らの計画は完璧だと思うてか!』拡声器からがさつな男の声が響き渡る。巨人の右手に備わったミニガンが回転を始める。
『ミンチになってくたばれ!』
蛇に睨まれた蛙の如く、ジェイクの脚が凍り付きそうになった。だがジェイクは動物的本能から来る恐怖を振り払い、最期の気力を振り絞って人質たちを庇おうとする。
巨人の背後で爆発音がした。
『誰だ!』
巨人がその巨大な体躯で振り向くと、土煙の中からグレネードランチャーを構えた影のように黒い男が出てきた。
「やはり貴様か、ハゲタカのアレックス」
キースはビッグフットのコックピットに跨るスキンヘッドの黒人を睨む。
『それはこっちの台詞だ、小僧!』アレックスは左まぶたから縦に引き裂かれた傷痕をさする。『この傷が痛む度、貴様への憎しみを燃え上がらせていたのだ!今日ここが貴様の墓場だ!』
回転するミニガンの矛先がキースへと向かう。アレックスのコックピットのHUDがキースの姿をロックオンする。
『死ねェ!』
ミニガンから無数の閃光が噴き出す。キースはしなやかな連続側転で弾を回避する。銃弾のラインが執拗に追いかけて来る。スーツの脚力で周囲のコンテナやテントを蹴って変則的に弾を避ける。弾幕はなおも滑らかな動きでキースを追いかけてゆく。
暗がりの中、ここまで正確にターゲットを捉えられる秘密は一体何なのか。アレックスが見据える透明なガラスのHUDにはキースの形がクッキリとハイライトされ、ビッグフットの右腕が半自動的にキースの動きに合わせて予測射撃する。それを可能としているのは先端に取り付けられた最新センサーの賜物である。
そのことを思い出したキースは物陰に隠れ、センサーの眼から逃れる。ビッグフットの裏に回り込むルートを見定め、颯爽と駆け出す。
そしてビッグフットの死角に現れたキースは先端のセンサーをナイフで破壊する。センサーは火花を散らして地面に転がった。
『ERROR:センサーに異常発生』アレックスのHUDに赤い文字で警告が発せられる。
キースがビッグフットの足元から距離を取ろうと跳躍準備をする瞬間、それより早くビッグフットは動物的な動作で屈みこみ、その丸太のようなカーボン筋線維の脚でキースを蹴り上げた。
『甘いぞ!』
殺人的な蹴りを受けたキースは身体をくの字に曲げて吹き飛ぶ。スーツのフレームが幾分か衝撃を抑えたが、それでもなお反動による内臓へのダメージは免れない。
そのままキースは真後ろのテントを巻き込んで倒れた。テントは砂埃を立てて倒壊した。
だが奴はこの程度でくたばる男ではない。そう思ってアレックスは倒壊したテントの前にミニガンの狙いを定め、トリガーを弾く。ミニガンは引導を渡すべく、再び回転を始めた。
「トォーッ!」
瓦礫から飛び出たキースがテントの手には長く伸びるテントの支柱が握られていた。
ミニガンの銃砲から目まぐるしくオレンジ色の閃光が夜の戦場に瞬く。
すかさずキースは手に持った支柱を目の前で回転させる。鉄パイプは砂埃を巻き上げながら残像が見えるほどの速度で弧を描き、巨大な円盾と化した。大盾がミニガンの弾幕を、火花を散らしながら弾き飛ばしてゆく。
キースは額から汗を流しながら全神経を目の前の鉄パイプに集中させる。自身もパイプもこのままでは長く持たぬことは明白だった。しかしキースはその先にあるミニガンの銃口が赤熱していることにふと気付いた。相手のオーバーヒートを起こし始めているのだ。
反撃を仕掛けるならば弾幕が途切れたその瞬間だ。オーバーヒートで撃ち止んだと同時に、最後の一発で鉄パイプが遂に折れた。
「トォーッ!」
キースは地面を蹴り、折れた鉄パイプを片手にビッグフットの足元に飛び込んだ。そして鉄パイプの切っ先をビッグフットの脚部装甲の隙間に突き刺した。
『フン、蚊ほどにも効かんわ!』
ビッグフットの左腕にマウントされた巨大マチェーテが飛び出る。刺さった鉄パイプをものともせず、ビッグフットは軽快な足取りと共にマチェーテを、鈍い音を立てながら振り回す。キースはアクロバット運動でかわし、距離を取った。
すると、ビッグフットの肩に取り付けられたミサイルポッドの蓋が開いた。人間の体温はミサイルに備わった赤外線センサーでは感知できない。破れかぶれ無誘導で当てるつもりだろう。
『焦げカスになって死ねぇ!』
キースは直線運動する無誘導ミサイルに備えて真横に避けた。だが、ミサイルが瞬時に回避方向へ舵を切った。
予想外の動きにキースは直ちにブリッジして更に回避した。すんでのところでミサイルが回避する。ミサイルは彼の遥か後方で爆発した。
立て続けにミサイルが発射される。キースはバックフリップし、ビッグフットを中心に弧を描くように走る。2発目はそのスピードで難なく回避。続く3発目も回避。そして残る4発目。ミサイルに備わったスマートセンサーが彼の円運動を察知して、予測飛行を行う。このままでは直撃コースだ。
「トォ―ッ!」
キースは跳躍してミサイルの予測軌道から逸れる。ミサイルは彼の後方数メートルに着弾した。直撃は免れたが爆風と破片がキースの背中を襲った。彼は苦悶の雄叫びを上げながら身体を地面に打ち付けて転がった。
混濁する意識と共に見える暁の星空。場違いなほど心地よい倦怠感がキースの身体に広がっていた。
地面が揺れる――キースはハッと目を見開き、我に帰った。迫りくるビッグフットの足音。キースは目を閉じ、ゆっくりと深い呼吸を始める。血中に行き渡る酸素が己の中で赤く燃え、徐々に全身の筋肉に活力が蘇ってくる。そしてアドレナリンが分泌され時間の流れがスローモーになってゆく。
無機質で巨大な影がキースを覆った。ビッグフットがマチェーテを真上に振りかざした。
『トドメだ、キース・マグワイア!』
宵の空気が張りつめ、明けの明星がひと際輝きを増した。その瞬間――
「トォォーッ!!」キースは爆発的に跳び上がり、振り下ろされるマチェーテを避ける。地面に深々と埋まった巨大なマチェーテを余所に、先ほど刺した右脚の鉄パイプを蹴り上げる。刺さったパイプが内部のカーボン筋線維をぐちゃぐちゃにかき回す。ビッグフットは膝から崩れ落ちた。
そしてキースはビッグフットの頭頂部に駆け上がり、機関部の蓋を無理矢理こじ開ける。
「カーボン筋線維はひとたび装甲を貫けば脆い!機械に踊らされる貴様の白痴を悔め!」
彼は蓋を投げ捨て、手榴弾2個同時にピンを引き抜く。そして手榴弾を中に放り込み、ビッグフットを蹴って地面へと降り立った。
キースの背後でビッグフットがオレンジ色の炎を節々から噴き出す。しかし、拡声器から断末魔の代わりに笑い声が夜明けの空に轟く。
「ハハハ!阿呆は貴様だ!」
「何?」
「俺の役割はこれで終わりだ。せいぜい楽しみにしてるがいい!」
笑い声と共にビッグフットは閃光と共に黒焦げのスクラップと化した。
「戯言を」キースは死んだアレックスに吐いた。
やがて朝日が昇る。巨人と人間の決闘の痕がはっきりと明るみになってゆく。何度も叫ぶキースを余所に、紅蓮の炎の中で『DATA UPLOADED』の文字列を弱弱しく映し出していたHUDが事切れた。
膝から崩れそうになるキースにミランダが手を貸した。
「信じられない……勝ったんだね……」彼女にも勝利を喜ぶほどの元気は残っていなかった。
「この基地のビッグフットは片付いた。あれの他にあと3機眠っていた」
「そう思うとぞっとするよ」ミランダは続ける。「ありがとう。これで同胞たちが報われる」
遠くからヘリのローター音が聞こえて来る。陽炎に複数のヘリの影が映っていた。
「あれは!?」
「違う、奴らだ。逃げて!」
楔形の攻撃ヘリから大量のロケット弾が射出される。焼夷弾頭のロケットが彼らを囲うように着弾し、炎の壁を作ってゆく手を阻んだ。
夜明けの白い空が赤く染まる。キースには炎を飛び越える力は残されていなかった。
編隊の中にいた1機の輸送ヘリがゆっくりとキースの目の前に着陸する。ローターの強風で彼の黒髪が激しくなびいていた。
ヘリのドアが横にスライドした。中から現れたのは二人の軍服の男。一人は白髪に髭を生やした壮年の男。もう一人は、口ばしのように長いツバの帽子を被った年齢不詳の男だった。
「お前が言っていた『いつか現れる邪魔者』とはこいつのことか」壮年の男が言った。
「ええそうですとも、大統領。こやつこそが、貴方の国に噛り付く外来のダニです」帽子の男が粘着質な甲高い声で答えた。
「アレックスの奴め、野良犬としては上出来な働きをしたな」大統領と呼ばれた男は葉巻を取り出して火を付けた。「この男の処遇はお前に任せる」
「よろこんで承りましょう」帽子の男はニヤリと不気味な笑いを浮かべた。目元の青筋がそれに合わせて歪んだ。「キース・マグワイア、君には特別な歓迎を用意してある」
目の前で次々と捉えられてゆくミランダとその仲間たち。キースがナイフを取り出そうとした瞬間、後ろから首を針で刺されるような痛覚が走った。
「無駄ですよ、ミスター・マグワイア。貴方の行動はお見通しです」
キースの意識が底知れぬ闇の中へと沈んでいった。