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1つになることの難しさ(20230326vs湘南)

2023年3月26日ルヴァンカップ第2節川崎フロンターレvs湘南ベルマーレ@等々力陸上競技場

早くも今季2度目の対戦のベルマーレさん
 しかもまた等々力。ルヴァンカップやしどんなメンバーで来るかなーと思ってたらなかなかなガチメンバー。

そうなりますよねー、連戦でもないし清水に負けちまってるし。
だがしかし結果はまたもやスコアレスドロー

ここまで結果が出ないと流石のフロサポも荒れだすんですね。
 私は2020年からのド新規サポ。強いフロンターレしか知らないけど結果についてはただ受け入れる派。
 ”熱さ”と”冷たさ”がすごい勢いで混ぜ合わさってるタイプやと自認してるけど今回はSNSで話題になっている”声出し応援”について書いてみようと思います。まさかの4000字超え。

※センシティブな話題であることは百も承知。あくまで個人的見解。
私が特殊な感覚を持っていることは自覚してます
”意見”はウェルカムやけど”否定”はノーサンキュー。

てなわけで「そんなこと考えてる人もいるんだな」って読んで思ってくれる人だけ下へスクロールどうぞ




①私の応援スタンス


「オカンの気持ちでサッカーに勤しむ息子(たち)を見守る」

が私の応援スタンス。
「おまえまだ子どもおらんやろ」というツッコミは置いといて。

昔から多分スポーツを見始めた小学生のころから、このスタンスだった気がする。

母親が自分の愛する子どもの試合を応援しに行って、試合中にプレーを見ながら、「なんしとんねん」「もっと突っ込んでいかんかい!」って思うことはあったとて、
 試合に負けた(結果を出せなかった)後にもギャーギャー本人に向かって、またはママ友やパパに向かってやいのやいの言う人はまぁ居るとは思うけどきっと少数派ですよね。(子どものタイプにもよるとは思うけど)

自分も学生時代、父親に戦術的に「ここはこうやったな」「ああやったんちゃう?」と言われることはあっても、まずは「お疲れ様」やったし、感情的に「ここができてない!」って言葉を浴びせられることはなかった。

自分の娘(=私)の実力(のなさ…)を冷静に見ながらも、頑張ってる我が子が怪我せずに楽しんでやってることを見守ってくれてたんだと思う。

話は少々逸れたけど私がフロンターレを応援する気持ちもこんな感じ。

勿論現状のチーム状態の悪さは見てりゃわかる。
 でも練習まで見に行ってんだ、どれくらい選手たちがひたむきに現状と向き合いながら、この状況を脱しようともがいているのかもわかってる。

ここで選手たちがもし「もう優勝は無理だ」「降格しない程度に適当にやればいいわ」なんてなってたらブチ切れるけど、そんな選手はここには居ない。
 まぁ居たとしたらそのうち居なくなってるでしょ、プロはそんな甘くない。


まぁあとはフロンターレは生活の一部やし糧やけど、彼らの出す結果が私の人生に何か直接的に影響を及ぼすわけでもないし、応援したいと思ってしまったから”勝手に”応援しているだけだから、チームの勝敗はそこまで気にしてない。(ここが冷たいなと言われる部分。この考え方がサポーターじゃない!って言われるならそれまで。その方と私は相容れないだけ。別に”ファン”でも”サポーター”でもどちらでもいいです私は。)

頑張って結果を出そうと選手たちが藻掻いているならそれで充分です。

必死に顔をあげて前を向く選手たちを背中をそっと押せるようにオカン系サポの私はひたすらに見守ります。


②1つになることの難しさ

日曜の試合の後、
Twitterで話題になっていた「応援の”強要”」(あえてこう書く)

私はピッチサイド民なので
a.実際に聞いたメガトラ、b.それに対して感じたこと、c.実際に私のとった行動とd.私が、感じた周りの空気
を書き残しておきたい

a.実際に聞いたメガトラ

「こんなチーム状況ですが僕らでチームを後押ししていきましょう!」
「川崎市民の歌と選手紹介は立って!雰囲気を作っていきましょう!」
「よろしくお願いします!」

って感じだった。うろ覚えですがね、、そんなちゃんと聞いてなかったし突然来たし雨やったし(ゴニョ…)

b.感じたこと
後押ししましょう!は勿論そうですね、だし、ピッチサイドからGゾーンの声は良く聞こえるので、Gゾーンから声を張ってくれるとこちらからも声は出しやすい。ありがとうございます。

ただ、試合中ではないとて、立見席ではない席の客に対して、”一ファン”が「立ちましょう!」と呼びかけるのはちょっと違う気がした
なんせ荷物が多いのよこっちは。カメラ持ってタオル持ってカッパ着て。立ったら椅子閉じちゃうし膝に置いてる荷物をどうしろと。
あと座ってみる席だからね、後ろの人が座ってたら立てんよ。

 メガトラで呼びかけている兄ちゃんの態度や言い方に特に苛立ちはしなかった、「え、立つの?」くらい。明るいトーンで「一緒に頑張ろう」感あったし、あれくらいは試合前に煽り(声かけ)に来てもいいんじゃないかなと思った。
 ただ、兄ちゃんの立ってる位置が、自分のカメラを向けたい方向と被ったら「ふざけんな」と思うと思った。やっぱりあのゾーンはカメラ構えてる人が多いから、ずっと立ってられると何をしてようが邪魔です。
 前にアウェイに行った時にゴール裏で煽ってるおっちゃんは少々うざったかったから多分言い方と人による。
 ただ「チケットを持っていないゾーンに入っているのはどうなの?」という意見に関しては「それもそうだな」と思う。

c.とった行動
「立ちましょう!」に関しては離席していたため私の対応はなし。席に居たとて多分立たないかな。理由はbの通り。
 「後押ししていきましょう!」に関してはええ、声出しましたとも。
ピッチサイドで一人カメラ構えた音痴が歌ってたら私ですよ。カメラ持ってて手拍子ができない分は声でカバーしようと思ってる。幸い(?)私は声がでかい。私の周りに座ってしまった方々は私の音程のズレをかき消すように一緒に歌ってくれるととても嬉しい←

d.周りの空気
 
ピッチサイドはもれなく雨に濡れる席だったから、シンプルにトラメガの兄ちゃんが来た時点で人がまばら。かつ1/3くらいの人はカメラ覗いてるから反応は薄め。
 離席してたから立ってた人がどれくらい居たかは知らん。試合中の声出しは多分いつもと同じくらい。カッパで自分の声が反響して周りの音が聞こえずらかったのもあるかもしれないけど。


今回思ったのはチームもサポーターも1つになりましょう!って言うほど簡単じゃないよねってこと。
フロンターレが好きってことは共通してるはずなのに諍いが起こる。

手っ取り早いのはチームが好調になってくれることなんですけど(笑)
そういうことではないと思うので私の意見を書く。

1つになるって

まず「フロンターレが好き」「応援してる」って気持ちを最前面に出すこと
そして「サッカーを楽しみたい」って気持ちでスタジアムを包むこと

だと思ってる。

声出して応援したいGゾーン民も、写真を撮りたいピッチサイド民も、静かに試合を観たいメイン民も、フロンターレが好きだから等々力に来てるんだよ、楽しいサッカーを見たいよねって思いながら見てたら、声出してようがなかろうが、スタジアムの空気はいいものになるんじゃないかなあ

2020年、2021年と、声がなかったからスタジアムの空気が冷たかったかって言ったらそんなことはない。

優勝してた頃と今では状況が違うのはわかるけど、殺伐とした感情の前に、ポジティブなものを持っていれば、少々スタンスの違いはあれど、等々力劇場を起こす準備がサポーター側からできるんじゃないかなと思います。


③批判と批評は違う

長くなってきてしまったけどあと1つだけ。
紹介したい論説文がある。

光村図書の中学3年生・国語の教科書から『批評の言葉をためる』

私が中学生の頃に習ったものですごく印象に残っていて、なんとなく大切にしているもの。
久しぶりに検索したら記憶と相違なかったから紹介したい。
(著作権的にどうかとは思うけど教科書用に書き下ろされたものなのでリンク先はYouTubeです)

「批評」とは、自分なりの価値判断の根拠を明確にして、物事を評価すること

『批評の言葉をためる』竹田青嗣

中3でこの論説分を読んで先生と一緒に読み解いた時、自分なりに「批評」と「批判」と違うんだと解釈した。

この論説文にはほかにも

  • 言葉のキャッチボールを通じて批評の言葉をためていく

  • 絶対的な正解はない「自己ルール」を交換し合うことでより良いものへと編み直していく

  • 批評する言葉をためるためには自分の言葉をどう伝えるか以上に、人の言葉や伝え方を聴き取ろうとする気持ちを持つことが大事な秘訣

といったことが書かれている。

つまり、「人の意見に耳を貸さない」時点でそれは批評ではない。
と私は理解している。

私がの解釈は下記の通り。

絶対に正しいものはないと理解した上で、自分の価値基準に基づいて物事を判断するのが批評。
理由もなく好きだ嫌いだというのはただの批判。

また、批評であっても人を傷つける言葉を使うのはただの誹謗。本人を前にして吐けない言葉はSNSにも使わない。当たり前の常識。


"プロ”だから”こっちはお金を払っているから”と言って何を言っていいわけではない。対面で口にしたらどうなるか想像つくような強い言葉を、相手が見えないからと言って世界中に公開してしまえる神経を私は信じられない。

麻生で練習終わりの選手たちに同じことを言えるという人は言って出禁になればいいと思います。SNSの公開申請をされて戦えばいいと思います。
私は勝手にブロックしておきます。



もうすぐ4月。


新年度となって心機一転。

また帰ってくる頼もしい選手たちとともに新しいスタートを切ろう。

勝利の余韻で包まれた等々力を選手たちが笑顔で胸張って闊歩する日は近い

いつも、いつまでも私は”ウチの子”たちを信じて待つ。




モヤモヤを昇華して花開きますように


〈参考文献〉

中学生からの哲学「超」入門―自分の意志を持つということ (2009 竹田 青嗣)

『批評の言葉をためる』中学校・国語~読解と実践で理解を深める~・授業作成編 (20230328閲覧)


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