嫌いだけど愛している
1人の人の対して、
「嫌い」という感情を持ちながら、
「愛している」というのは、
私の中で成立しないことだった。
「嫌い」は「愛していない」。
「好き」は「愛している」と同じジャンル。
そんな感じだった。
恥ずかしながら、40代半ばまで、
複雑な感情を抱えられる程、
私の中は成長できていなかった、ということ。
私は母のことがすごく苦手だったけれど、
なぜだか「嫌い」とは思えなかった。
かといって、「好き」ではないことははっきり分かっていた。
長年のカウンセリングで、
母との間のもつれにもつれた葛藤が
少しずつ解けていき、
私ははっきりと、
「母のことが嫌いだ」と認められるようになった。
本当にめんどくさい人。
すごくめんどくさい人。
そう思えるようになった。
同時に、それだけではない「何か」も
はっきりと感じていた。
でも・・・・・愛している。
ハッとした。
「嫌い」でも「愛している」ということがあるんだっ!
そんなことが成立するんだっ!
自分の内側で新たなジャンルができたような感覚になった。
このジャンルが確立されて、
私の母への思いを周囲の人に言いやすくなった。
「母のことをすごくめんどくさいと思っています。でも愛しています」と。
私の正直な気持ちで、ピッタリな言葉だった。
なので、お気に入りの言葉になって、けっこう頻繁に使っていた。
と、そこから先があった。
なんと、母への「めんどくさい」「嫌い」が自然と消えていった。
消えることを望んでいた訳ではない。
でも、消えていた。
本当に驚いた。
何かの魔法にかかったのかと思った。
「愛している」という部分にだけフォーカスが
できるようになっていた。
何も意識しなくても。
何も努力しなくても。
こんなことがあるんだ・・・・・
未だ信じられない気持ちだけれど、私には起きた。
「愛」ってすごいね、と思う。
愛ある人間になりたい、と ずーーーーっと思っていた。
愛のカケラもない人間だという自己認識だったから。
きっと、
「愛ある人間になりたい」という奥の奥には、
「お母さんを愛したい」という欲求があったのだろう、と推測する。
愛ある人間になってお母さんを愛せるようになりたい
これが本当の望みだったのだと思う。
私の中で「嫌い」という感情やイメージが
ずいぶんと軽くなって、
「好き」と同じくらいの感覚で「嫌い」が
認められるようになった。
「好き」と「嫌い」に大差がなく、
その一瞬が「好き」とか、
その瞬間「嫌い」と感じた、とか
その程度のものになった。
私の中の感情が動き回ることを、
静かに眺められるようになった気がしている。
きっと自分自身を感じられるようになってきたのだと思う。