小説 『一日』
令和2年4月7日、東京都含む7都府県に緊急事態宣言が発令された。
今この瞬間から、僕の自粛生活が始まる。
あまりにも暇なので、noteで小説でも書くことにします。
「承」も「転」も「結」も何も考えていませんが、この非日常を過ごす、一人の普通の人間のとある『一日』のことを書きたいと思います。
部屋の中で生まれ、育まれる感性。
部屋の中で得られ、深められる教養。
部屋の中で作られ、温められる娯楽。
明日から一日一話ずつ、短い文章ですが、投稿します。一人でも多くの方に伝わり、伝染して、ライターほどの小さな炎が灯り、明日を照らすことができれば、幸いです。
Day.1 2020/04/08
1. 革命の朝
『ベッドから革命を起こすんだ』
昨夜から何百回とリピートして聴いていた曲の歌詞が一行だけ、ぽつんと頭に浮かぶ。
二杯しか飲んでいないハイボールが今朝も頭に残っている気がして、身体を動かそうとする筋肉が拒否をするように重い。
カーテンの隙間から朝なのか昼なのかわからない陽射しが漏れているが、まだ革命を起こすには早すぎると判断して、外の光を完全に遮断する。
寝惚けながらもiPhoneでLINEを確認するが、メッセージはなく、そのままニュースを見るも新しい芸能人の感染者もなく、安心して二度寝する。
ベッドの角に嵌め込むようにiPhoneを戻した途端、アラームが鳴り響く。
もはや聞き慣れた音でもあるが、何度消しても鳴り止まず、スヌーズとかいう設定した覚えのない機能の策略にハマり目が覚める。
調べてみたら、スヌーズ(snooze)は「居眠り/うたた寝」という意味らしい。
いつかミュージシャンになったら、儚い恋のことを「Love like a snooze」っていうタイトルで曲を作ろう。
そんな妄想を膨らませながらTVの電源をつけると、ナンチャンがいつものように滑り散らかしていた。
Day.2 2020/04/09
2. 一日の総集編
『今日は過去の放送を編集して総集編としてお送りします』
TV業界は今、死んでいる。
そう有名な評論家が言っている。言っていないかもしれないが。
ただ、毎日TVを見ていたら非常事態であることはなんとなく伝わってくる。
ドラマもバラエティも撮影ができず、完全にストップしてしまった。
その結果、「過去」を流すしかないのである。
TVを付けたら「あのとき見たやつ」が流れてきて、どこか懐かしい気持ちにもなる。
時代は遡る。日々刻々と変化する報道とは逆行して。
もちろん全てが見たことのある放送ではないはずなのだが、何故かこの日見た総集編のコーナーは全て既視感があるものばかり。
「週末にできる作り置きレシピ」
「海デートに着ていきたいコーデ選手権」
「お掃除の達人」
見たことあるようなないような、そんなモヤモヤする気持ちで眺めていると番組が終わり、報道番組に切り替わる。
なにやら深刻そうな顔をした司会者とアナウンサーが今日も映っている。
前の番組とは打って変わって、まるで違う時代のものかのように。
トップのニュースで流れていたのは「感染の流行が2022年まで続く可能性がある」という「未来」の話。
Day.3 2020/04/10
3. すばらしくない日々
『暗い話にばかりやたら詳しくなったもんだ』
報道番組の冒頭を見終え、このまま見続けても暗い気持ちになるだけだと思いキッチンに向かう。
起きたばかりで食欲があるわけでもないが、置いてあったカップラーメンを手にとりお湯に水を入れる。
お湯が沸く間に、iPhoneで音楽を探す。
カップラーメンが出来上がるまでの時間を好きな音楽で満たすためだ。
5分程度かかる曲を見つけた効果音のように、お湯が沸いたカチッという音が響く。
お湯を注ぎ、ユニコーンの「すばらしい日々」を流す。
イントロの虚しいギターが、なぜかしっかりと、深く心に残る。
ユニコーンは僕が高校生のときに再結成したバンドだ。
そして、この「すばらしい日々」はバンドの解散時に作られた曲であり、再結成後16年ぶりに出演したMステで披露した曲でもある。
この曲の特徴は全然「すばらしい日々」を歌っていないこと。
冒頭から「僕らは離れ離れ」と歌い出し、「人がいないとこに行こう、休みがとれたら」と社畜の発言みたいなネガティブな歌詞ばかりだ。
意味のわからない部分も多く、何を言いたいのか考察するファンも多い。
曲調も倦怠感に包まれ、単調で派手さのかけらもない。
おそらく、作った奥田民生がバンドの「今」を唄いたかったのだろう。
それでも、この曲をたまに思い出して聴いてしまう。
ほんの少しだけ力が湧いてくるからだ。
どこか気怠い感じが自分に合っているのかもしれないが、最後の大サビはやる気が垣間見え、現実に向き合う姿勢にさせてくれる。2ミリくらい。
最後まで聴くと、ユニコーンがなぜMステでこの曲を歌ったか、なんとなくわかる気がする。
懐かしい歌も笑い顔も
全てを捨てて僕は生きてる
それでも君を思い出せば
そんな時は何もせずに眠る、眠る
……いや、やっぱ意味わかんないですわ。
すいません。
知らずのうちに食欲が湧き、カップラーメンが出来上がる。
Day.4 2020/04/11
4. たられば
『生まれてこなければ、死ななかった』
腹ごしらえを終え、人をダメにするソファにもたれ掛かりながらiPhoneをいじる。
最近は食後に一話だけ漫画を読んでいいルールにしている。
今読んでいるのは、「H2」という野球漫画。
この「H2」と「スラムダンク」は毎年夏に必ず読まないと気が済まない。
今年は春の選抜も中止になってしまったので、こちらは中止も延期もせず逆に前倒しをして読んでしまうことにした。
これから読む話は、全話の中でも一番記憶に残っている。
主人公・比呂とライバル・英雄の間に揺れるヒロインの1人、ひかり。
そのひかりのお母さんが突然死ぬ。
あだち充は人を死なせればいいと思っているのか、それまで日常を共にしてきたキャラの人生を唐突に終わらせる。
全く関係もなく、もちろん漫画の話なのだが、友達のお母さんが急に死んだ気分。
年をとるごとに、涙脆くなった自分。
比呂がひかりに掛けた言葉が印象的だった。
お前が帽子を飛ばされなかったら
台風が来なければ
前の日に雨が降っていなかったら
野球なんかやってなければ
そこんちのお父さんとお母さんが
出会わなかったら
結婚しなければ
ーーたら、ーーれば…
生まれてこなければ、死ななかった
ゲームセットの後、
たら、ればを言い出したらキリがねぇよな
もし、あのとき外に出ていなければ。
これを読み終えたら、あらゆる後悔も忘れられる。
Day.5 2020/04/12
5. 喜劇の幕裏
『なんてことのない一日も、違う角度から見ると喜劇のようだ』
漫画を読み終え、再びTVをつけると、「ザ・ノンフィクション」が放送されていた。
この日の特集は「52歳でクビになりました。
〜クズ芸人の生きる道〜」だ。
パチスロとギャラ飲みで生計を立て、金がなければ後輩に借り、先生のダメ出しを聞かず全て客のせいにし、挙句の果てにはネタ見せの日にズル休みしてパチスロへ。
これだけのクズっぷりを披露して、52のおっさんが普通に怒られてクビになり、最後はパチスロをして終わる。
ネタよりも日常の方が面白いのが皮肉であるが、先天的に笑いの才能がある気もする。
Twitterとかエッセイにも言えるのだが、面白いものには「主観的な発見」があって、「あー、それめっちゃわかるわ〜」といかに多くの人に思わせられるかが勝負だ。
だから、漫才やコントのネタも日常に潜んでいる笑いだけで十分なのだ。
いつもお世話になっている会社員や、企業理念に共感しまくる就活生。
電車で絶対に手摺り掴まるおばさんや、ヤバいだけで会話が成立するJK。
あと、本場中国からわざわざ日本にやってきて、日高屋でラーメンを作る中国人。
ココイチで働くインド人も然り。
小さい頃はお笑い芸人に憧れていたが、今はいくらでも設定が思いつく。
ネタでも作ってみようかなと思ったところに、サッカーボールを蹴る音が。
そうだ、もう一つ、いいネタの種があった。
Day.6 2020/04/13
6. 窓から見える世界
『晴天の午後、薄曇りの窓に映る景色、荒天の隣人』
白日の下、アパート前の道には青すぎる日本代表のユニフォームを着たサッカー少年。
予定されていた学校生活が消え、有り余った全てのパワーを足に込めて蹴る音。
壁に当たる音。跳ねる音。スパイクが地面を弾く音。お父さんの熱苦しい声。
…そう、うるさいのだ。
最初は汗を掻いて走る少年を心の底から応援していた。
いつか、オーウェンのように、ワンダーボーイと呼ばれる選手になるんだぞ、と。
しかし、八日目で気づいた。これはただの騒音だ。蝉よりもうるさい。
遂にはお父さんまで出てきて熱血指導も始めた。
隣の芝生が練習場なのかと思うくらい本格的に。
ものすごくうるさくて、ありえないほど暇なので、窓を少し開けてスピーカーから大音量で「六甲おろし」を流すことにした。
よほどの阪神ファンでない限り、気分が盛り下がることだろう。
野球少年が現れたら、チャンピオンズリーグのアンセムでも流せばいいし、
老人が井戸端会議を始めたら、マキシマムザホルモンでも流せばいい。
ストリートミュージシャンが現れたら、僕が作った曲でも聴かせてあげよう。
普段は気にも留めなかったが、窓から見える景色だけで色んな想像が膨らむ。
かわいいは作れないが、たのしいは作れる。
6.9畳の窓から、世界は広がる。
陽射しが照り返る眩しさの中、眼前に広がる景色はまるで甲子園球場のようだ。
隣から、ドンドンドンと壁を叩く音。
阪神ファンのようにタチの悪い隣人だ。
そう思いながら、スピーカーのボリュームを少しずつ落とし、ミュートをかける。
Day.7 2020/04/14
7. 夢
『あれもしたい これもしたい もっともっとしたい』
音のなくなった部屋には不釣り合いな、大きすぎるインターホンの音が響き渡る。
何をしたわけでもないが、不思議と緊張しながらも画面を覗き込む。
くたびれた配達員の姿を見てはっとなり、玄関まで急ぐ。
九号段ボールの中から出てきたのは、頼んでいた実家の母親からの仕送りだ。
マスク、トイレットペーパー、カップラーメン、四個入りのご飯パック。
そして、頼んでもいない三冊の卒業アルバム。
そこには、幼稚園、小学校、中学校と、分厚くも薄い思い出が詰まっていた。
一ページ一ページめくるが、どれもあまり思い出せない。
幼少期の記憶なんて、そんなものだ。
唯一、将来の夢のページだけ、なぜか鮮明に覚えていた。
幼稚園は、お笑い芸人。
小学校は、ミュージシャン。
あんな顔で馬鹿なことを考えていたものだと自己嫌悪に陥りながらも、あの頃に戻れたらと無駄な懐古に浸る。
あれ、中学の頃の夢ってなんだったっけ。
めくろうとする手に、夕陽の光が当たる。
レース越しに見える空が夕刻を知らせる。
子供が走る影と、車のエンジン音。
子供はどんなに全速力で走っても、車には絶対に追い付けない。
それでも走り続ける子供に、大人は一生戻れない。
Day.8 2020/04/15
8. マジックアワー
『誰にでもある人生で最も輝く瞬間』
Wikipediaによると、マジックアワーとは、「太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯」を指す写真・映画用語とある。
赤く染まった空を見上げ、流れる時間の早さを感じる。
それは、ほんの数十分間しか見られない、魔法のような時間。
ソファに沈ませた体を起こし、この時間をファインダー越しに切り取る。
この魔法がiPhoneに残るかはわからないが、過去になればフィルターもかかるかな。
iPhone越しの記憶はやけに綺麗で、現実は残らないことに気付く。
照らされた夕焼けを見ると、RIP SLYMEの「黄昏サラウンド」が聴きたくなる。
語彙力の欠如を晒して恥ずかしいのだが、とにかくエモい。
何年経っても色褪せない、頭の中に繰り返し流れるメロディ。
なぜだか「話はこのVerseの頭に戻る」というフレーズが頭に残る。
映画「ザ・マジックアワー」では、この限られた時間を「誰にでもある『人生で最も輝く瞬間』」と表現した。
僕にもそんな瞬間が訪れるのだろうか。
それとも、既に終わってしまったか。
頭の中のカメラロールで過去の記憶をスクロールする。
また、荷物が届く。
そろそろ一日も終盤へ。
夕闇に包まれた景色は逆光して写り、時計の針が巻き戻る。
Day.9 2020/04/16
9. 見たことある「衣・食・住」
『今日の部屋を照らすのは、新しい生活を始めるための、ほんの小さなきっかけ』
届いた荷物には、ZOZOTOWNで注文した洋服が入っていた。
この前TVで見た、海に着ていくコーデ企画を参考に部屋の中でウィンドウショッピングに出掛けたのだった。
たったひとつのクリックで、世界中の洋服が手に入る。
ちょっと早い気もするが、BAPEのショートパンツとReebokのサンダル。これで、ドアの前が砂浜でも問題ない。
海でもキャンプでもフェスでも、いつかは使えるのだから。
未来を楽しむ支度を少しずつ、整えていこう。
購入した洋服を仕舞ったときに、クローゼットの埃が気になる。
たまには掃除でもしようか。
柔軟剤入りの水の中に雑巾を入れて水拭きする。
この前TVで見た方法で磨くと、これまで溜まっていた汚れが浮かび上がる。
何回か繰り返し拭いた後、すっきりとした気分で雑巾を絞る。
絞り切った雑巾は、黒ずんで、臭くて、昨日までの空気のようだった。
過去は全て洗い流し、これからの暮らしを少しでも綺麗にしよう。
片付けを終え、体を動かした反動のせいか、空腹を感じる。
冷蔵庫を開け、週末に作り置きをしていた惣菜達を取り出す。
日持ちする食材を選び、簡単に調理でき、酒のつまみになるような献立。
普段料理をしないのだが、栄養バランスが考えられたレシピがこの前のTVで紹介されており、触発された。
箸で掴んで口にしたものは、実家でも弁当でもファミレスでも味わえない、不思議な味がした。
大さじ一杯が目分量でも、多少焦げ付いていても、調味料を間違えていたとしても、それが僕だけの隠し味になる。
TVを見ながら箸を進める。
ゴールデンタイムのラインアップも総集編ばかりで、既視感でお腹一杯になる。
Day.10 2020/04/17
10. 舞台は続く
『生きているだけで恥ずかしい』
お腹を満たした頃には窓外も真っ暗で、LEDの明るさが更に際立つ。
小説でも読もうと一段分しかない本棚に差してある文庫本を引き抜く。
数日前から読んでいた西加奈子の「舞台」という長編小説、今日で読み切ってしまうだろう。
自分を「演じる」こともある。そんな自分も愛してほしい。
こう書かれていた帯のインパクトに惹かれ、即買いした。
自意識過剰で恥の意識を持っている点を「人間失格」の主人公・葉蔵と照らし合わす29歳の青年・葉太。病気で亡くなった父親の財産で、ある一冊の小説「舞台」をセントラルパークの芝生に寝転びながら読みたいという欲求に従い、ニューヨーク旅行へ。
初めての一人旅にガイドブックを暗記して臨んだ葉太だったが、滞在初日で盗難に遭い、無一文になってしまう。
そんな危機的状況の中、葉太が選んだことは、笑うことだった。
涼しい顔をして、薄く、笑うこと。それしか出来なかった。
あらすじだけでわかると思うが、葉太はがんじがらめになった強大な恥の意識を振り解くために演じた。惨めな自分を公共の場で晒さないための演出だ。
僕はこの主人公にとてつもない共感を覚えた。結局、この世の中は演技をする場面が非常に多い。
会社員をやっていた頃は、はりきる若手社員の役だった。
おはようございます。かしこまりました。申し訳ございません。
自然と作り上げた役柄に、自然と台詞が放たれる。
本当は微塵も思ってないけれど、仕事のできそうな社員を懸命に演じきる。
作り上げた発声、愛想笑い、心に無い言葉、無理をした態度。
仮面をつけた僕は酷い三文芝居だったに違いない。
葉太の読んでいた小説「舞台」の帯には、こう書いてあった。
誰もが皆、この世界という舞台で、それぞれの役割を演じている。
そのことに少なからず、疲弊している。
だがやめることは出来ない。
舞台は続いてゆくのだ。
本当は鼻くそをほじりながら適当に生きていたかった。
「めんどくさい」とか言って人生を舐めてかかりたかった。
それができなかった僕は一人で苦しんでいる主人公を演じ続けている。
この部屋に、観客は誰もいない。
こんな自分も愛してほしい
そう思いつつ、洗い場に向かい、家事を卒なくこなす男子を演じる。
まるで、映画の、ドラマの、舞台の主人公であるかのように。
Day.11 2020/04/18
11. バッドエンドの先に
『The End of the F***ing World』
洗い物、歯磨き、シャワーとベッドに着くまでの最低限の行為が終了し、一息つく。
氷をたっぷり入れたグラスにデュワーズウイスキーを炭酸水で割り、ハイボールを作る。凍らせておいたカットレモンを最後に落とす。
iPadでNetflixを開き、海外ドラマを観ながら残された時間を楽しもうと思う。
Netflix限定で「このサイテーな世界の終わり」と邦題がついたイギリスのドラマ。全八話で最後の一話を残していたので、楽しみにしていた。
「僕は間違いなくサイコパスだ」の台詞から始まる高校生のジェームズと、メンヘラの最上級みたいな転校生アリッサ。
二人は元来の性格に加え、恵まれない家庭環境や退屈な日常が嫌になり、成り行きで家出する。それは「スタンド・バイ・ミー」のような青春のロードムービーでなく、「(500)日のサマー」のような運命的なラブストーリーでもない。
二人とも性格がめんどくさすぎるからだ。
それでもつかず離れずの関係を続けるうちに微妙な心境の変化をもたらし、爪くらいの僅かな成長と、一か二瞬くらい見せるあどけなさがどこか癖になる。
まあ、基本的にはぶっ飛んでいて、この二人に感情移入できる人とはとてもじゃないが友達になりたくない。
しかし、イケメンで、正義感に満ち溢れ、性格も良く、制服を着崩し、嘘みたいな台詞を吐き、謎の三角関係の中心に立つ、現実味のない高校生よりよっぽどマシだ。
誰も邦画をディスっているわけでも、日本の俳優に喧嘩を売りたいわけではない。
ただ、キラキラした青春物語より、この鬱蒼とした日常をどうにか変えたいともがく様の方が美しく思えるだけだ。
もう一つ、この話の好きなところは、七話目まで観た時点で、全てバッドエンドで終わっている点だ。バッドエンドと一括りにはできないが、希望に満ちた終わり方は見ていない。
大体の映画やドラマはハッピーエンドが多いが、僕はバッドエンドやメリーバッドエンドの方が好きかもしれない。
見方が変わり、予想もしにくく、何よりそれが一番リアルだからだ。
描かれていないだけで、バッドエンドの先には、一筋の光明があるかもしれない。
バッドエンドの後の世界を勝手に空想して後付けして、自己完結すればいいだけである。
そんなこんなでドラマはどちらかのエンドで終わった。
と思ったら、シーズン2があったので、また明日から見るとするか。
ハイボールの二杯目を作り、氷を混ぜる。
カランという音に合わせ、酔いが回る。
Day.12 2020/04/19
12. 終末のラジオ
時計の針は、午前0時。
楽しみにしている深夜ラジオを聴くためにradikoを開く。
静寂に包まれた部屋にチューニングを合わせ、耳をすませる。
今日という一日の物語もこれで終わる。
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今日の放送は一日の総集編でお送りします。
まずは、この曲。
ユニコーンで、「すばらーー
すばらしくない日々は、続く
たらればで人生は語れないけれど
ほんの少し見方を変えれば、笑いになる
小さな窓から、大きな世界
平凡な毎日が用意されているように
子供のときに綴った非凡な夢もある
あれもしたい これもしたい
望んだ欲望はほとんどが叶わないうえに
この美しい瞬間もすぐに泡となる
そのためにも、ひとつひとつの瞬間
ひとつひとつの生活から変えていこう
それだけで、この日常は大きく動き出す
この先も続く、人生という大舞台
その主人公は他の誰でもない
紛れもなく、あなたなのだから
バッドエンドの先に待っている景色
いつかくる、マジックアワーのために
次の曲は、RIP SLYMEで、
「黄昏サラウンド」をどうぞ。
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ラジオのボリュームを落とし、ふと思い出したように、中学の卒業アルバムを開く。
パラパラとページをめくり、自分を探す。
見つけた、僕の夢。
中学生らしい汚い字で、思わず笑ってしまった。
"小説家"
子供の頃の夢は、どうしても忘れられない。
今この瞬間も、これからも。
どうせ暇なんだし、小説でも書いてみようかとnoteのアカウントを作成する。
自分を主人公に、この日常をテーマに。
深夜の静けさ、未だラジオに耳が慣れない。
微かなボリュームから、確かな光。
朝起きたベッドから革命が起きると信じ、夜を越す。
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最後の曲は、Oasisで、
「Don't Look Back In Anger」をお届けします。
皆さま、最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
これからの『一日』もどうぞお楽しみください。
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一日が終わり、イントロが始まる。
流れるメロディは、過去から未来へ。
そして…
話はこのVerseの頭に戻る