シネマレビューと失踪 #1
叶が失踪した。
「メンヘラでごめんね」の丸っこい文字がもの寂しげに謝る。
遺書のような手紙を眺めながら、それにしても丸っこい字だなあ、とまるで緊張感のない感想を思い浮かべる。三枚ほどの便箋には謝罪と懺悔に加え、僕へのダメ出しの言葉が並んでいる。
自分が全部悪かったこと、あなたも少しは悪かったこと、それ以上に自分が悪かったこと、もう探さないでほしいということ、やっぱりあなたも同じくらい悪かったこと……が長々と書き連ねられている。
全てを読み終えた僕は短編小説さながらの読後感を得て、すっかり冷たくなったコーヒーを飲み干す。マグカップを置いたテーブルには昨日の名残がこれ見よがしに散らかっている。
お揃いで購入したペアのマグカップ。化粧ポーチ。マスカラ、アイシャドウ、リップクロス。ダイニングメッセージのように意味をなして並べられた化粧品たち。
そして、それらがお供え物のように、テーブルの中心に鎮座した映画観賞用のタブレット。
二人で映画を観るようにと、僕がプレゼントした13.4インチの小さな画面。そこにはラストシーンの直前に差し掛かるところで静止した場面が映し出されている。
雨の中、歌舞伎町の煌びやかなネオン街に佇む一人の女性。
僕はこのシーンを、この映画を、全く知らない。なぜ、叶はここで止めたのだろうか。意味なんてないのかもしれない。でも、この映画を観れば何かがわかるかもしれない。僕はタブレットを指でなぞって再生時間を最初に戻す。
一時間三十九分の、映画としては少し短めの物語がスタートする。
映画を見終えた僕は一息ついて背筋を伸ばした。
途中から映画を観るというより、画面の前にただ座っているだけだった。
シンプルなストーリー展開とイマドキの多彩な映像美。キャバ嬢たちの覇権争いの物語。
水商売としてのプライドを余すところなく盛り込んだような、女性ならではの視点で映し出したような、それらのメッセージ性を全面に主張したような映画。
クレジットにあった女性監督の名前をスマホで調べると、新進気鋭の映像作家とラベリングされていた。なるほど、そういう監督のストーリーは大体こんな感じなのだろうとどこか納得できた。叶はこんな映画好きだっただろうか。
二人で観るときは大抵がラブストーリーかファンタジーで、甘ったるいスイーツを食べたような気分になることが多かった。この映画を観ても、僕にとっては味の薄いお通しを食べた気分にしかならない。それほどに記憶に残らないのだ。
そんなことを考えていると濃い味のものが急に食べたくなって、冷蔵庫を漁る。昨夜の晩ご飯のために買っておいた金平の惣菜を取り出し箸でつつきながら、昨夜の叶のことを思い出そうとする。
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