日本国全体がカルト集団化

私の個人的な感想です。
政府は過去最高税収だと言いながら、減税は一切考えず、逆に「金がない金がない」と言って消費税をまた上げようとしているようです。

日本は、先進国で一番貧困化した国に成り下がったのではないでしょうか。

地方にお金を渡さない為なのか、地方自治体の長がその演出に力を貸しているだけなのか、インフラ整備が年々遅れたり、減らされていきます。

草刈りや雪かきも回数が減らされたり、道路の補修が遅れて、穴が開きっぱなしになったりガタガタになっていたり・・・、田舎の地域住民が集まる施設は改修工事に補助金は出ず、自分達でお金を出さねばならなくなっています。

地方も「お金がない」は国と一緒で口癖になっていますが、スポーツ施設の大改造やプロスポーツ団体への支援など、大規模な支出は平然と行われています。市議会議員のほとんどが賛成したようです。政治家にとって大事な事はそっちなのでしょうか?

自分の責任において、色々な意見は国にも地方自治体にも出していますが、もぐら叩きのようでやり切れません。

イルの思惑に沿って政治家は動き、そのシナリオ通りに、
周辺の人達も多様な受け皿を作りながら工作しているように感じます。

ハーメルンの笛吹き男は沢山いて、
魅かれる笛の音にそれぞれの違う方向へ向かって付いていってしまうと、
最後連れていかれた先は、どの笛吹き男も同じ場所に案内していることでしょう。

それぞれの隊列では皆同じリズムを奏でます。
本当はもっと自分らしく表現できる奏で方があるのに、徐々にそれが許されないことになり、集団の中から外れることはできなくなるのです。

ギャングの中に入ってしまったら、その組織を良い方向へ導く事などできなくなります。それと同じことが今日本社会の中で起きていると思います。
知らず知らずのうちに、違う表現に自ら規制をかけ合うようになったのです。

私には全体がカルト教団の中にいるように見えます。そこから外れたいと願うエネルギーはいつか暴発する可能性もあります。そんな風になる前に何とかしなければならないのに、もうすでに長年圧力下にある人は、抜ける勇気はないのです。

私は「三丁目の夕日」という映画の世界が好きです。
昭和の時代の個性的な人々の姿があります。
ぶつかり合っても、どうしようもない人がいても、
それぞれの中にはどこか優しさがあり、
善の心での交流があるのです。
それぞれのペースも表現も尊重されています。

カルト教は危険です。
きっといつか、ワクやマスクを庶民同士で強制したり、
マイナカードを持たなかったり、その先に起こるチップを挿入しない人間は
行政サービスを受けられなくなると思いますが、それを
自己責任だからと、捨て去ったりするような時代が来るのでは
と危惧しています。チップを入れたら監視管理体制は完了します。
個人としての意思などどこにあるのかさえわからなくなるでしょう。

根底に流れている意図的な誘導に気づかない人達。
私は自分のペースややり方を貫こうと思っています。
人はそれを止めたり押し殺したりすると病気になるのだという事を
身をもって知ったから。

女子高時代の友達たちは、めちゃくちゃそれぞれ個性的で、
そういう人間が揃っていたので、
別段私のような者でも驚かれたりしませんでした。
今でも同窓会は物凄いエネルギーでワハハワハハやっています。
言いたい放題が許されるのです。
もう一般社会ではそれができなくなったので、
皆その心地よさを実感するようになったのでしょう。
残り少なくなった人生になったこともあり、
5年ごとにやっている8クラスでの同窓会は昨年秋にあったのですが、
今年1月と3月には、いくつかのクラスがまた同窓会を開く予定です。
「私がやるよ」と気軽に設定してくれる人間がいてくれるのです。

私にはまだそういう世界が残っています。
私のような人間に慣れていない人達は脅威に感じるようです。
我が子からも「普通じゃない」と言われるので。
近所の方々から、呆れられて当然なのは理解しています。

でも、本当は「それぞれの人にそれぞれの強い個性はあるんですよ」
と言いたい。
カルトの中に入らない秘訣は、自分を保つこと。
私はそう思っています。