今日思いついたやりたいこと(2021/7/9)団地の運営vol.6
突然だけど、
人を繋ぎ止めることは、できない。
そのやり方には無理がある。
人を働かせることは、難しい。
そのやり方には罠がある。
人を育てることは、意味がない。
そのやり方には限界がある。
人は、
居たいから、
働きたいから、
やりたいから、
できるようになりたいから、
やるのだ。
だから、
その人の背景や個性や感性や動機を把握し、
その人のやりたいをイメージし、
その人の選択肢作りの先回りをし、
その人にとってメリットしかないように準備し、
もっともっとやってみたいを引き出す。
それでも生まれるデメリットは本人の覚悟に伴走する。
すると、もう勝手に、自動で、楽しいことが色々起きるので。
だから、知ることに全力を尽くす。
その過程では、複数の情報からの推察や、
日頃の会話での発言やリアクションだけでなく、直接の問いも含めて内省を一緒に図るため、
それはつまり、本人が本人を知ることでもある。
私はこういう人間で、こうしたいと気づけると、
やりたくなって、やればやるほど、
人生のオーナーシップをとれるはず。
私はその人の人生で脇役だし、私の人生の主役。
私の人生で脇役のその人には、その人の人生がある。
事実は1つだけど、現実は人の数だけあるのだ。
視点や観点もたくさんある。
その融合点、共感点があると、
良い関係が続くし、掛け算がすすむ。
それぞれにとっての最高の暮らしを理解し合えば、
共有するもの、しないものが決まる。
自分が幸せになると、他人の幸せに興味を持てる。
自分の幸せと、他人の幸せの接点が仕事になる。
それを、「働く」だとしたい。
つまるところ、
団地の運営には「働く」が欠かせなくなるだろう。
ところで、光の色の三原色(赤、黄、青)が混じると
何色になるか、しってる?
「白」で「黒」じゃない。
全部混ぜたら、逆にどんな色にも混じりやすい白になる。混じれば混じるほど、余白が産まれていく不思議。
団地の運営では、そんなことを大切にしたい。
「同居-二世帯-味噌汁の冷めない距離に住む-バラバラに住む」は似て非なるもので、団地は味噌汁案件だと思ってる。
生活において生まれる余白とは、何か。