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#86 『実家』

2024年11月某日

とある経済団体が主催する意見交換会に出席する機会があった。地域経済の発展に向けた情報交換をすることを目的とした場である。主に地域経済のリサーチャー中心に集まって、経済モデルをベースにしながら、理論に近いサイドからの話題提供が実施された。筆者を含め、地方における人口の議論をかれこれ10年以上行っている気がする。さて、そんな場において、後半面白い話題が登場した。「実家」という概念についてである。

地域活性化の議論は人口の社会減の議論と不可分である中、社会減の議論において、(議論の対象地域から)主に20〜30代の女性の流出が増えているから、なんとかしないといけない。(会議の場で示された)とあるアンケート調査では、「東京には思い切り仕事ができる環境がある」とする声が魅力として挙げられていた。はて、「思いきり仕事ができる」とはどういうことなのだろう。ある人によると、一部のユーザーインタビューでは、「実家」から離れていると、働き方や結婚観などに対して、「ゴチャゴチャ言われなくて気楽である」という声が聴かれたりするらしい。この感覚はわからなくもない。※調査対象や手続きに関することはひとまず棚上げしておこう。

筆者の生活圏で交流機会のある女性に目をむけてみると、その中には「実家」の存在をとても肯定的に捉えている層が少なくない(n=3~5くらい)。とくに、子育てにおける支援などでは、大変心強い存在として認識されている様子である。実際、地方の伝統的企業で仕事をしていたりすると、勤務スタイルのフレキシビリティにも伸びしろがあったりして、家庭内においては「実家」という支援リソースなくして成立しないケースも、ままあるように思う。

「実家」に対する評価として、ポジティブな側面とネガティブな側面があることは周知の事実だし、感覚的にも理解できる。そのうえで、今後の議論として興味深いのは、「実家」に対するポジ/ネガの評価が「反転する要因・きっかけ」として、どういったものがあるのかという「視角」にある(と思う)。具体的には、ライフステージや年齢といった、「時間」を原因として評価が変わるのか。あるいは、労働観や結婚観といった、「属性」を原因として評価が変わるのか、という捉え方である(もちろん、それらはグラデーションであるという見方もできる)。ようするに、「実家」の好き嫌いは、年と共に変化するのか、評価者のキャラである程度決まっているのか、みたいな話である。

筆者の「実家観」についても触れておくと、たまに梨とか送ってくれるととてもうれしい。現物による経済的支援リソースとして頼もしい限りである。また、お正月などに帰省すると、張り切った「おもてなし」で歓迎してくれる。これまたありがたい。ただし、滞在期間が2日、3日となってくると、「飯はどうするんだ」「風呂に入れ」などと、価値観に踏み込んだマイクロマネジメントが始まることは、勘弁してほしい。

評価は差引きポジティブである。知らんけど。
ほなら。

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