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子どもが売られない世界をつくるNPOイベント「夜かも」に参加した話

幼い子どもがだまされ、売られ、劣悪な環境で嫌な仕事をさせられる、

最悪の形態の児童労働といわれる「児童売春」

ちょっと暗いし重いなって感じますよね。

そのような暗い話題を話題にしたり、支援者の話を聞く機会はなかなかないかもしれません。私はあるNPO法人のサポーター会員をしていて、先月、児童売春に対し活動されている方のお話を聞く機会がありました。

「子どもが売られない世界をつくる」を目標としている認定NPO法人かものはしプロジェクトさんの寄付者限定イベント「夜かも」に参加したレポート。


認定NPO法人かものはしプロジェクト

かものはしプロジェクトは2002年、共同代表の村田さんら3人の学生で設立されました。当時、人身売買の状況が深刻であったカンボジアで児童売春をなくすためさまざまな事業を展開、現在はインドにおいて「子どもが売られない世界」を目指して活動されています。

私がかものはしさんを知ったのは2年前、共同代表の村田さやかさんのトークイベントに行ったことがきっかけ。途上国の人身売買、特に女の子を売春宿で労働させるという「最悪な児童労働」という問題に村田さんが向き合うきっかけとなった体験やカンボジアでの活動状況のお話を伺いました。

途上国では、暮らしのために子供が売られることがある。日本で暮らしながら、なんとなくわかっていることでした。でもその詳細は知らなかったし、知ろうとしていませんでした。お話の中で、日本をはじめ先進国の人が子供を「買う」ことができる国にわざわざ行くこともある、という事実を知り感覚が変わりました。日本人も加害者になっているのに、日本にいる私たちは関係ないと言えるだろうが、無知なままでいていいのだろうか、と思ったんです。
この問題について、みんなに知ってほしい、かものはしさんに活動を続けてほしい。そのような思いでサポーター会員になり、小さな額ですが毎月寄付をするようになりました。


「夜かも」では共同代表の村田さんにより団体の設立の経緯から、初期の活動、最近の活動についてお話を聞いたり、寄付者から質問をしたり、という会でした。イベントは大きく分けて3部構成。約2時間という短い時間でしたが濃度の高い情報、交流の場をいただくことができたと思います。かものはしさんの今までの活動についてはこちらの記事でも。

1. かものはし設立まで

2. カンボジアでの活動

3. インドでの最近の活動、今後の目標


1. かものはし設立まで

村田さんが児童売春という問題に向き合うきっかけは、彼女が大学2年生で受けたある授業。ミャンマーのある1人の少女が写った新聞記事を読んだ時でした。

ミャンマーの山岳地に住む少数民族に属していて、生まれたころから経済的に貧しい生活をしていた少女。
「タイのバンコクに行くと子守の仕事があるぞ。」
貧しい家庭に生まれた、少女は少しでも家族の役に立ちたい、と12歳で出稼ぎに行く決意をします。しかし、連れていかれたのは子守の仕事をする場所ではなく売春宿。1日に10人程度の客をとらされていたそうです。
ある日、少女は自力で逃げ出しNGOに保護されますが、その時すでにHIVに感染しており19歳で亡くなっています。

授業の日、村田さんは渋谷で購入した1万円のワンピースを着ていました。新聞記事によると少女の親は300バーツ、日本円にして1万円で少女を売春宿に売ったと書かれていました。自分の着ているワンピースの値段で少女が騙され、売られ、命を落としてる。村田さんは、その事実にとてもショックを受けたそうです。
記事には、少女がなぜ日本の新聞記者の質問に答えてくれたのか、理由が書かれていました。「日本の人が私たちみたいな人を助けてくれるかもしれないから」そう言って、少女はとても辛い経験を話してくれていたのです。

自分に何かできることはないか。そう考えた村田さんは当時、児童売春の被害が深刻化していたカンボジアを訪れます。
当時のカンボジアは、アンコールワット等で有名になり観光客で賑わうなか「子供が買える国」としても有名でした。日本をはじめとする先進国からも子供を「買う」ためにカンボジアに行く人が多くいる状況だったのです。

カンボジアで、児童売春の被害にあったのち保護された子供たちが暮らす施設を訪れた村田さんが目にしたもの。そこにはまだ幼い5~6歳くらいの子供が遊んでいました。村田さんは最初は「この子たちは職員さんの子供かな」と思ったそうです。しかし話を聴くと、その幼い子どもたちもお客を取らされていた被害者であると知ります。

施設では売春宿から自力で逃げ出してくる子どもも保護していました。子どもの多くは被害にあったショックから精神的に不安定であったり、言葉を発することが出来なくなっていたりしていたそうです。24時間のカウンセリング体制が組まれ、カウンセラーが寄り添いケアをすることで、話せるようになる子もいる状況。施設ではアートセラピーなど様々な治療が行われていました。

カンボジアは内戦後まもない状態で、貧困状態が続き、まともな法律も確立されていませんでした。

「できることから始めよう。」
日本に戻った村田さんは、人身売買に関する本や講演会で情報収集をしていきました。ある日、横浜でこの問題に関する会議が開かれることを知ります。

さらに会議では、選ばれた若者100人が意見を述べることができるという情報。村田さんはもちろん立候補し自身の意見を会議で発信しますが、自ら現場に行って問題を解決したいと思ったそうです。

私の個人的な予想です。会議や成果文書の内容につては深くは触れられていませんでしたが、おそらく有識者による意見・現状の分析結果等がまとめられていただけではないかと思います。今後日本としてこの問題をどう解決していくか、次のアクションが書かれているものではなかったのでは、という私個人の想像。

2002年、現場で活動する団体をつくろうと、当時20歳だった村田さんを含む3人のメンバーで学生団体を設立しました。卒業後はカンボジアに事務所をつくることに。


2. カンボジアでの活動

働く場所や働くスキルが整っていれば、金銭的な事情で子供が売られることは少なくなるのではないか。村田さん達はカンボジア都市部に職業訓練の場としてパソコン教室を開きます。成果はとてもあったそう。子供達はみるみるスキルを身につけ、就職していったのです。

同時に課題も出てきました。都市部にある売春宿に連れて来られる子どもの多くは、農村部から来ていたのです。自分たちがパソコンスキルを教えている間に、近くの売春宿では農村から連れてこられた子どもが保護させている実情を知った村田さんたち。私たちの活動は本当に子どもたちを救っているのだろうか、と考えたそうです。

子どもが売られない世界をつくる、ミッションのためなら農村地域の支援を行うべきではないか、大きな意思決定をせまられます。

そして2008年8月、カンボジアの農村部に民芸品をつくる独自の工房を誕生させました。工房で受け入れるのは女性とその子供たち。安定的に給料を得ることで工房を建てた村は貧困から脱出することができました。

どのくらい貧困であったかを説明するため、「夜かも」の中で村田さんは1枚の写真を見せてくれました。写っていたのは母親と小さい息子さん。男の子は大きさからして5歳くらいかな、という印象でした。

実際には写真は男の子が11歳の頃に撮影したものでした。食べるものがなく食事は1日1食。明らかに栄養不足であることは写真から読み取れました。そういった貧困状態から脱却できる手段として、工房は力を発揮します。しかしすべての村で工房を設立できるわけではありません。

カンボジア全体の被害を無くしていくためには、犯罪を取り締まる警察の支援をしなければ。村田さんたちは警察への意識づけや研修も行なっていきました。

人身売買の実態をそもそも知らない警察に被害の深刻さを伝える。すると「そこまで酷いとは思わなかった。きちんと取り締まらなければいけない」と意識を改めてくれる警察官が多くいたそうです。
法律が定められていても、それを知らない警察官もいる。新しい法律に関する指導も行われました。検挙率を上げるため、証拠の押収訓練まで。

こうした村田さんたちの活動によりカンボジアの人身売買の被害は圧倒的に少なくなりました。カンボジア国内の売春宿で働く従業員における18歳未満の割合は、活動当初の30%から2015年には2%となり、被害は限りなくゼロになったのです。


「カンボジアの状況は、あと40年くらい良くならないだろう。」

「日本から来たお嬢さんが何かしたところで何も変わらない。」

「早く日本に帰りなさい。」

活動初期には、このような言葉をかけてくる人がたくさんいたそうです。でも、村田さんたちの活動で16年の間に1つの国の状況は確実に変わったと言えます。

2018年よりカンボジア事業は法人SALASUSUに譲渡されています。「人生の旅を応援する」というコンセプトのファッションブランドで、工房の女性たちよって作られたバッグやポーチはどれもかわいい。バッグが気になっています。


3. インドでの活動、今後の目標

人口に対する人身売買の被害率は昔のカンボジアと同等と言われるインド。サバイバーに対する目は厳しく、性産業に関わったというレッテルを貼られ差別を受ける被害者が多くいました。

人身売買は主にマハラシュトラ州のムンバイで発生しており、西ベンガル湾側の貧困地域から連れてこられる子どもが多くいます。西ベンガルは貧困率が深刻で女性の地位が低く、女性が一人で出稼ぎに出ることが特別視されていない、ということも子どもの売買を助長している特徴です。

問題はインドという国の、独特の成り立ちにもあります。インドは州ごとに言語や法律・自治が異っていることが、被害者の救出や加害者の処罰を難しくしている原因の一つ。

かものはしさんの活動ポイントは2つにわけられます。
1) サバイバーの支援
2) 社会のしくみ改革


1) サバイバーの支援
カンボジアでの事業経験を活かし、被害者の社会復帰を目的とした活動を現地パートナーと協力して進めています。アートセラピーやダンスムーブメントセラピー(DMT)など精神的な回復を目指した支援。被害者自らがリーダーとなりリーダーシップ研修を行う団体も設立しています。

2) 社会のしくみ改革
主に新法の設立にアプローチしています。州をまたいだ人身売買への捜査機関設立、リハビリテーション権利の明確化などを担う新法。かものはしさんの活動に理解を示す国会議員へアプローチする形で、新法設立を後押ししているそうです。

インドの国会は二院制。まず下院で可決され、法案が上院の審議リストに入り、その後上院で可決されなければいけません。2018年上記の新法は下院を通過し上院の審議リストに載ることが出来ました。

しかしインドでは5年毎に国政選挙が開催。審議リストに載ったとしても次の選挙までに上院で可決されなければ、選挙のタイミングでリセット・廃案扱いとなります。惜しくも、現在の政権は支持率の浮き沈みが激しく国会が閉会した期間もあったため、「新法」は審議されないまま2019年の国政選挙を迎えてしまいました。

次の5年間で「新法」を成立させるため、現地パートナーとともに活動していきます、と村田さんは話していました。

さいごに

「夜かも」では代表の村田んへの質問タイムもあります。ある寄付者の方からこのような質問が。

質問者:「児童を働かせている売春宿の取り締まりに関わることで、人身売買組織から攻撃を受けることはなかったのですか?」

村田さん:「取り締まりは現地の警察官によって行われるので、私たちの団体に対する攻撃というものはありません。ただ、

日本国内の『子どもを買いたい』と思っている方からの攻撃はありました。」

悲しいなと思いました。どのような攻撃や批判だったのか詳しく聞くことができませんでしたが、とても悲しい気持ちです。


「途上国の社会問題に向き合っていると、日本の問題が見えてくることがある」と他のNPO職員の方に聞いたことがあります。

外を知ることで、見えてくるものがある。

日本以外のお国の話、ではなくて多くの方に意識をもってほしいなと思います。私は現地には行けませんが、寄付という形で支援できればと思い、微力ですがサポーター会員をしています。


どうしたら寄付行為が身近になるか、という話になった時。寄付を身近に感じるかどうかは、子どもの頃の体験が影響していると聞きました。

これからの教育。英語、プログラミング、ダンス、アクティブラーニングなど様々な改革が必要とされる日本の教育ですが、寄付教育の普及にも注目したいです。

貴重な機会に感謝します。ありがとうございました。

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