リーダーシップ進化論とNYAUW⑭
【リーダーシップ進化論―人類誕生以前からAI時代まで について】
前回の投稿は「他者依存段階 自己主導段階 自己変容段階」などについてでした。
P315 【サイ-ドは知識人とは何か と問うのである サイ-ドにとって知識人ととはあらゆる権力あらゆるマジョリティから距離を置き常にアウトサイダーとして権力の間違いを批判する存在である 知識人は現在の撹乱者であり見せかけの謙虚さとは無縁の人々だ】
P316 【サイ-ドによれば知識人から知識人としての義務を奪うのが専門家になってしまうことだ 生きるために私たちは何らかの分野において専門家になる必要がある しかし専門家になるということは権力者がすればその人間もはや知識人ではない知識の詰まった箱である 権力者にとって専門家とは必要な時に都合のよい知識を提供してもらえればそれで良い人間すぎない専門家集団という名前は仰々しいが 誰をこの専門家集団に入れるべきかを決めるのが権力者である限りそうなることは子供でも理解できる 私はここで日本政府を批判してるのではない そもそも政府とはそういうところに着手する以外の選択肢を持たないシステムなのである 自分が政府内の権力者だった場合わざわざ自分に批判的で面倒な人物を招聘するであろうか】
P317 【生きるために専門家になることは自分の専門性が脅かされないようにできるだけ広い議論を避けタコツボの中で知識を溜め込む行為に逃げることができる こうして蛸壺の中でだけで生きる人間は自分が大量破壊兵器の開発に従事させられていてもその根本的な是非を表立って問うことはしない 政治は自分の専門分野でないと自信をもって言えるからだ。専門家に限らずいかなる生物でもわざわざ自分の生活の糧となる仕事を放棄したりはしない そうした中で専門家になることは自分の売り物は知識だと割り切ることだ 知識の買い手が反社会勢力でない限り自分が提供する知識を何にしようとしようしようとも関与しない 専門家にとってそれは完全に合法的な態度だ お弁当売ってる人が相手が誰であるかを気にしないのと同じである】
P318 【正しい方法であるならば何をしても構わないという人間はリーダーにふさわしくない それどこが歴史的には専門家ほどひどいリーダーを後おしするような仕事を平気で行なってきた マズローも医学物理学法学政治家教育学部経済工学ビジネスが産業学をできないと喝破したことを思い出してもらいたい そもそも専門官になれる人は知的に非常に高度でありその中にはサイ-ドの本を選んでる人もたくさんいる】
P318 【レベルの高い専門家になるということは自分の学問領域の研究に人生のほとんどを費やす事だ それにライバルとなる学者はみな飛びぬけて優れた知性の持ち主である そうした知的に厳しい環境の中で長年戦ってる人はどうしても知的に謙虚にならざるを得ない なぜならライバルの言動を批判し自らの言動もまた批判されることが繰り返されるうちに科学的に本当に確かだということは少ないという事実を心の奥底に刻み込むからである 優れた専門家は自分の専門領域のことでさえ何か発信することの恐怖を知っている その恐怖が専門家を家の探索から遠ざけてしまう遊ぶことができなくなる だから優れた専門家であればあるほど自分の専門外のことについて興味を持って勉強し発信することが難しくなるのである 専門家が自らの言論の確からしさを慎重に評価しそれに必要十分なエビデンスが得られたことのみを発信するように日々鍛えられている 聞かれたことを本当に知っている時は答えるが知らない時は分かりませんという知的誠実の塊である】
P319 【そうした再現性の高い知識を生み出すことこそ専門家の役割である。ただこうした曖昧さへの不寛容は白黒をはっきりさせたがるファシズムと相性が良いのである このような専門家の態度は権力者にとって非常に都合が良い その領域の知識を必要としている権力者からすれば専門家は確かな知識を提供しているだけではない 何よりも専門家は権力者に対してあなたはリーダーをやめるべきだと言ったエビデンスのない不愉快の意見は決して言わない 権力者が優れたリーダーかどうかは分からないが科学的な正解であるからである】
P332 【Amazon の前 CEO ジェフベゾスはいくら理想も描いてもうまくいかない うまくいくメカニズムを作らなければならないと述べている 私もベゾスの意見に全く同感である 理想を主張するのは良い 群れの規則を思い出せばそれはそれで大事なのは明白だ しかし実際に問題が解決するのは言論でなく行動である 理想の状態から程遠い現実に対して具体的に何をするのかを決めてそれを着実に推進しない限り問題解決されない それなのに私も含めて人間の多くが数々に対して何の行動もしていない】
P340 【合法であればなにをしても構わないという人々が奇抜な建造物を建築し見苦しい看板を乱立させてきたことで日本の景観は失ってしまった これに対して統一感にあふれたヨーロッパの美しい街並みは法律によって維持されてきたことは有名だ 京都府景観条例のように日本一般の景観についても何らかの法律を制定する必要があったのだ こうして法律が増えていく法律が増えていくということは違法とされる行為や状態が増えることでもある そうした違法を判断し罰を与えバツを履行するための法律の監視運用コストは法律が増えれば増えるほど上がっていく こうした監視運用コストを上回る社会的な利益あればそれは法律として整えるべきだ。 しかし逆に運用コストの方がそれによって得られる社会的な利益よりも大きくなる場合それは法律としてではなく道徳として教育された方が良いだろう そもそも法律は個人の自由を制限するものであるから少なければ少ないほど良い必要悪でもある 法律ではなく道徳として運用できるのであればそれに越したことはない】
P315-340で抽出した部分から感じたこと
知識人・専門家・リーダーの違いを説明している部分だと感じました。 類似した喩えとして【虫の目、鳥の目、そして魚の目】などをお聞きになったことがあるかもしれません。
知識人:鳥の目
専門家:虫の目
リーダー:虫の目・鳥の目・魚の目を状況に応じてバランス良く持つ
特にポジションが上に上がると 若手の先生やコメディカルを含めた 興味や人生観・仕事観の異なる複数のチームの【まとめ役】になるわけです。あえて【リーダー】ではなく【まとめ役】としたのは ポジションが上でも自動的にリーダーにはならない、というのが この本の主旨だからです。 リーダーと言うのは 微視的・俯瞰的・動的な視点を持っているということに言い換えました。
情報爆発の時代において 医療においてはどうしても診療科やサブスペシャリティなど何らかの限られた領域がどんどん深くなっていくので そこを微視的に追求する【虫の目】の仕事スタイルを取らざるを得なくなっています。
しかし 患者さんがクリニックの医師を【XX科のYYサブスペシャリティ専門の先生】と捉えることはほぼなく、【XX科の先生】という診療科の専門家と捉えます。そうなると、自分のXX科の診療科であっても苦手なZZサブスペシャリティの患者さんが来た際には 患者さんを他の医療機関に紹介しなくてはならないのです
その際に患者さんの受診行動を 「当院の専門ではないのでGOOGLEで調べていってください」と言ってしまったら、患者さんがどのような次の受診行動をとるのか俯瞰的・動的な視点で見れるかどうかです。
紹介先プロジェクトの意味をご理解していただけるかと。しかし 人のためだけでなく先生もモテます
または、自院で出した処方箋に対して 先生のミスでなかったとしても「俺のせいではない!俺は医者だリーダーだ! 言うこと聞け 俺を待て!(薬剤師さんから聞く残念な医師像)」と疑義照会に高圧的に答えたり 時間を待たせたりすると、 薬剤師さんや自院の顧客でもある患者さんがどのようなマインドになるかを俯瞰的・動的にみれるかどうか?が疑義照会プロジェクトの発露です。 これをご理解いただけると患者さんやコメディカルも喜ばれますし、人のためだけでなく先生もモテます。
今日はここまで
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