非常勤講師の非対面型授業構築、こんな感じではじめてみた 〜データ量を考慮した授業の運営について〜
通信量は公共のインフラである
こんな記事が出ていました。そうか、と気づいた部分もありましたし、データ量を減らすということは学生にとっても教員にとってもメリットがあると感じているので、記事を書くことにしました。
大学での非常勤講師としての授業って
とある大学で非常勤講師をしています。持っている授業は3年生に対するバイオメカニクスの授業。学生にとっては目指している資格試験のためには単位取得必須の科目で、実際に試験問題にもこの分野の問題がそこそこ出題される、という立ち位置の授業です。
非常勤講師ということで、学生の顔は全く知らないところから毎年スタートします。この点が常勤の先生たちとの間にある深い溝だなと毎年感じます。15回の授業でお互いを理解するというのは難しいことです。でも一般的に大学ってそういう関係性であることが多いから学生からしたらそんなに大差ないのかな。
わたしは理学療法士を養成する専門学校で教員をしていたので、学生ひとりひとりの生活状況が学業に与えている影響や1年生の頃からの成績、勉強や課題への取り組み方、実習や実験などでの態度などなど、学生ひとりひとりの学問への取り組み方をいろんな視点から見ながら関わることに慣れていて、そういう点からすると、非常勤講師は、ちょっと寂しい立場だったりもするのです。
2016年からオンライン講義(大学外)を行っていて思うこと
前置きが長くなりましたが、4月からご多聞に漏れず勤務先でも非対面型の授業がはじまりました。大学以外の場所ではオンラインで講義をする仕事をしているので(School of movement®︎という一般社団法人で運動科学を教える講師をしています)、オンラインで何かをするということにそれほど抵抗はないのですが、それはつまりオンラインで生まれてくる問題というものにもずっと直面してきているので、どうにかそこで感じてきた問題を解決しながら大学での非対面型授業を構成したいと思いました。
大学の学生相手でも、普段やっているBtoBのコーチや指導者たちに向けた場合でも、オンラインで講義をするときの問題点は大きく分けて下のふたつになります。
・ 質疑応答や講義以外の雑談などのインタラクションが難しくなる
・ 受講者のオンラインの環境とスキルに依存する部分が大きくなる
ひとつ目の問題の本質は、オンラインにおける主に非言語コミュニケーションの難しさにあります。画面いっぱいの顔には、身振り手振りや全体像としての空気感がありません。お互いに、やさしい「ツッコミ」もできなくなりますし、どうでもいい「ボケ」もできなくなります。そうすると、全部真面目な会話となり(授業は真面目です)、気軽さが失われていきます。ただでさえ質問をするというのは学生にとって勇気のいる行動だったりするので、口頭での質問は皆無になってきます。
ふたつ目の問題は、物理的・物質的・経済的な側面を多分に孕んでいるので、各家庭・組織単位ではなく、社会問題としてこれから先改善されていく必要があると思います。家庭の格差がーなんて言ってないで、誰でもアクセスできるwifiを整備することが水道を整備するくらいの意識で行われる必要があるのかもしれません。
問題の捉え方を変えて、対応してみる
上記ふたつの問題に対して「対面じゃないから仕方ない」と言っていては何も進まないので、問題の捉え方を少し変えることにしました。(ここでは大学での授業について書いていきます。)
・ 質疑応答は口頭よりも文字のほうがお互いのやりとりがその場に残り、他の人とも共有できていい
・ 質疑応答は授業時間内でなくてもいつでもできるようにすると便利だ
・ 教員の雑談なんて本当は誰も聞きたくないかもしれないので、興味を持った人がアクセスできるようにSNSアカウントやHPを持っていることを伝えればいい
・ 非言語コミュニケーションとして表情や言葉のリズムがあるだけで全然違うので、そこはこちらの努力でPPT講義を顔出しでやれるようにする
・ オンライン(画面オン・画面オフ):録画:個別課題を出来るだけ1:1:1の割合で行えば、データ量の削減とともに学生それぞれの理解の速度に合わせられるかもしれない
リアル授業が懐かしいという感傷に浸っていると切なくなるので、ポジティブに捉えたら、オンラインの便利さが際立ってきたような気がしました。
ちなみに、録画撮影の際にはこのように背景透明化した自分が話すようにしています。(赤枠は視聴者には見えません。)
そんなわけでこんな方法で授業を構成しています
・ <5分〜10分>Teamsの会議機能で出席を取りその時間だけ学生画面オン、自分の画面オンでその日の授業の概要説明
・ <15分〜30分>画面共有で前回の授業の課題について詳しく解説→解説資料ファイル共有
・ <30分〜45分>PPTプレゼン録画(OBSを使って自分の上半身を画面合成たもの:これについては過去記事を→無料のソフトウェアでオンライン講義を組み立てる方法)
・ <15分〜20分>Teamsの課題機能で選択問題形式の課題を出し、期限設定して提出してもらう
・ 質問があればTeamsで個別でもオープンでも受け取れるようにしておく
この方法を始めると、授業で90分間喋り倒すことが、必ずしも学生の理解を促進するものではないのではないか、と感じ始めました。わたしが90分間話し続けるのがつらいように、それを聞き続けていた学生もつらかっただろうなと。(もちろん授業中に質疑応答や話し合いや、授業の性質上、立って身体を動かしたりもしますが。)
人が画面を見て集中できる時間は、それほど長くないと思います。そもそも対面型であっても40分を境に急激に集中力が落ちるという記事も読みました。また、東京大学大学院在学中に修了したインタラクティブティーチングの課程では、「 90・20・8」の法則を学びました。
<90・20・8の法則>
・ 理解しながら聞けるのは90分まで
・ 記憶に残しながら聞けるのは20分まで
・ 8分毎に授業に参画させる
(R. バイク著『クリエイティブ・トレーニング・テクニック・ハンドブック』より)
対面型のアクティブラーニングの授業の基本と言われているこの法則のうち、非対面型の授業で頻繁な「参画」を求めるのはとても難しく、いくつか思いついた方法(全員に問いかけて挙手を求める、ABCなど書いた札を使ってそれを画面に掲示してもらう、その場で答えられるアンケートを用意しておいてオンラインで答えてもらう、など)も、煩雑なのとデータ容量や機材に依存するのとで、あまり実用的ではないと思いました。
なので、20分前後での切り替え(オンラインで前回の課題解説→動画視聴→課題への取り組み)だけは残しつつ、切り替えの際に数分の余白を持つことにしたわけです。
教員側としては、事前の資料準備や課題の採点など、授業外で行う作業は対面型と変わらずできる上に、それらの共有をデジタルに保存することで学生に後からでもアクセスできるような準備をデフォルトとして行えることで、とても便利になりました。デジタルを活用する資料共有形式は、もし対面に戻ったとしても、出来るだけ残したいと思っています。
学生の意見はすぐには聞くことはできませんが、まず第一の目的である学習の目標到達度については、期末試験等で明らかになってくると思います。わたしはこれまでの試験も、持ち込み可の記述形式で行ってきたので、その形式での実施もそれほど難しくないと思いますし、もしそれで不都合があるようならばレポートで同じ設問をつくっても構わないと考えているので、そこで今回の15回の授業の真価が問われると思います。
環境を変えれば人は変わる
これまで、例えば資料共有や録画のシェアなど、対面形式の授業と並行させることが不可能ではないのに「やらなかった」ことについて、この強制的オンライン化によって深く反省しました。試したことはあるのですが、全く活用できていませんでした。
本当の意味で学生の知識や理解を深めようとするなら、録画形式は復習にとても役立ちますし、資料の配布も何回でもダウンロードできるようにしておけば紛失の恐れも減ってきます。これからも継続したいです。
けれども一方で、それらの共有さえも学生個人の持つ環境に依存している現在の状況には配慮が必要です。できれば、学校単位ではなく社会全体が、全ての市民への情報へのアクセスにもっと親切になればいい、と思いますし、それと同時にネットリテラシーや情報の取り扱いについての「常識」に関わる教育が増えて欲しいと思います。
しかし、兎にも角にも、強制的に環境を変化させれば、何かが変わる。
このことだけは本当に証明されてきたような感覚があります。