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二十九、三十

仕事を辞めた。部屋の掃除が終わった。何もしたいことがなくなった。途中でシャーペンの芯が折れたような、12月6日。新しくノックして芯を出す気力もないまま午後3時になるまで寝ていた。

もうすぐ二十代が終わる。早く三十歳になりたいと思っていた三十歳になる。振り返ってみたら、何かしたくなるかもしれないから、(何かしたがりでもないと思うけど、)見つめてみよう。あぁ、私は自分の人生が大好きで大嫌いだ。この好きも嫌いも自分ごとなのにかなり薄っぺらい。

全部を振り返ることは長ったらしく酷な話で、苦しくなる度に何度も振り返ってきたからわざわざ書くことでもないし、思い出したくなるまで思い出さなくていいことばかりだから、楽しかった今年のことだけ振り返る。色んなことが色んな色で描かれた思い出がたくさんある二十代。それを回収するような1年間を過ごして、三十歳を迎える。

男がむかつくからという気持ち悪い理由で、25歳から賞レースにエントリーし続けていたら、29歳にして、初めて舞台に立ったR-1で1回戦をやっと突破できた。これは本当にすごいと思う。色々と迷って迷走していた時期がほとんどだったけど、今年は自分の好きなネタをやって勝ち上がることができたから、意味のある勝ち上がりだった。舞台に立つという壁って何よりも大きく見えて、1回戦が動画審査だったTHE Wに逃げていた。勝ち上がることに執着して、あんまり好きじゃないネタもやってみたりした。それで落ちてきたから、今回で自分のことを信用してみようと思えた。他者評価でしか自己評価できないのを、少しずつ直したい。本当に嬉しかった。まだ2回戦が控えてる。

私がこの5年ふざけてる間に、人は付き合ったり別れたりを繰り返す。よく人と遊ぶけど、恋愛に発展することもない。今年はデートを何回しただろう。結果的にデートみたいなことをして、それはデートだとは思わなくて、誰かが言うにはデートかどうかって、こっちの気の持ちようらしい。
2024年は、友達としては好きだけど恋愛としては好きじゃない人と、ドライブに行った。デートじゃない。好きじゃない人と、温泉に行った。デートじゃない。好きじゃない人と花火を見た。デートじゃない。好きな人とご飯した。デートだと思って家を出た。好きじゃない人と、夜中に2時間自転車を漕いだ。デートくらい楽しかった。好きじゃない人と、なんでもない日にホールケーキを食べて家で遊んだ。デートじゃない。好きな人と、1時間くらい歩いた。デートくらい楽しかった。好きな人とお家で遊んだ。デートかもしれない。好きじゃない人と、海に行った。デートみたくなってしまった。デートじゃない。好きじゃない人に、私が陶芸で作った花瓶をあげて、花を一緒に選んだ。でもこれはデートじゃない。こんなことばかりしていて、バチが当たると思う。こんなことばかりしていたらどうやって恋愛していたかも忘れてしまった。でも友達としては好きだからどれも楽しいけれど、恋人としてデートしていたら違う楽しさなんだろう。
恋愛って、こういうのかな?とイメージする恋愛に当てはまるように動くのが上手なだけで、これまでも恋愛のことを知らないまま恋愛っぽいことをしてきただけなのかもしれない。逆にこれくらい切り離してるから、みんな遊んでくれているのかな。文字通りにしか言葉を受け取らないのはとっても楽で、人生を変えるには、少し損だなと思った。まあでも、遊んでくれる人がたくさんいて、女の子もそれ以上にたくさん遊んでくれて、本当に幸せ。女の子と遊ぶ前の日ってのは、デート前の準備くらいドキドキして嬉しい。「明日デートだ!」と思って過ごす時間が好きなだけかも。

大喜利にハマって、大喜利にハマる前にはもう戻れないかもしれない。最近は、たまに面白くあれる日があって、やっと少し楽しい。それまでも楽しかったけど、解けるようになったら勉強が楽しいみたいな楽しさに近いかも。何者でもないのに、よく思われたいと言う気持ちだけがデカい化け物級の承認欲求を抱えている。本当に何もしてこなくて、何もしてこなかったし、何かのファンになったことも、何かのオタクになったこともないけれど、私は自分の思う面白いと思うことが近くにある生活が特別で大好き。ネタをたまに作るのは、やっぱり形にして、表現したいというよりも見てもらいたい気持ちがあるんだと思う。今年は4回ライブに呼んでもらえた、来年はもっとライブに呼ばれたいな。人生に登場すると思わなかった出来事が、人生に登場するようになってくる。

楽しいことがそばにあるだけで十二分なのに、まだ何かをしたいなんて思う余裕もそんなになくて、それなりの生活があって、それなりに人に受け入れられて、それだけでいいのに、生きていたら少しだけ強欲になる時間があり、情けない。少しだけ可愛くて、少しだけ愛嬌があり、明るくて、よく食べて、優しくて、好きなものの幅が広くて、選ぶものにこだわりがあって、普通に働いていて、部屋さえ綺麗だったら、モテモテ間違いなし!と思っていたけれど、部屋が片付きかけたのに、今度は無職になってしまった。

限界が来るまで働く予定はないけれど、働いたらモテるって考え方も変なのか?女々しくてのサビ「愛されたいね」だけに共感して号泣した日があるけれど、愛されたいだけだったら、ネタをやる必要はまじでない。愛されたいためだけに動いてきたけど、本当はやりたいことなのに、変な理由をつけてきただけなのかもしれない。自分のことが大切なのに、自分のことを見つめるのが苦手だ。でも、家族以外の愛されていると言う保証はいくらか心を穏やかにしてくれるから、やっぱり恋人はいた方がいいなと思う。(それに羨ましい。)その一方で大切にしたい人が山ほどいる。バランスをとったまま、天秤の中央で全てを同じ目線で見つめることを一度の人生で器用にやるのは難しい。ダサい人間になることだけは避けたいけれど、このnoteが1番ダサい可能性がある。助けて。あと、モテてどうしたいとかもないのにこんなに話していて、どうしようもない。

三十歳にもなって、その場しのぎで何をしていくのかな。仕事を辞めてからの2ヶ月は本当に素晴らしかった。どこを切り取っても素晴らしい時間だった。どの瞬間もこの先何度とあってよくて、本当に時間が足りない。昔から早く三十歳になりたかったのは、このままの自分が年齢を重ねて三十歳になった時に、どんな素晴らしい時間を経験して、どんな人になっているんだろうというのに興味があったから。二十代に出会った全てが協力して、小さな人間が三十歳を迎えようとしている。自分の嫌なところはたくさんあるけれど、自分の好きなところがいくつかあるのは、たくさんのものに触れて、たくさんの影響を受けてきたから。みなさんありがとう。

どうしようもないけれど、私は全てを特別に思っているから、これからもそばにいて欲しい。ゴミ屋敷ほどに宝物に溢れた部屋を掃除していて思った。私は現物で全部近くにあって欲しいのだ。興味があるものに縛り付けられて生活していたいのだ。私のことを大切に思ってくれる人が友達として、興味を持ってくれている人がフォロワーとして、そばにいてくれるうちこのままでもいいなと思える。八十歳になった時は知らないけど。こういうことを思うから結婚から縁遠い。

今は掃除や労働にも追われてないから、やりたかったことを一つずつ整理しながら、読みたかった本を読みながら、ちょっとずつ影響を受けて、二十代よりも素晴らしい三十代を迎えて、自分らしさを確認する作業をたまにして、一日ずつ生活に向き合っていきたい。

私の形がなんであれそばにいる生活が、誰かの暮らしの一部を豊かにしている可能性を確認し合いたいのは、わがままかもね。でも本当に、全てに感謝があるし、大切にしてもらえてることを受け入れることができるようになってきた。

えーと、本当に三十歳になっちゃうの?豊かになったけれど、思っていたより大人らしくありません。チョコ食いすぎて鼻血出すみたいな我慢のならないガキが歳食っただけなんだけど!あとまだ引っ越してないから18歳の1Kに住んでる、助けて!

いやいや、地雷じゃありませんよ!

ゆかり

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