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アメリカでの研究実践を振り返る


■研究の実施状況

 NIHU若手研究者海外派遣プログラムのサポートを受けて、アメリカのワシントンD.C.に2024年8月6日から9月10日までの約1ヶ月間、個人/共同研究を発展させるために滞在しました。渡航前に設定した研究テーマは「科学知/在来知の分断を越えた協創知の創出:人新世に必要なコモンズ型映像対話」です。今回の派遣を経て、この個人研究のテーマは共同研究「持続可能な未来を実現するためのナラティブ表現を用いた意思決定に関する実践的研究」へと発展的に変更になりました。詳細は後述します。

 僕はこれまでアーティスト/映像作家として活動してきました。同時に近年、研究者として、知の生成プロセスにおいて様々な観点からコミュニケーションを交差・発展させるためのナラティブな方法論(特に映像を活用)をプロジェクト・ベースドで学際的に研究しています。
 最初に、今回のワシントンでの意見交換の際の重要なキーワードである〈メタ映画〉と〈コモンズ映画〉という映像制作の手法についてお話しておきます。
 〈メタ映画〉とは、映像を鑑賞したフィードバックをナレーションによって映像内にメタ的に入れ込んだ映像制作のことです。メタ的な視点からプロジェクトの参加者が映像制作工程を共に振り返りながら、調査研究プロセスにおける体験がもつ価値に新しい視座を与えます。この手法を用いた作品に、多重層的ドキュメンタリー映画『#まなざしのかたち』(監督:澤崎賢一, 124分, 2021年, 国内外受賞多数)があります。本作では、フィールド研究者のアフリカ・東南アジアなどの調査現場における感性的な側面に着目し、映像芸術を活かしてそれらを可視化・顕在化させるための表現手法として、「映像を見ることで感じたこと」を映画内にヴォイスオーバーとして挿入しています。ここで明らかになったのは、学術研究の感性的な部分とイメージに関わる芸術表現がメタ的な視点において重なり合い、分野を横断した共創によって、双方にとっての気付きや学びの場が創出されたことです。

映画『#まなざしのかたち』 ポスター


 〈コモンズ映画〉とは、調査対象者を含め、プロジェクトの参加者全員がカメラで互いを撮影し合い、クラウド上にアップロードされた映像素材を共有資源として、各自の価値観や想いに基づき映像制作に取り組むことです。この手法を用いた先行事例として、プロジェクト「ヤングムスリムの窓:芸術と学問のクロスワーク」(代表:澤崎賢一, 共同代表:野中葉・慶應義塾大学, 阿毛香絵・京都大学)があります。このプロジェクトにおいて特徴的なのは、映像メディアを表現手段としてのみならず、一種のハブとして活用し、立場や専門、世代や文化的背景の異なるアクターが相互に関わり合う研究/共創の場が生み出されたことです。

展覧会「ヤングムスリムの窓」 ちらし

 今回のワシントンD.C.での意見交換の背景には、〈メタ/コモンズ映画〉という手法を、それらが生まれたコンテクストとは全く異なるコンテクストにおいて、どのように機能しうるのか、という問いがあります。結論からお話しておきますと、この〈メタ/コモンズ映画〉の異なるコンテクスト上での可能性を拓く特徴は、大きく2つあります。

  1. 多様な分野の研究者が、それぞれの研究の背景を異なる多様な視点から理解するのに役立つ。

  2. 研究者だけでなく、研究に携わる現地の人々や関係者も自分の考えを表現することができる。

 ワシントンD.C.での僕のホストは、KLASICA(Knowledge, Learning and Societal Change Alliance)の議長でアリゾナ州立大学の特任教授でもあるイラン・チャバイさん、それからKLASICAの共同ディレクターでありアメリカ国立標準技術研究所(NIST)のリサーチ・エコノミストであるジェニファー・ヘルゲソンさんでした。
 今回の滞在では、KLASICA のイランさんとジェニファーさんにアレンジをしていただき、1.アメリカ国立標準技術研究所(NIST)2.ハーシュホーン・ミュージアムの方々と意見交換をさせていただきました。また、3.アリゾナ州立大学ディシジョン・シアターでの視察も行いました。それらのディスカッションや視察を踏まえて、4.KLASICAのイランさんやジェニファーさん、同じくKLASICAの共同ティレクターであるデビッド・マッグスさんらと今後の可能性について議論を重ね、共著での論考「Combining Art, Sciences, and Technology in Inclusive Decision Making for Community Resilience and Sustainable Futures(アート、サイエンス、テクノロジーを組み合わせた包括的な意思決定が、コミュニティのレジリエンスと持続可能な未来を実現する)」(著者:イラン・チャバイ, ジェニファー・ヘルゲソン, デビッド・マッグス, 澤崎賢一)にまとめました。この論考は今後、国際ジャーナルへの投稿を目指して帰国後の現在も執筆を進めています。


1.アメリカ国立標準技術研究所(NIST)

 ジェニファーさんにアレンジしていただき、2024年8月14日、8月16日の2度に渡って行ったアメリカ国立標準技術研究所(NIST)での意見交換会についてお話します。NISTに所属するジェニファーさんは、「Economics of Community Resilience Planning(コミュニティ・レジリエンス計画の経済学)」に関する研究を主導しています。14日の意見交換会では、被災時のコミュニティ・レジリエンスについて研究する学際的なグループの研究者たちと意見交換を行いました。16日はNISTの研究活動全体の映像アーカイブを担当するチームのディレクター、プロデューサーと意見交換を行いました。

国立標準技術研究所 (NIST)の入口

 時間は前後しますが、まずは映像アーカイブチームの方々とのミーティングについて振り返ります。僕と彼らはお互いが映像制作を専門とする者同士、専門性の高いディスカッションを行うことができました。また、スタジオや撮影機器も紹介していただきました。NISTには、僕が所属している総合地球環境学研究所(地球研)にはない映像制作専門の部署とスタジオ、プロ仕様の撮影機材が何台もあることに驚きました。スタッフは合計4名で、プロデューサー、ディレクター、カメラマン、アニメーターという構成です。
 最初は端的に、彼らの映像作品のクオリティの高さに驚かされ、テクニカルな部分で多くを学びました。研究者の研究内容をアニメーションや音楽を駆使してとても分かりやすく編集してあり、特に教育的な映像教材としての活用のしやすさを感じました。同時に、映画作品としての高いポテンシャルも感じられました(NISTのYouTubeチャンネル)。しかしながら彼ら曰く、クオリティの高い映像を作っているにも関わらず、NISTの科学者の多くが彼らの作る映像作品を見ないし、映像制作の重要性を分かってくれないと話していたのが印象に残っています。
 NISTの映像チームとディスカッションをしていて、互いに共感できた事柄としては以下のようなものがありました。

  1. 科学者の研究を映像で紹介する際、科学者の感覚や感情などを含んだナラティブな側面を重要視している点

  2. 専門領域の異なる多様な科学者たちの「あいだ」で、映像作家は科学者とは異なる視点から科学者たちの有益なマッチングの可能性を発案する可能性がある点

 また、NISTの映像チームのディレクターは、僕がプロジェクトベースで研究実践をする際、そのプロジェクトの重要性を政府や助成機関にどのようにプレゼンするのか、というクリティカルな質問を僕に投げかけました。〈メタ/コモンズ映画〉という方法は、映像を単なる「表現」のためのメディアとしてだけではなく、プロジェクトにコミットする研究者、ステークホルダーなどの関係者、さらには調査地に暮らす現地の人々などを結びつける一種の「ハブ」としても機能させるため、「研究者の視点や立場の相対化」と「一般の当事者たちによる発言や考えの顕在化」という2点において、研究プロジェクトに新しい視座を加える有益なものになる、という僕の回答が彼らにとっても納得しうる重要性を含んでいることが確認できました。
 映像メディアをハブとして機能させる方法は、上記2.の映像作家が「あいだ」に立って、専門領域の異なる多様な科学者たちの有益なマッチングを行うことができる可能性とも通じています。今後は、映像(もっと広くはナラティブ)を活かすことで、異なる専門性の「あいだ」に立つことの意義や方法論について、NISTや地球研など複数のコンテクストにおいて検討していきたいと考えています。

 次に、ジェニファーさんが主導するコミュニティ・レジリエンス・グループの研究会では、キャリア初期にNISTで研究をした経験のあるイランさんによるチャーミングでユニークなプレゼンの後(イランさんの活動や彼との交流内容については後述)、僕は研究プロセスにおける様々な観点からコミュニケーションを交差・発展させるための映像を活かしたナラティブな方法として〈メタ/コモンズ映画〉について、具体的な事例とともにプレゼンを行いました。

NISTコミュニティ・レジリエンス・グループ での研究会の様子

 プロジェクト「ヤングムスリムの窓」映画『#まなざしのかたち』の制作・実践プロセスで生まれた〈メタ/コモンズ映画〉という手法は、それらのプロジェクト実践や映画制作とは異なるコンテクストで活用されることを想定して生み出されたものではありません。今回、災害時のコミュニティ・レジリエンスというまったく異なるコンテクストにおいてそれらの手法を活かす可能性について考える機会をいただけたことが、まずはとても刺激的でした。プレゼン後のディスカッションでは、グループのメンバーから次のような質問をいただきました。

  1. 〈メタ/コモンズ映画〉といったアプローチの影響をどのように測定(measure)するのか?

  2. ローカルな文脈や文化に基づいて定義できるアプローチ(論文で文書化されたもの)をどのように一般化するのか?

 1つめの問いで、彼らが「測定(measure)」という表現を使っていたことが印象的でした。実践の効果や影響を評価することは重要ですが、芸術表現においては効果や影響を評価する一定のものさしを用意することが難しいので、どう受け止められるのかは基本的に鑑賞者に委ねられることが多いように思います。しかし彼らは、実践の影響をあたかも数値で評価できるかのように「測定(measure)」という単語を使っていたことに驚きました。現場での意見交換の際には、僕の英語の理解力の問題もありましたが、なかなかそうした問いにうまく答えることができなかったように思います。ただ、後日ハーシュホーン・ミュージアムでのミーティングでも話題になりましたが、人文学/社会科学系の評価とその応用については、今後もさまざまな分野の方々と議論を行う必要があると感じました。
 2つめの問いの「ローカルなコンテクストや文化に基づいて定義できるアプローチ」とは、その土地固有のアプローチという意味だと考えられますが、おそらく問われているのは、どうやったらその固有なアプローチがその土地以外の人たちにとっても意味のあるものになるのか、ということではないかと思います。この問いに答えることはとても難しいです。そもそも「一般化」といったとき、そこに含まれるのは一体どのような人々なのかが定義できないからです。また、それがどんなアプローチなのかにも因ると思います。悲しいときに泣く、嬉しいときに笑う、といった感情は、もしかすると世界共通言語になり得ますし、そうしたセンサリーなものについては映像が表現するのに適しているということは言えるかもしれません。しかしながら、それはローカルで固有なアプローチではありません。この質問については、もう少し質問の背景やコンテクストについて議論をする必要があると感じました。
 最後に、このディスカッションを経て確認できた重要なこととしては、NISTの映像アーカイブチームの方々とのディスカッションにおいても確認できたように、〈メタ/コモンズ映画〉という方法が、現地の人々などの異なる視点から、研究者が自分たちの仕事の文脈を理解するために役立つこと、それから研究者だけでなく現地の人々が自らの考えを映像によって表現することができること、これらはコミュニティ・レジリエンスの研究グループの研究者にとっても意味あるものになり得ると感じられたことです。映像制作に参加する人々が「自分自身の作品を作る」という意識が芽生えてくると、よりプロジェクトに深く関わることができると同時に、参加者自身が自らを表現する新しい映像言語を身につけることにも繋がる可能性があると僕は考えています。
 より注意深く考察するならば、以下の点について議論していく必要があります。

  1. 研究実践に映像メディアを導入すれば、〈メタ/コモンズ映画〉という方法がすぐに機能するわけではありません。実践プロセスでうまく機能するように映像メディアの活かし方について試行錯誤を重ねて、自分たちのコンテクストに合うようにフィットさせる必要があります。

  2. 自然災害がひとつの文脈として議論されている以上、被災した当事者が置かれている困難な状況を鑑みて、〈メタ/コモンズ映画〉が全く機能しない可能性も想定されます。なぜなら、エステティックでセンサリーな表現は、まず暮らしや精神が安定していなければ、なかなか向き合うことができない実践活動だからです。ゆえに今後は、〈メタ/コモンズ映画〉という手法が機能しうる具体的なコンテクストについて議論していく必要があります。

  3. 同時に、自然災害のような困難な状況にあって〈メタ/コモンズ映画〉を導入しにくい場面にあったとしても、それらの方法が機能しうるシチュエーションついて「可能性を議論する」ことも有益だと考えています。なぜなら、ある特定の自然災害を背景にした場合には〈メタ/コモンズ映画〉といった方法が導入できないような場面であっても、別のコンテクストにおいてはそれらの方法が役立つ可能性があるからです。
    言い換えると、ひとつの取り組みへの問いは、類似する問題を孕んだ別のコンテクストにおいても重要な問いとなる可能性があり、問題解決へのアプローチはコンテストを移行させるだけでも機能する可能性がある、ということです。


2.ハーシュホーン・ミュージアム

 ハーシュホーン・ミュージアムでのミーティングは、1時間程度の短い時間ではありましたが、ミュージアムとのコラボレーションを模索するために、僕やイランさんの関心と〈メタ/コモンズ映画〉を活かした共同研究の展望についてお話させていただき、またミュージアムでの取り組みについてもお話をうかがいました。今回の訪問では、具体的な提案というよりも、イランさんの旧友のスミソニアン関係者の方のご紹介でハーシュホーン・ミュージアムでのミーティングをセッティングしていただいており、イランさんを含めお互いに初顔合わせのため、まずはご挨拶程度の雑談を行いました。

ハーシュホーン・ミュージアム

 ミュージアムでの活動成果をパブリックと共有するためのプログラムを担当するディレクターいわく、子供や大人向けの教育プログラムが、ハーシュホーン・ミュージアムで色々と実施されているそうです。お話をうかがっていて、さまざまな世代の来場者、アーティストや展覧会の企画者、ミュージアムの関係者など、プロジェクトに関わる多様なアクターたちの「あいだ」でのインタラクションを促し、互いに発見し学び合う環境作りが非常に重要だと考えました。こうしたミュージアムでの教育プログラムに〈メタ/コモンズ映画〉などの手法を活かすには、おそらく分野横断的な学びを促すSTEAM教育(「科学」「技術」「工学」「芸術」「数学」の5つの分野を統合的に学ぶ教育)との親和性が高いと思われました。
 また、イランさんは、ミュージアムの方々に、「ミュージアムで芸術作品を鑑賞した後の人々の評価や感想、彼らへの影響をどのように評価するのか」と質問を投げかけましたが、評価の仕方はとても難しいようでした。僕も日本の美術館のキュレーターに同様の質問をしたことがありますが、「来場者の評価は来場者数でしか評価できていない」と聞きました。昨今の社会との関わりの中でその存在意義が問われるソーシャリー・エンゲイジド・アートなどの表現は、エコロジーなどの地球環境問題や地域社会の問題を直接的に扱うものも含まれるため、そうした作品体験がどのように鑑賞者に影響を与えたのかの評価はとても重要で、今後の議論が必要だと感じています。
 イランさんは、アート・ミュージアムやサイエンス・ミュージアムでは、来館者の思考や態度、行動への影響を評価するのが難しく、一部では、来館者の数を数えたり、覚えていることや学んだことを尋ねたりすることもあるが、それも不十分な手段であると指摘します。イランさん曰く、いくつかのミュージアムによっては、例えば、インフォーマル学習や自由選択学習に関する広範な研究(Falk, J. H., & Gillespie, K. L. (2009))や科学センター訪問者の学習における感情の役割の調査(Falk, J. H., & Storksdieck, M. (2005))など、より自由な形式でのインタビューに限定的な成功を収めている研究があるそうです。

展覧会「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」

 現在、僕は金沢21世紀美術館で開催される展覧会「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」(2024年11月2日 - 2025年3月16日)の中で、美術館と地球研との協働の展示を行う関連企画「アニマ・レイヴ 存在の交差点で踊る」に参加しています。この関連企画では、「論文という形にすると削ぎ落とされてしまう研究プロセスでの発見や感動を、言語に依らないで可視化できる表現に変えて伝えることで、来場者に地球の問題を自分ごととして持ち帰ってもらえる展示にする」ことが趣旨とされています。この企画では、主に3つの展示が計画されています。それぞれ3つのキーワードは「土」「島と水」「サンゴ」で、各キーワードは地球研の異なる3つのプロジェクトとそれぞれ紐づいています。僕は、その中のひとつ「島と水」をキーワードとした地球研のLINKAGEプロジェクト(陸と海をつなぐ水循環を軸としたマルチリソースの順応的ガバナンス:サンゴ礁島嶼系での展開)とのコラボレーション企画に参加することになりました。

LINKAGEプロジェクト

 この「島と水」チームの展示で、僕はハーシュホーン・ミュージアムを訪問した際に考察した「学びの場作りでのインタラクション」や「ミュージアムでの鑑賞体験をどう評価するか」といった問いに応える〈メタ/コモンズ映画〉を活用した試みを行いたいと考えています。「島と水」の展示では、「芸術関係者と研究者が学際的な企画をどのように共創するのか」というプロセスを展示内容としたいと考えています。ゆえに、この展覧会をプロジェクトの「成果を紹介する」ための展覧会ではなく、「異分野コミュニケーションの場」として展覧会を位置づけ、その学際的な交流プロセスを見ていただくことを通じて、研究内容や美術館の取組みについて知ってもらいます。そのため、数ヶ月の会期のなかで、島の季節変化とも応答しながら展示内容がアップデートしていくことを企図しています。
 この展覧会では、地球研の研究者、アーティストや映像作家、金沢21世紀美術館のキュレーターや建築家が主たるアクターで、僕を含めた彼ら・彼女らのコミュニケーションのプロセスを見せるものですが、ときには研究者が美術館内の作品の鑑賞者になったり、一般来場者の展示を見たリアクションを展示内容にフィードバックさせたり、来場者と企画した側の関係者がどのように相互に影響を与え合うのか、ということとセットで多様なアクターへの影響を見ていきたいと考えています。
 今回の展示は、美術作品の展示であると同時に、ナラティブ(芸術や物語)を導入した学際的な実践研究でもあります。ニュージアムでの鑑賞体験の評価については、対象を一定のものさしで評価しようとするのではなく、もう少し手前で、僕が「ヤングムスリムの窓」での取り組みを考察したときのように、やったことのプロセスを民族誌的に記述したいと考えています(Sawazaki, K., et al. (2024) https://doi.org/10.51002/trajectoria_024_02)。先行研究の少ない事例となるため、そこで為されたことをきちんと記述していくことがまずは重要で、そうした個別具体的な実践の記述の集積から一定の傾向を測り、さらには別のコンテクストでの方法の応用可能性を明らかにしていきたいと考えています。
 補足ですが、イランさんはナラティブを含む研究にエスノグラフィ研究が必要であることに同意しています。しかし、イランさんは、研究の検証におけるナラティブやその他の形式の「質的データの利用」に関心を持っており、質的データは、研究の分析において重要であるだけでなく、サイエンスやテクノロジーにおける量的データの解釈においても不可欠であると指摘しています。ちなみに、質的研究は、観察やインタビューを通じて個人の経験や視点を理解することに重点を置くのに対し、量的研究は数値データに基づいて分析し、結論を導き出します。つまり、イランさんは、個人の経験や視点を理解することが、数値データに基づく分析においても不可欠だと指摘しています。

3.アリゾナ州立大学ディシジョン・シアター訪問

 アリゾナ州立大学が大学の複数箇所に設置しているディシジョン・シアターを訪問し、大学担当者にディシジョン・シアターがどのようなシステムなのかの説明していただきました。ディシジョン・シアターは、世界各国の複雑な情報をマクロな視点から観察しながら、複数名の研究者やステークホルダーが意思決定を行うシステムです(https://dt.asu.edu)。このシステムの特徴は、設置されたシステムが複数箇所にあり、7つのモニターによって複雑な状況・情報を複数名で同時に見ることができるため、問題をより早く、そしてより正確に解決することができるところです。
 インターネット環境が発達し、世界各国の人々がスマホやパソコンなど複数台を当たり前のように所有する時代にあって、「複雑な情報を複数のモニターでマクロな視点から観察すること」が特徴であるディシジョン・シアターは、諸問題の全体的な傾向を観察するには有効だと感じましたが、私見では、情報の中身が量的なもので現場の実態を捉え損ねるのではないかと感じました。あくまで感想ですが、例えば現地の人々の顔が見えるなどの質的なデータが不足しているがゆえに、ディシジョン・シアターでのミーティングで意思決定や判断ができるかというと、それは難しいように感じました。
 ただ、考えさせられたのは、個々の人間が認識しきれないほどの膨大な量のデータベースを活用して、それらの量的なデータについて人間が認知し、適切なレベルで考え、判断ができるようにハードウェア/ソフトウェアをどのようにデザインすることができるのか、ということです。ディシジョン・シアターは、その試みのひとつとして位置づけることができます。おそらく、より適切なシステムとして改善していく必要があるのだとすれば、誰がユーザーなのか、このシステムではどのような意味での意思決定が行われるのか(政治的、経済的、文化的など、それぞれのコンテクストにおいて意思決定がなされる状況は大きくことなるはず)、試験的に実践してみたときにどのような意思決定がなされたのか等々、ディシジョン・シアターの説明を受けて考えられ得るこうした問いはまた、他のシステムのデザインにおいてもおそらく重要な問いになるのではないかと思います。
 〈メタ/コモンズ映画〉が扱おうとする共有される映像のデーターベースについても、試みに視野を地球規模まで広げてみると、世界中の人々が今も撮影を続けて、編集した映像をアップロードして、さらにはアップロードされている映像を自分たちの関心に基づいて再編集し続けており、こうした現象を特定の問題意識を持ったコンテクストへと傾向づけたり誘導したりするためには、やはりそれらの膨大な映像データを共有するためのシステムのデザインがとても重要になると感じました。

ディシジョン・シアターでビクトリア・マクドナルド氏とラウル・サラ氏による説明を受ける様子
リモートで参加するディシジョン・シアター・プログラムのリーダー
マンフレッド・ラウビヒラー教授(写真左)
世界各地の情報にアクセス可能
写真は日本


4.KLASICAメンバーとの議論、論考

KLASICAメンバーとのオンラインディスカッションの様子
(左上から時計回りにデビッド・マッグス, イラン・チャバイ, ジェニファー・ヘルゲソン, 澤崎賢一)

 この章では、KLASICAメンバーとのディスカッションを通じた興味深い観点、それから今回の滞在研究の成果として執筆した論考についてご紹介します。KLASICAの議長であるイランさんとは、決して長くない滞在期間中、かなりの頻度でディスカッションを重ねてきました。先にも触れましたが、イランさんはNISTで彼のキャリアをスタートさせました。NISTでは光学分光学(Optical Spectroscopy)に関する研究をされていたそうです。研究内容もさることながら、毎回、彼のプレゼンテーションにおけるとてもユーモア溢れるイメージの活用方法や語り口に魅了されました。僕は、誰かに何かを伝えようとするとき、知ってもらいたいとき、一緒に何かをしたいとき、たとえそれがアカデミックなコンテクストにあったとしても、ユーモアや余談はとても大切だと考えています。ここまで考察してきたように、僕たちが共同で発展させたいと考えている研究は、科学と社会との関係性、つまり広く一般の方々とのコミュニケーションを問題としているからです。
 その後、イランさんは、NISTでの自然科学研究(Natural Science Research)から離れ、社会起業家(Social Entrepreneur)としての第二のキャリアをスタートさせ、スミソニアン、ディズニー、NASAなどを含め、世界20カ国で230を超える展覧会を企画してきました。彼は、展覧会を企画するとき、来場者の好奇心を刺激し、彼らが自分自身の問いを見つけることができるように、さまざまな仕掛けを考えてきたそうです。こうした考えには、とても共感しました。
 2008年にKLASICAを創設したイランさんは、今回さまざまに議論している持続可能性や集団的意思決定の問題について、デビッド・マッグスさんやジェニファーさんたちと共同研究を進めてきました。NIST、ハーシュホーン・ミュージアムの方々との議論でしばしば話題に登ったいくつかの問いは、イランさんらKLASICAのメンバーたちが、それらの問いについて以前から強く関心を持っていたものです。
 例えば、「研究実践をどのように評価するのか」という問いについては、彼らはその問いに応えるために、SNSなどのデジタル環境を活かした評価手法「Digital Observatory of Narratives of Sustainability (DONS)」を提案しています(Helgeson, J. & Glynn, P. & Chabay, I. (2021) https://doi.org/10.1016/j.futures.2022.103016)。「コミュニティ・レジリエンスにおいて、どうのように集団的な意思決定をするのか」という問いや「テクニカルな理由だけでなく、文化もそれらの意思決定においてとても大事である」という考えも、彼らがこれまでに議論してきたことです。
 イランさんは、〈メタ/コモンズ映画〉を複雑な世界(complex system)を様々な視点からスライスして世界の多様性を示すものだと評しました。コミュニティ・レジリエンスにおいては、それらの多様性は、個々のレジリエンスを表すものになる。サイエンスにおいても、質的(Qualitative)な判断は、量的(Quantitative)な判断に影響を与えるという考えがコモンになりつつあるので、質的つまりナラティブが重要とされている、とイランさんは指摘します。
 アートを含んだナラティブをサイエンスに導入するにあたって、イランさんが話していた「隣接可能性(Adjacent Possible)」という考えも興味深いです。「隣接可能性」とは、人々がコミュニケーションを通じて、それぞれの人生経験や知識・認識の範囲の一部を共有することができたときに初めて、コモンズの周縁や境界線上にある「少し離れた」アイデアを共に創造することができ、学際性や他者との出会いが可能になるという考え方です。というのも、あまりに異質なもの同士だと、例え近接してもそこから関係性が生じにくいからです。例えば、僕がコラボレーションしているヤングムスリムたちの存在が重要なのは、彼らが日本の文化圏で育ち、日本の大学で教育を受けた若者たちである点です。いわば彼らは、日本社会とムスリム社会の境界線上に存在していて、だからこそムスリム的な慣習からは遠く離れている僕と彼らムスリムたちとの間でコミュニケーションを行うことができるのです。
 イランさん、ジェニファーさんと同じくKLASICAのメンバーであるデビッドさんは、芸術、気候変動、持続可能性を専門とする研究者であり、同時に学際的なアーティスト、ピアニストでもあります。彼とはオンライン・ミーティングで何度かご一緒させていただきましたが、彼は日本の儀礼にとても興味があると話してしました。彼らKLASICAのメンバーと共に、今回の調査研究活動の最終成果を論考「Combining Art, Sciences, and Technology in Inclusive Decision Making for Community Resilience and Sustainable Futures(アート、サイエンス、テクノロジーを組み合わせた包括的な意思決定が、コミュニティのレジリエンスと持続可能な未来を実現する)」としてまとめました。この論考の目的は、集団的な意思決定のプロセスが、地域の持続可能な文化の興隆と持続性をどのような条件のもとで可能にし、あるいは妨げているのかを理解することです。具体的には、意味のある包括性、公正さ、透明性を育むために、ナラティブ(物語、芸術、儀礼)な表現を用いることが、熟議に基づく意思決定においてどのような役割を果たすことができるのかを明らかにすることです。


■最後に

 今回、初めて日本国外の研究者たちと〈メタ/コモンズ映画〉といった方法について意見交換をさせていただき、コミュニティ・レジリエンスなどの環境変化に対応する研究や、美術館での教育において、それらの手法が関係者の関心を惹きつけるものであったことはとても興味深く、同時に様々な可能性を感じました。
 次のステップに進むために重要なのは、これらの方法をどのようなコンテクストにおいて実践するのかを具体的に議論し、誰がどのように僕たちのプロジェクトにコミットし、どのような方法を実践するのかを明確にすることです。そのために、僕自身は、NIST、ハーシュホーン・ミュージアムの諸活動をもっと知る必要がありますし、各コンテクストに沿った方法をアレンジしていく必要があります。先にも述べたように、〈メタ/コモンズ映画〉という方法は、指示書に沿えば誰しもが簡単に実施できるような再現性のあるものではありません。それらの方法は、センサリーかつエステティックなもので、実施する人たちによって変化していくものです。加えて、それらのアプローチは、地球研の各プロジェクトにおいても、ナラティブを活かした新たな観点を生み出すために、極めてアクチュアルで重要な影響を与えるものになると考えています。
 今回の調査研究活動では、「研究者としてさまざまな専門や立場や考え方を持つ人たちが集まるコミュニティレベルにおいて映像をどのように活かすことができるか」という問いに重点が置かれてきました。高度な技術と柔軟な発想力を持つNISTの研究者たちやハーシュホーン・ミュージアムのキュレーターたちとの今後のコラボレーションは、映像を活用した実践的な研究や社会とのコミュケーションのための教育の発展に大きく貢献できると確信しています。さらに、アーティスト/映像作家として強調したいのは、それらの取り組みが芸術表現の可能性をも広げるものであるという点です。

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