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「90's裏原宿の風景 〜『STUSSY』から『Supreme 』まで〜その2」

こんにちは。Panda Unityです。

前回「90's裏原宿の風景 〜『STUSSY』から『Supreme 』まで〜その1」にて、「STUSSY」を裏原宿系のルーツ的な存在と位置付けましたが、今回はその理由についてお話したいと思います。

■「STUSSY」とは

「STUSSY」は80'sアメリカ発祥のブランドで、創設者はショーン・ステューシー。サーフボードのシェイパーをしていたショーンがサーフィン仲間に自作のTシャツを配り、それが評判となったところからスタートしています。

当時、市場に流通するストリートウェアの大部分はいわゆるファッショニスタに向けられたものではなく、文字通りストリートキッズ(悪ガキ)のための、どちらかと言えば粗野でチープなものでしたが、自作Tシャツから徐々にビジネスを拡大していった「STUSSY」は、ストリートウェアというものの意味合いを大きく変えて行くことになります。

■ストリートウェアからカルチャーへ

それまでのストリートウェアでも主流であったルーズなフィットは踏襲しつつ、よりクリーンなデザイン・そしてよりクラス感のある素材使いなど、ショーン自身のクリエイティビティが反映されたアイテム群を展開するようになった「STUSSY」は、サーフィン界のみならずスケートボード等のエクストリームスポーツ全般、また同時期に新世代の音楽として発展したパンクやレゲエ、ヒップホップといった、様々なカルチャーのエッセンスを取り込んで行きます。

さらに、世界各地の著名なデザイナー・ミュージシャン・DJ達とも交流が進み、ブランドの知名度は多角的な広がりを見せます(彼らはInternational Stussy Tribeと呼ばれ、その中には日本人として藤原ヒロシ氏も名を連ねる)。

「STUSSY」は単に「気の利いたストリートウェア」であるだけでなく、それを着ることが「STUSSYというカルチャー」を纏うことと同義である、そんな存在になったと言えます。

■裏原宿系とのリンク

ここまでお読み頂いた皆様には、何となくイメージがしやすいかと思いますが、International Stussy Tribeである藤原ヒロシ氏との親交、そしてまた様々なカルチャーやスタイルを咀嚼し、独自のバランス感覚でミックスアップした洋服作りなどにおいて、「STUSSY」にはその後に生まれてくる裏原宿系ブランドとの様々な類似点が見られます。

むしろ、前述のグッドイナフをはじめとして裏原宿系ブランドの多くが、「STUSSY」から直接・間接を問わず何らかの影響を受けていると言っても過言ではないと思います。

■日本での展開

「STUSSY」日本初の直営店は、東京・自由が丘にオープン。ストリートブランドとしては非常に異色な場所のチョイスでした。
その後、店舗は代官山へ移転しますが、こちらも当時は現在と比べればかなり閑散としたエリアであり、こういった部分にも既存ブランドとの差別化戦略が見られます。

そして、大企業とのコラボレーションが始まります。
CASIOとのG-SHOCK、NIKEやNew Balanceとのスニーカー等々、数多くの別注アイテムが発売され、それらは大きな話題と人気を集めます。

同時に、裏原宿系ブランド勢(代表的なところではA BATHING APE、NEIGHBORHOOD、WTAPSなど)ともコラボが行われ、改めて「STUSSY」と裏原宿系ブランドとの親和性の高さが示されると共に、裏原宿系ブランド同士のコラボ手法も一般化していくことになります。

なお現在、日本の「STUSSY」直営店数は48まで拡大しています。
ショーンは既にブランドを離れましたが、「STUSSYというカルチャー」が今後どのように進化して行くのか、引き続き注目したいと思っています。


次回は「Supreme」を中心にお話させて頂く予定です。

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