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マナー違反

鬱病がとんでもなく悪化したから、今月から実家に帰って来ている。

とりあえず近くに川があるから朝早く起きる目的として、釣りに行こうと考えていたら、今月ももう終わりに近付いている。

でも何が釣れるのかもわからないもので、なにが釣れるかわからないと、何を持って釣りに行けばよいのかもわからないから、とりあえずネットでその川の名前を検索してみたり、YouTubeで検索してみたりした。

そしたら釣り禁止だとか言う文字が飛び込んで来るもんだから、小さい頃網を持って遊びに行ってた自分が浮き彫られていった。

でもYouTubeではそこの川で釣ってる人もいるなと、動画を見てみたら、コメント欄に、そこは釣り禁止ですよと書かれているし、なんだかおかしいと思って、釣り禁止で今度は調べてみたんだけど。
日本全国至る所が釣り禁止になっているということに気が付いた。

そして釣り人は、自分の動画やらブログやらでマナーの向上を叫んでいる。
マナー違反の方がいるので釣りが出来る場所が減っています!みたいな。

なんだかこれにとんでもない違和感を感じたから、ちょっと考えてみようと思う。

都内のコンビニはトイレを貸していない場所が多い。
マナーの違反者がいるから貸せないと大体書いてある。

マナー違反→禁止
これは暴論な気がして来る。

マナー違反をする方が一人でもいれば禁止じゃ無茶苦茶である。

行動遺伝学やら境界知能以下の方やらの観点で見ると簡単なわけだけど。例えば境界知能の方。わしの娘なんかはワーキングメモリが軽度知的障害並みなもんだから、言われた側から忘れてしまう。
だから何か注意書きがあっても、そこから目を逸らすと忘れてしまう感じである。

〜はしないで!マナーを守りましょう。
と書いてあったら、目を逸らして次の瞬間、何をしたら行けないんだっけ?となる感じである。

日本国民の15%くらいは残念ながら境界知能以下の知能なので、マナーは守りましょう!ってのはわかっているけど、何をする事がマナーを守るって事だっけ?もしくは何かをしない事だっけ?となっている。

マナー違反の方がいる為、禁止にします!が如何に暴論かって感じである。

娘は喉渇いたな〜と思って、飲み物を飲もうと考えてる時に、誰かに話しかけられたら喉が渇いたことを忘れてしまう為、尿検査は毎年とんでもない値を叩き出すのだ。

自分の健康さえも維持出来ない為、食べ歩き、飲み歩きはやめましょうとか、マナーどころの話ではない。

もし釣り禁止がゴミの問題だとしたら、税金を投じて、頻繁に清掃すれば良い話でもある。
国民の為に国家があるんじゃないのか?ある程度自由に、やりたい事は出来るように国を経営すべきだと思う。

私なんかは鬱病が悪化しまくって過敏性腸症候群にもなってしまったので、都内には行けなくなってしまった。
何故なら、マナーを守れない人がいるせいで、都内のトイレは急に使えなくなったりしているからである。

いっそのこと、マナーを守れない人を障害として認定すればいい。
おかげでこっちが障害者手帳を交付されるくらいなんだから。

つまり極端な話だが、壁に糞を塗りたくる知的障害者に、マナーを教えられる教育システムが存在するなれば、マナー違反から禁止という流れが成立する話だと思った。

実際知能指数がある程度あれば、ゴミを置いてったら誰かそれを片付ける人が必要だな。とか、分解するまで如何程の時間が掛かるかしら?とか、自然に考えるものである。

マナー違反で片付けてる人は思考停止というか、放棄してしまっている。

たぶん現代社会は、一人一人のやる事が多過ぎるのだ。

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