ひろしま
先週末から広島に行って来た。
原爆ドームを初めて見た。
原爆の悲惨さを感じる事はまったくなかった。何故なら鉄骨が入っていたからかもしれないし。原爆が爆発する前よりも多くの人が見てしまったから、その情報の方が膨大で、そっちを受け取ってしまったのかもしれない。
昔ボストン美術館にミイラ観に行ったら、このミイラさんはどれだけ多くの人に見られたのかと考えてしまって、その情報が多過ぎて具合が悪くなったのを思い出した。
たしか10日間出入り自由なチケットだったけど、そんなに見たらげっそりしてわしもミイラになってしまうわ。
資料館にも行ってみたんだけど、なんか思い描いてたのと違った。
どうやらリニューアルしていたらしい。
なんか小綺麗な感じがした。
まぁ結局被爆した方々の日記とか遺書とか読んでたら具合悪くなったので1時間も経たずに出て来てしまった。
たぶん原爆ドームもリニューアルされていると言える。
あれじゃあんまり意味があるのかないのか。もう原爆が落ちてこうなったと言うよりは、普通に長い年月が経ってこれだけぼろぼろになりましたとも言えるからかもしれない。
それくらい昔のことになってしまったんだなと思った。
資料館を出ると、悲しい顔で抱き合ってるゲルマン系を至る所で目にした。アメリカ人ぽい感じはした。
ついでに宗教の勧誘も至る所で目にした。
原爆をダシに信者を増やそうとしているのかなんだかわからんが、派閥を作ったら争いは起きるって事がわからんのかと思いながら横目に歩いた。
ヴィーガンの方とか正にそうだなと思うけど、半分強要みたいな。あの感じ。
こっちが正しくてあっちは間違ってて的な。
これが争いの元じゃないのかしら。
核は良くない!とか
戦争は絶対ダメ!とか言ってる人もそこら中にいたけど。
それは二項対立を作るだけじゃないか。
何だか不思議なもんである。
対立出来るようにグループ分けするのはなかなか危険だなと思った。
それが私が平和記念公園で学んだ事だと言える。
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