向き不向き
赤ちゃんとの生活が始まった。
始まってすぐに
育児はやっぱり
私には向いていないなと気付いた
赤ちゃんは可愛い
可愛いが
なんで泣いているのかわからない
聞いてももちろん答えてくれないし
こちらの言うことも
多分伝わってはいない
私は話の通じない相手とのやり取りが
とても苦手だった。
なので元々子供の相手は
そんなに得意な方ではなかったし
なんというか
認知症があるような
お年寄り相手のお仕事も
自分では一生無理だと思っていたので
保育士さんと
介護に携わる仕事をされている方々のことを
心から尊敬していた。
ちなみに動物も同じ理由で苦手だ
我が子となれば
少し違うのかなと思っていたが
やはり感覚としては変わらず
なんで泣いているの?
どうして欲しいの?
問いかけても問いかけても
明確な理由はわからない
わからないので
心当たりを1つずつ潰していく
なんだかすごく無駄に思えてしまう。
あと
自分の動きたいように
動けないということも
私には強いストレスだった
せっかくオムツを変えた直後に
ウンチをする赤ちゃん
二度手間に感じてしまう
こちらがご飯を食べようとしているのに
泣き出す赤ちゃん
ちょっと待ってくれよと思う
少しでも早く大きくなって
言葉が通じて
会話ができる状態まで
成長してほしい
1歳になったら
少しは話したりできるだろうか?
そこまでには最低でもあと1年はかかる
24時間が365日
とても長い
向いていないながらも
育児にはしっかりと取り組んだ
それは可愛いからというよりは
責任感故のこと
赤ちゃんを大好きな旦那さんと
両親や祖父母のためにも
私の不注意で
この小さくて何も出来ない
ヘナチョコな生き物の命を
絶やすことは絶対に許されない
里帰りを終え
旦那さんと2人で暮らしていた
アパートに戻ってからは
自分の動きたいように動けないことが
より大きなストレスとなった。
赤ちゃん中心の生活
とにかく寝てくれないと
私の時間がとれない
お昼寝に合わせて
散歩がてらベビーカーで買い物に行く
ベビーカーに
負担にならない程度の買い物をして
起きて泣く前に家に帰る
寝ている間にご飯の支度をする
起こさないように注意を払いながら
掃除や洗濯をこなす
基本的にこの繰り返し
車で寝てしまったら
起きるまで車内で待機する
せっかく時間をかけて寝かせたのに
すぐに起きてしまった時の
時間を無駄にした感覚
作ったミルクを
いらないと拒否され
ミルクを捨てて
哺乳瓶を洗って消毒する虚無感
着替えた直後に
ウンチで汚れてしまった服と
すでに回してしまった洗濯機
1日家にいたはずなのに
なんだか何も出来なかった日には
私はいったい
1日何をしていたんだろうと思い
生産性のない1日を過ごしてしまったことに
とても罪悪感を感じた。
どんな色が好き
という歌の本を買ってきて
旦那さんが色の部分を
赤ちゃんに替えて歌っていた。
どんな赤ちゃんが好き?
に対して
笑顔で
全部!
と答える旦那さんと
ねんねの赤ちゃんが好きと
即答する私
とにかく出来るだけ寝ていて欲しい。
そんな感じで娘は6ヶ月になり
私が母になって6ヶ月が経過した。