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法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件7

 アスカがヤザニと知り合ったのは、98年6月ごろだった。送金客のイラン人から、「この人は仕事がない、泊まる場所もない。あなたはいろいろな人を知っているから、この人のために仕事を探してください」と、ヤザニのことを頼まれた。
 アスカは、四谷のアパートや日本人の恋人のところに住んでいた。別に自分の借りていた神田のマンションには自分の荷物だけを置いていたので、ヤザニを住まわせた。

 ──ヤザニが部屋の中で、薬物を扱っていた形跡はありましたか。
「全然ありません」
 ──神田のマンションの中に、小さなビニール袋がいっぱいありましたが、何に使ったんですか。
「そんなに多くはないです。私が覚えているのは2パック。これは、私が買いました」
 ──何を入れていたんですか。
「麻薬ではないかと、警察では思われましたが、イランの角砂糖です。形は麻薬に非常によくにています。それに、いろいろな漬物を入れたり、母親から届いた手紙を大事にして、ビニール袋に入れ、ポケットに入れていました。四谷のアパートにもそういうビニール袋がありましたが、ICとかエレクトロニクスの部品を入れていました」

 アスカの趣味とかで、四谷のアパートにはパソコンがあった。

 ──山下に薬物を売ったとされる6月22日、この日、あなたは、どこでどんなことをしていましたか。
「はっきり覚えていません」
 ──6月22日の午後、転送された電話で、山下と話したことはありますか。
「NTTの記録では転送がありますが、とくに覚えていません」
 ──この日、ファストフードの前で、ヤザニにかわって電話に出た山下と話した記憶はありますか。
「ありません」

 山下の事件ではとくにアリバイはないが、全面否認はかわらない。坂田のことも「まったく記憶はありません」と否定した。
 今度は、検察官の質問である。神田のマンションの家賃は月額12万円、四谷のアパートの家賃は月額9万円。合計すると、月に21万円の家賃を支払っていることを確認した後、次のように尋ねた。

 ──家賃はどうして稼いだのですか。
「主に送金業と変造テレカの金です」
 ──送金客から金を受け取る方法は。
「ほとんど現金です」
 ──送金依頼書は銀行からもらうわけですね。
「はい」
 ──それは、ありますか。
「ありません」
 ──どうしてないのですか。
「去年7月、客と清算がすべて終わりました。また、依頼書は、全部、私の名前ではなかったし、イランへ帰ろうと思って捨てました」

 実際に送金業をしていたという証拠が何もない。アスカに送金を頼んだ客の存在もはっきりしない。アスカの銀行預金は調べられている。都市銀行の支店には、97年4月、残高5万円あったのが、98年7月、残高293万円になっていた。ほかに、別の都市銀行、郵便局にも貯金があり、三つあわせて約400万円になる。
 引出しのほうは、まとめて100万円とか区切りのいい数字で行っている。アスカは、引き出した金は、客のために送金したと述べた。

 ──山下と会ったことはありませんか。
「ありません。証言もおかしかった」

 また、坂田にも佐藤にも会ったことはない。ヤザニに指示して、薬物を売らせたことも一切ないと、アスカははっきりと答えた。

 弁護人はヤザニにも被告人質問を行った。ヤザニは、群馬で建設作業員として働いていたが、98年6月2日、東京に出てきた。
 アスカが仕事を紹介してくれるという話を聞いて、アスカに会う。
「当時、私の母親とこどもが病気していました。どうしても、お金が必要でした。できるだけ早くイランに帰りたい。早目に仕事を見つけてくれと頼みました」
ヤザニは、東京や千葉の友人の部屋で寝泊まりしていたが、「寝る場所があるので、そこに泊まっていい」と、アスカが神田のマンションをすすめてくれた。「家賃が払えない」と遠慮すると、「仕事して金をつくったら、紹介料と光熱費を払ってくれればいい」といってくれたので、6月10日ごろから、ヤザニは住みはじめた。

 ──その後、アスカから仕事の話はありましたか。
「仕事が心配で、会うたびにどうかと聞いたら、あちこち頼んである、もうちょっと待ってといわれました」
 ──6月22日の午後3時ごろ、どこにいたか覚えていますか。
「覚えていません」
 ──このとき、山下に薬物を渡したとなっていますが。
「全然知りません」
 ──女性の警察官は、あなたに間違いないと証言しましたが。
「はい。しかし、その場所にいったことはありません」
 ──別の人と人違いした。
「きっとそうです」
 ──6月25日、佐藤に大麻を売ったこともないし、会ったこともありませんか。
「よく覚えていません」
 ──佐藤は間違いないと証言していますが、まったく身に覚えがありませんか。
「だれの話をしているのか、全然わかりません」

 検察官の質問に対しても、全面否認を貫いた。

 3月24日の第8回公判で、検察官は、アスカに懲役5年、ヤザニに懲役4年、それぞれ罰金30万円の求刑を行った。4月16日の第9回公判は、弁護人の最終弁論の予定だった。ところが、事態は急変する。前回公判後、接見した弁護人に対し、ヤザニが、「ほんとうのことを話したい」と言いだしたのである。予想よりも求刑が重く、正直に話したほうがいいと思ったようだ。
 そのため、この公判で、再度、罪状認否を行い、2人の被告は、起訴事実を認めた。4月23日の第10回公判で、弁護人がヤザニに質問した。

 ──前回、真実を話したいといったが、なぜ、これまでの態度をかえたのですか。
「家族のことを考えて、早く帰りたいと思ってです」
 ──ほんとうのことを話すとすれば、アスカとの関係についてどう思いますか。
「ほんとうのことをいうと、アスカに不利になると思いました」
 ──6月22日のことですが、薬物密売をだれにもちかけられたのですか。
「アスカにです。薬物を持っていって、相手に渡たしてくれといわれました」
 ──そういわれて、どうしましたか。
「怖くて断りました。しかし、アスカに世話になっているので、断り切れずにやりました」
 ──6月25日のことはどういうことでしたか。
「午後2時ごろ、マンションで、アスカと食事していたら、アスカに電話があり、トルコ語で何か話していました。その後、アスカが、『これを日本人に渡してくれ』といわれました。おそらく薬物だと思いました」
 検察官の質問ポイントは一つ。
 ──真実をいったら、アスカから報復をうけて、怖いと思いましたか。
「違います。イラン人の慣習で、お世話になった人を大切にしたかった」

 続く、5月12日の第11回公判は、アスカへの質問だった。2人の被告は、いままでと違い、首をうなだれて被告席に座っている。答えるアスカの声も力なく、はりがない。弁護人の質問からはじまる。

 ──7月14日、警察に捕まったときに、やったことを認めなかった理由を一言でいうと何ですか。
「非常に怖かった」
 ──どれくらいの刑をかせられるかわからなかったから、怖かった。
「はい」
 ──ほかに理由はありませんか。
「もう一つ考えたのは、ヤザニのことです。ほとんどやってなかったのに、重い罪になると思いました」
 ──ヤザニが前回、素直に話したことに間違いはありましたか。
「ありません」

 しかし、アスカによると、密売組織のボスではない。ボスは、アスカのやっていた送金業の客の中の2人だった。ちょうど、送金業をはじめたころ、かれらと知り合う。「通称バービーで、本名はホセイン。それから通称トニー、本名はモハマッド」。
 検察官が、この点を問い詰めた。

 ──2人のフルネームは。
「イラン人の中では、下の名前で呼んだりします。上の名前は知りません」
 ──2人はどこにいるのですか。
「わかりません」
 ──ほんとうに存在するのですか。
「はい。上野駅周辺にいました」
 ──罪を軽くしたいので、架空の人物をあげているのではないですか。
「弁護人の話によると、軽くならないと聞きました。嘘をいう必要はありません」

 6月30日の第12回公判は、アスカの関連で、40代半ばの日本人女性が情状証人として出廷した。小柄で茶髪、草色の上着、同じ色のズボン。イラン人の夫が帰国したまま、連絡がとれずに困っていたとき、アスカが相談に乗ってくれた。その後、夫と離婚する。アスカは、病気のときに看病してくれるなど、「非常に几帳面で、やさしい人」。

 ──裁判がはじまってから、アスカから、「あなたと結婚したいので、手続をとってくれないか」と、私に話があり、私があなたに話しましたね。
「はい」
 ──その話を聞いて、どう思いましたか。
「私自身が、結婚の対象の年齢じゃなく、びっくりしました。『ぼくの幸せはあなただ』といわれました。本人がそう思うならと、返事しました」

 弁護人はこのような答えを引き出した後、最終弁論を行い、アスカは、「私の歳を考えていただいて、新しいチャンスを与えていただきたいと思っています」、ヤザニは、「1日でも早く家族のもとに帰りたい。どうぞよろしくお願いします」と述べた。
 7月30日の第13回公判で、アスカは懲役4年、罰金30万円。ヤザニは懲役3年、罰金30万円、それぞれ200日の未決算入という判決があった。
(2021年11月1日まとめ・人名は仮名)


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