法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件5
脱走事件7人のうち6人が薬物事件の被告であったように、イラン人の薬物事件は続発している。
イラン人の来日ラッシュのはじまった90年以降、イラン人による密売が全国各地で摘発され、逮捕されたイラン人は、92年、38人、93年、215人、94年、270人、95年、253人、96年、294人、97年、328人、98年、289人、99年、190人にものぼる。来日外国人の薬物犯罪者の“国籍別トップ”だ。
2000年に入っても、摘発は続き、警察の推定によると、全国で約50グループ、数百人のイラン人密売組織が暗躍しているという。
かれらが扱う薬物も、覚せい剤、大麻、ヘロイン、コカイン、アヘン、LSDなど多種多様で、“薬物コンビニ”とも呼ばれている。
数多いイラン人被告のうちの2人が、東京地裁506号法廷で証言席の前に立った。メガネをかけ、中肉中背の男が、アスカ(32歳)。やはり、中背でやせ気味の男が、ヤザニ(35歳)だ。98年9月21日、2人の初公判がはじまる。
アスカは無職で東京・四谷、ヤザニも無職で東京・神田に住んでいた。アスカはオランダとカナダのパスポートも所持していて、交際していた日本人女性には、オランダ人と偽っていた。
検察官が起訴状を読み上げる。
「2人は共謀し、98年6月22日ころ、東京・JR水道橋駅付近の路上で、山下一郎に対し、覚せい剤0.36グラム、大麻3.068グラムを5万円で売り渡した」。覚せい剤取締法違反、大麻取締法違反だ。
「起訴状で書かれたことについて、何か間違いがありますか」。裁判長が尋ねる。アスカは、「すべて間違いです」と全面的に否認した。続いて、「間違いです。そんなことはやっていません」と、ヤザニも否認した。
10月28日の第2回公判で、検察官から訴因変更の申し出があり、認められる。山下に密売した件につき、単なる譲渡だったのを、営利目的による譲渡に変更した。
単なる譲渡では、10年以下の懲役だが、営利目的となると、1年以上の有期懲役に加え罰金もかせられる可能性もある。罰則が重くなった。
さらに、2件の追起訴も行われた。アスカに関しては、「98年5月13日ころ、東京・神田の路上で、氏名不詳者と共謀し、坂田次郎に対し、営利目的で覚せい剤0.48グラムを2万円で譲り渡した」。ヤザニについては、「氏名不詳者と共謀し、98年6月25日ころ、東京・神田の路上で、営利目的で大麻0.628グラムを、佐藤三郎に2万円で譲り渡した」というものだ。
罪状認否では、2人とも、「間違いです。全然覚えがありません」(アスカ)、「この日は仕事をしていて、そんな事実はありません」(ヤザニ)と、これも全面否認した。
そのため、検察官は次々と証人を登場させた。
最初の証人は、客の山下一郎だ。前髪を真ん中から左右にわけ、青い背広を着込み、やせ型の20代後半の男性である。山下は、98年9月11日、東京地裁で、この事件に関し、懲役1年6月執行猶予3年の判決を受けた。
検察官が勢い込んで、質問する。
──被告人席にいる2人を知っていますか。
「はい」
──どうして、知っているんですか。
「昨年の11月のはじめ、一度、アスカに電話をかけて、買いました」
──何を買ったんですか。
「大麻と覚せい剤を買いました」
このとき、薬物だけではなく、アスカから注射器をもらった。
山下は東京・上野によく出かける。上野といえば、彼の証言の4年以上も前に、次のような新聞記事が掲載されている。
「午後5時の東京・上野公園。薄暗がりの階段付近に10人ほどの中東系外国人が群れていた。通行人に時々目をやりながら談笑している。そばをゆっくり歩いてみた。すかさず1人が近づき、片言の日本語で話しかけてきた。
『クスリあるよ。何ほしい。どのくらいほしい』。こちらの歩速に合わせてついてくる。10メートルほど歩いて望みなしとわかると、あきらめて離れて行った」
「『上野へ行けば、イラン人からチョコ(ハシシュ)が買える』。昨年暮れ、高校2年のワタル(17)=埼玉県在住=は友人から聞いて、学校帰りに女友達2人を誘って上野へ出かけた。暗くなりはじめたころ、京成上野駅構内のエスカレーター付近でたむろしているイラン人を見つけ、ワタルは自分から近づいた。
構内の階段付近でハシシュ1.5グラム入りのストローを受け取った。8000円に値切ろうとしたが、断られ、結局1万円で買った。代金は3人で割り勘にした。3人は急ぎ足でJR上野駅に向かった。
だが、密売現場を張り込み中の上野署の捜査員が見ていた。突然、職務質問され、その場で3人は大麻所持の現行犯で逮捕された」(『産経新聞』94年2月2日付夕刊)
山下が、97年11月上旬、上野に行ったときのことだ。イラン人風の外国人に声をかけられた。最初、変造テレホンカードがあるという話だった。「それはいらない」と断ったら、「マリファナ、ある」といわれた。山下は興味を持った。
「キョウコの紹介といって、ここに電話すると、ある」というので、バービーという名前と電話番号を教えてもらう。
その数日後、かれはバービーに電話をする。最初に電話したとき、相手は無言だった。「キョウコの紹介で、上野で、バービーですか」というと、相手は男性で、会話が進んだ。上手な日本語で、やさしそうな声だった。「大麻ほしい。どうすればいいか」と買う段取りを聞いた。
改めて、JR水道橋駅から電話し、近くのファストフードで会うことに決めた。「服装を教えてください」というので、「グレーのスーツ」と教えた。午後5時ごろで、外は暗くなっていた。この店は平屋建てで、席数も比較的少ない。しかも、店の中でスーツを着ているのは、山下のほかにいない。
山下は、外国人が入ってきたのを見たとき、「目と目があった感じで」、すぐにお互いに相手だとわかった。外国人が山下の座っていた席の右手に座る。
「バービーです」とあいさつする。その男がアスカだった。その場で、山下が2万5000円を渡す。サリムが品物を山下の上着の右ポケットの中に入れる。「大麻だ。スピードも入っている」といった。
──大麻だけ注文したはずなのに、なぜ、覚せい剤も受け取ったのですか。
「電話したとき、『S(エス)、スピードもあるよ』というので、『それも一緒にください』といいました」
その後、山下は薬物を買わなかった。翌98年3月、4月は仕事が忙しく、離婚もしたので、「煮詰まっていて、また買ってみよう」と、5月ごろ、何回かアスカに電話をしたが、不在だったり、だれかが電話に出ても話が通じない。
6月22日午後3時ごろ、JR市ヶ谷駅から電話したとき、ようやくアスカに連絡がつく。
山下は、「いまから買いに行きたい、大丈夫か。水道橋の近くで、すぐに行ける」と頼む。「ちょっと待ってください。5分後にかけて」と、アスカが答える。その場で5分待った。
かけなおすと、「水道橋に何分ぐらいで来れますか」と聞く。「20分ぐらいで」と答えると、「水道橋についたら、また、電話をかけてください」といわれる。
そこで、水道橋駅で、また、かける。「この前のファストフードの前にいてください。15分ぐらい遅れるかもしれない」とサリムが指示した。前と同じように、大麻と覚せい剤を注文すると、代金は5万円といわれる。
ファストフード店内で20分から30分待った。アスカとは別のイラン人風の外国人が店の前にきて、うろうろしているのに気がついた。アスカにはグレーのスーツを着ていると話してあったので、外国人も山下に気がついた。
山下は店の外に出る。外国人が携帯電話で話をしていた。「バービーの」と山下が声をかけると、外国人が「バービーです」といって、その電話を手渡した。アスカは、「5万円にしては少ないけれども、それでもいいですか。取り締まりが厳しいから」と話した。すぐに、会話は終わった。山下は電話を返す。
その後、ファストフードの前を少し右手に歩いたところで、山下が5万円を渡し、外国人から薬物を受け取った。
──大麻、覚せい剤を持ってきたのは。
「私の左側に座っている人。ヤザニです」
──ヤザニを見たのは、そのときが初めてですか。
「はい」
──ヤザニとの接触時間は。
「3分か5分ぐらいです」
──そのとき、ヤザニはひげをはやしていましたか。
「ひげをはやしていません」
法廷のヤザニは、口ひげをはやし、あごにも少々はやしている。
──ひげの有無で顔の表情はかわりますが、間違いありませんか。
「間違いありません」
──ヤザニと別れた後、どうしましたか。
「同じ方向に行くというので、一緒に帰ろうといいましたが、ヤザニに電話がかかってきたので、私は1人で水道橋の駅のほうに行きました」
山下がJR水道橋駅で切符を買い、改札口を通ろうとしたときだ。私服の警察官に、左右から手をつかまれ、「ポケットに手を入れるな、見ていたから」といわれ、駅の事務室に連れていかれる。
そこで、受け取ったものが薬物かどうか見分ける予備試験が行われ、薬物と確認され、逮捕される。
弁護人も多くの質問をするが、山下証言は揺るがなかった。
──ファストフードの前にきた外国人が、ヤザニで間違いありませんか。
「間違いありません」
──自信を持っている理由は。
「今回、このようになったことで、一生忘れないと思います」
2番目の証人は、黒い背広でがっしりした体格の中年男性だ。警視庁蒲田署銃器薬物対策課に勤務する松本四郎巡査部長で、2人の事件の捜査に関与した。
松本の証言は次のようなことだった。
ヤザニの住んでいた神田のマンションを捜索し、携帯電話を4台押収した。また、アスカの住んでいた四谷のアパートの部屋からも携帯電話を2台押収した。山下の事件では、山下の携帯電話に登録してあった密売人バービーことアスカの電話番号を把握した。押収した携帯電話6台の電話番号を調べたが、山下のかけた電話番号に該当するものがない。
そこで、実験することにした。警察の携帯電話から登録してあった電話番号にかけたところ、6台のうちの1台が鳴った。アスカがある日本人女性から借りていたものだ。
その電話は発信先の電話番号を表示する機能があり、警察の携帯電話の電話番号を表示していた。電話転送システムを利用していたのである。
3番目の証人は、アスカから覚せい剤を買ったという坂田次郎の予定だった。裁判所は証人として出廷するようにという召喚状を出した。ところが、父親には連絡がつくのだが、本人には連絡がつかない。3カ月以上にわたって所在を探したが、見つからず、結局、証言は不可能なため、坂田の調書が採用された。調書の要旨は次のようなことだ。
97年11月ごろ、シューというイラン人からアスカを紹介された。アスカに電話して、覚せい剤を購入するようになる。98年5月13日、アスカに電話をかけ、覚せい剤を注文した。すると、アスカとは別の金髪の外国人が覚せい剤を持ってきたので、買った。
4番目の証人は女性だ。背は170センチ近くはあるだろうか、黒いスラックスで髪は短く、スラリとしている。警視庁薬物対策課の森雅子巡査は、山下とヤザニの薬物授受の一部始終を目撃していた。
──山下に、98年6月22日、大麻、覚せい剤を譲り渡した人はだれですか。
「こちらに座っている(左手をあげて、証言席の左側の被告席を指す)、ヤザニ被告です」
(2021年10月31日まとめ・人名は仮名)