見出し画像

法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件9

 この事件以降も、同年7月と8月、中国地下銀行、10月、韓国地下銀行、11月、ネパール地下銀行、12月、タイ地下銀行などが摘発された。

 2人はこれらの摘発のニュースを知っていたというが、アリアショップで送金の仕事を続けた。送金依頼客からホセインの郵便口座などに続々と金が振り込まれる。ホセインの口座だけでも9億6000万円強の入金があった。
「アリアショップに送金を頼んでいる人は、合法的に働いている人以外にもいたのではないか」という検察官の質問に対し、「大多数のイラン人はビザがありません。たまには、合法的にきちんとした人もいました」とホセインは答えた。その多くの客の中に、覚せい剤の密売で得た利益約250万円を送金したイラン人がいたのである。
 このイラン人が、神奈川県警に薬物密売で逮捕された結果、アリアショップで送金を依頼したことが判明し、2人は銀行法違反の無許可営業で逮捕されることになった。
 弁護人が被告人質問で、この点に触れた。ホセインは、このイラン人が店に2、3回きたことがあり、面識はあると述べた。しかし、個人的なつきあいはないので、正式な名前も仕事もしらないなどと答えた。

 ──アリアショップの客、一人一人に、どういう仕事をしているかと聞きますか。
「しません」
 ──この男の金が、覚せい剤の密売で得たものとしっていましたか。
「しりません」
 ──もし、当時、その金が覚せい剤に関する金だとしっていたら、送金を引き受けましたか。
「引き受けません」
 ──あなたは覚せい剤はきらいですか。
「当然、きらいで、たばこも吸いません」
 ──覚せい剤をやっている人もきらいですか。
「はい」

 ホセインの妻も次のように証言した。

 ──彼が覚せい剤などの薬物にかかわったことがあると聞いたことはありますか。
「いいえ、彼は非常に薬物に反対しています。彼の経営している渋谷の店の廊下で、何人かのイラン人が(変造)テレホンカードや覚せい剤を持っていたことがありました。彼はそこから立ち去るようにいいました。それぐらい薬物には反対していました」

 結果的に、マネー・ロンダリングに手を貸したことになったが、検察官は、両被告に、懲役2年6月、罰金100万円を求刑した。
 弁護人は、「イラン人同胞の生活の利便を図ったものであり、薬物密売代金の洗浄目的ではない。一部、覚せい剤にかかわっていたものがあるが、被告がいちいち金の出所を詮索していては商売にならない。非難の程度は低い。銀行を通じて第三国へ送金すること自体は違法ではない。イランの仲間のほうが罪は重い」と、執行猶予つきの判決を求めた。
 最後に、イランにいる父親が拘留中に死亡したというホセインは、「できれば、父親の一周忌を自分の手でやりたい。自分の違法行為については、深く責任を感じており、二度と繰り返さないことを誓います。可能なら、イランに帰り、その後はアメリカで暮らしたい」と述べた。妻の父親はアメリカで骨董品の商売をやっており、その仕事を妻とともに手伝うという。
 ダウッドは、日本に住みたいが、不可能ならばフィリピンで暮らすと述べた。一方、妻は、日本に約10年滞在し、日本の永住権取得が可能なので申請したいとも証言した。
 判決は冒頭のとおりで、起訴事実を全面的に認め有罪判決を下した。立件された銀行法違反関係では、覚せい剤密売人をはじめ5人に頼まれ、6回にわたり、合計621万9900円を送金したことだが、イランへの送金総額は9億6000万円を超え、第三国への送金総額は14億円を超えていた。
 銀行法では、送金業務、すなわち、為替取引を行うには、当時は大蔵大臣の許可だったが、改正により総理大臣の許可が必要になったほど重要な法律であるにもかかわらず、無許可で業として送金を行った。日本の重要な法律を犯した罪は重いことなどを判決理由としてあげた。

地下銀行を通さずに、直接、都市銀行を利用して薬物密売の利益を送金するケースもある。
 東京地裁511号法廷で開かれた公判は、その典型的なものだ。被告は三つの犯罪事実で起訴された。まず、不法残留。第二は、東京で、覚せい剤0.55グラムを2万円で売るなど、少なくとも24回にわたり、多くの人への覚せい剤や大麻密売。第三が、マネー・ロンダリングである。
 98年11月11日、被告人質問が行われた。被告の名前はアキバル(31歳)。黒い髪を短く刈り込み、長身でスリムな身体に色白の顔、青いジーパンに黒いセーターを着ている。
 テヘランで生まれ、高校を卒業し、大学に進学したが、イラン・イラク戦争に2年間従軍した。その後、船員として4年間働く。一度結婚したが、離婚した。
 91年5月、90日間の入国許可で成田空港から入国する。入国してからは、群馬の寝具製造会社の布団工場、92年8月から96年1月までは、東京の印刷工場で働く。
 印刷工場で働いていたころ、コロンビア人女性のデイジーとつきあいはじめる。会社をやめた後も、デイジーとアパートやウィークリーマンションなどに住む。
 デイジーは、やはり不法残留で売春などをしていた。「よくないことだと思い、二度とするな。必要なら、家族に送る金を助けてやるといったこともあります」。デイジーは、コロンビアにこどもが2人と母親がいた。アキバルは実際に金を送ってやり、彼女も売春をやめる。アキバルが逮捕された後、彼女も不法残留で強制退去となった。
 弁護人が、アキバルに次のような質問をした。

 ──まじめに仕事して、彼女と暮らしていくことは。
「私は持病があるので、いい仕事、きつい仕事はとてもできませんでした。彼女としりあったとき、少しは助けてあげられましたが、薬物密売をやるようになって、もっと助けることができました」
 ──将来、彼女とはどうしようと。
「手紙のやりとりをしています。その中で一つ約束しました。来年(99年)の正月、彼女がイランにいる私の母のところにいき、私もそこへいきます」
 ──すると、あなたが罪を償った後、結婚することも。
「2人の間では、結婚しようと決めています」

 アキバルが薬物密売に手を染めるようになったのは、95年ごろだ。密売しているイラン人の手伝いで、2、3回、取引現場へ行くための自動車を運転したことがあった。印刷工場をやめてしばらくしてから、「お金をもうけて、自分の家族、彼女の家族を助けてやりたい」と本格的にはじめた。
 薬物の仕入れ先は、トニーと呼ばれるイラン人だ。その後、トニーに教えられて、ほかのイラン人からも仕入れるようになる。アキバルの供述によれば、トニーは、一度、イランに戻り、偽造パスポートで再入国した。暴力団みたいな人間で、金のほしいイラン人に携帯電話と薬物を渡し、日本で薬物密売グループを組織していった。かれらのグループは、身分証明書や外国人登録証も偽造するそうだ。
「2カ月だけやってやめようとしましたが、やめられなくなりました。若い子、女の子、こどものような子が客としてやってきて、その子らに渡すのは気が進まなかった。いやでした。そのため、トニーは私に文句をいい、口論にもなりました。どうしても、直接、若い人たちに渡すのはいやでした」
 アキバルは日本人客から携帯電話で注文を受け、取引場所などを指示していた。このとき、自分のことを「鈴木」と名乗っていた。イラン人の変名にしては珍しい。日本によくある名前である。
 アキバルは、被告人質問の際、日本人女性の通訳がいるにもかかわらず、質問を通訳する前に、返事をするなど通訳が不必要と思えるほど、日本語の日常会話は堪能のようだ。
 アキバルは注文を受け、取引の段取りをするだけで、実際の配達役として、イラン人、客だった日本人など5人を使っていた。かれらは午後6時から翌日の午前2時までの8時間の仕事で、月に1人平均30万円、合計150万円を受け取っていた。残業になれば、その報酬も払っていたという。
 それだけの金額を配下に払っても、アキバルの密売利益は大きい。配下の供述などから推定すると、97年9月から98年5月までの8カ月間で、4400万円以上だった。その大部分をイランに送金していた。送金は、97年10月から98年3月の間、12回にわたり、東京・池袋の都市銀行南池袋支店から、合計24万2000米ドル(3118万100円)にも達した。
 送金先はイランにいる母親で、イランの銀行への通知払いによる方法だ。

 弁護人がアキバルに送金の事情を聞く。

 ──あなたの調書では、帰国してイランで事業をやるつもりだったので、その資金と、それから、家族の生活費などのために送ったとありますが、そうですか。
「はい。それと、私は腎臓の病気があり、腎臓を移植したいと思っています。非常に高額なので、その費用も入っています」
 ──あなたの調書では、日本にもうけた金を置いておけば、見つかり、取り上げられると思い、送金していたとなっています。このようなことを警察に話した覚えはありませんか。
「だれかが取り上げるというのは、ほかのイラン人のことです。ヤクザのようなイラン人を指しています」
 ──警察に取り上げられないように、というのではないのですか。
「そうではありません」
 ──送金した金が、薬物を売った金であると認めますか。
「はい。申しわけないと思っています」

(2021年11月1日まとめ・人名は仮名)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?