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法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件11

 サリムとの間では、「サリムと私の密売している場所は、距離的にも近い。場所をかえることについては、決着がつかず、お互いのところに一切立ち入らないと決めました。あとは、電話のことだけ」だった。
 これに対し、サリムは調書で次のように述べている。
「アガとは同じ村の出身で、日本に来てからも、92年から何回か会っています。97年3月下旬、アガが数人のイラン人を連れてやってきました。そのうちの1人がマールフィです。『アガはおれの客を盗んだ。どうしてくれる』といいました。しかし、私は密売などはしていないというと、マールフィはわかってくれました」
 弁護人は、マールフィに次のような質問もした。

 ──3月25日以降、アガにあったことはありますか。
「はじめて会って、最後に会ったのも、その日です」
 ──その後、アガについて聞いたことはありますか。
「ありません」

 マールフィがアガと最後に会ったという日から3週間後の4月15日、マールフィの住んでいるマンションの隣のマンションからスーツケースに押し込められた男性の死体が発見された。
 マールフィのマンションは、JR高円寺駅から北に進み、早稲田通りを渡って、10メートルばかり入った裏通りに面して建っている。3階建てで、全部で11部屋の小さなマンションだ。マールフィの部屋は301号室で3階にあり、外階段でのぼる。3階の一番手前の部屋で、外に洗濯機を置くようになっている。部屋の広さは1DKだ。
 このマンションの隣に、やはり、3階建てのマンションがある。高さ1メートルぐらいの金属製枠の門扉を入ると、奥に向かって、右側に部屋が二つ並んでいる。部屋の前を通りすぎると、一番奥に階段がある。階段の真下1.5メートルぐらい低くなったところに貯水槽が置いてある。
 15日、このマンションの管理人が見回りにきた。そのとき、貯水槽の手前に大きなスーツケースが置いてあるのを見つけたのである。そこで、警察に通報し、捜査がはじまった。
 4月21日、警察は、被害者の似顔絵とスーツケースを公開した。被害者は身長172センチ、体重60.5キロ、黒髪で天然パーマで、イラン人が好んで使う水虫用の塗り薬をかかとに塗っていた。中近東系か中南米系と見られた。スーツケースは、台湾製で、大きさは縦64センチ、横80センチ、幅27センチ。この被害者がアガだったのである。
 マールフィの部屋にも、死体の発見された15日夜、捜査員が訪れた。マールフィはミシェルと名乗って応対したが、不法残留容疑で取り調べられ、4月25日、マールフィの供述により部屋から大麻約18グラムが押収され、5月15日、東京地裁に起訴され、アガに対する殺人・死体遺棄で、7月1日、追起訴された。
 マールフィは、捜査段階から殺人・死体遺棄について全面否認し、大麻所持についても同居していたアンジのものだと反論した。
 しかし、マールフィの関係者などへの捜査の結果、検察側は、公判で次のように主張した。

 3月25日、マールフィは、縄張り破りをしたアガに対して、薬物密売をやめて、前に住んでいた福島に戻ること、アガの住んでいたマンションの部屋を引き渡すことを約束させた。
 ところが、アガは、その後も薬物密売を行い、かれのマンションの部屋も引き渡さない。そこで、マールフィは、再び、「アガを捜し出せ」と配下に命令する。4月1日午前零時ごろ、配下らが、西川口でアガを捕まえた。午前1時40分ごろ、「アガをすぐ連れてこい」と、マールフィから命令され、中野のマンションに向かう。
 アガを連れた配下3人は、軽自動車に乗って西川口から中野に行く途中、午前3時35分ごろ、環七通り沿いにあるコンビニエンスストアに寄り、マールフィの指示で紙製のガムテープを1巻購入する。午前3時ごろ、マールフィのマンションに到着する。
 部屋の中では、アガの約束違反が追及された。マールフィは激昂し、「おまえは嘘をついている。後ろにいるのはだれだ」などと、アガから取り上げたアガの手帳を見ながら、そこに書かれている電話番号はだれだと問いただす。アガは、「しりません。許してください」と哀願する。
 マールフィは、アガの片手を脇腹から背中に回し、もう一方の手を肩ごしに背中に回し、両手に手錠をかける。両足は紙製のガムテープで巻く。続いて、鼻の部分を残して、顔をガムテープでぐるぐる巻きにする。
 その後、両手の手錠をはずし、両手を前にしてガムテープで巻く。
 この間に配下の3人は部屋を出ていった。部屋にいるのはアンジだけだ。「許してあげなさい」といったが、「約束を破った」とマールフィは、アガを押入れにいれた。
 数時間たった4月1日午前8時ごろ、部屋の中にあったスーツケースの中から、女性の衣類を取り出して空にし、アガをスーツケースに入れ、密閉した。
 アンジは、「そんなことをしたら死んじゃう」といったが、マールフィは、スーツケースを押入れにしまった。
 そのまま放置して、正午ごろ、2人はコインランドリーに行く。帰ってきて、マールフィが寝ている間に、アンジは、コロンビア人女性のクリスティーナに電話する。彼女は、以前、アンジが一緒に住んでいた友人である。
「大変なことになった。スーツケースに押し込んで入れた」などと話す。クリスティーナは、「こちらへ帰ってきたら」という。しかし、アンジは、マールフィの報復を恐れて逃げ出さなかった。
 午後2時ごろ、マールフィがスーツケースを開けると、アガは身動きしない。スーツケースから出して、しばらく様子を見ていたが、アガは死んでいた。
 その後、翌4月2日の午前3時ごろ、押入れからスーツケースを出し、再び、アガをスーツケースに入れた。そのスーツケースを部屋から持ち出し、隣のマンションの貯水槽の前においた。
 司法解剖の結果を記した警察官の解剖立会報告書によると、アガの死体には傷や頸部の圧迫痕はない。死因は、狭いスーツケースに押し込められたことにより、酸素が欠乏し、低酸素性窒息による死亡と鑑定された。
 また、密閉されたスーツケース内の酸素量、生存に必要な酸素量を検討すると、38分から41分で死に至る。つまり、午前8時ごろにスーツケースに押し込めたというので、4月1日午前8時40分ごろ死亡したとされた。

 公判でも、マールフィは否認を貫いた。弁護人の質問に対し、次のように無実を訴えた。スーツケースは、以前、マールフィと暮らしていたジーナのものだった。

 ──97年3月14日、ジーナが出ていったとき、そのスーツケースは部屋にありましたか。
「ジーナが持っていったと思っていました」

 しかし、この点について、ジーナの話は違っている。彼女が傷害事件に関係していると推測したマールフィは、彼女を罵倒するだけではなく、「私に手錠をかけ、暴力をふるうので、身のまわりの荷物を持って、逃げ出しました。旅行用のスーツケースは、押入れに入れたままにしておきました」と供述した。ジーナも、アガと同じような格好で手錠をかけられたと述べた。

 ──手錠を持っていたことはありますか。
「ありません」
 ──ロトフィの調書によると、2月8日、ロトフィらにも手錠をかけたと述べていますが、事実ですか。
「そんなことはしていません」

 このとき、ロトフィとともに手錠をかけられたイラン人は、「薬物密売の客をとったと、手錠をかけられ、100万円と1万ドルを寄越せといわれた。1万ドルは、イランの母に頼み、マールフィの弟に払ってもらった」と供述した。
 さらに、マールフィは事件前後の行動を述べ、関係者供述に対し、「嘘をついている」などと真っ向から否定した。
 97年3月31日の夜、マールフィはマンションの部屋に、アンジと一緒にいた。その夜中、4月1日午前1時ごろ、ササンが前の晩の薬物密売の代金約30万円を持って部屋にやってきた。ササンがきたとき、アンジは自分のベッドで横になっていたが、起きていた。ササンは、ほんのわずかいただけで、すぐに帰った。

 ──ササンの調書では、あなたが、「川口に行って、アガを連れてこい」といったと述べています。こんな命令をしましたか。
「いいえ」

 アンジは、「午前4時ごろ、3人のイラン人が1人の男を連れてきました」と述べている。イランでマールフィの近所に住み、マールフィが新しく経営するディスコの手伝いをする予定のマレキという男は、3人のイラン人の1人だった。
「マールフィは、アガに対し、『お前は嘘をついてる』と持ち物を出させ、上着を脱がせた。マールフィがアガを怒るのは、これで2回目だ」と述べている。しかし、これも嘘だという。

 ──(ササンが帰った)その後、朝までに、マンションにだれかきましたか。
「いいえ」

 午前4時から午前8時ごろにかけて、検察官が主張する殺人シーンが展開するのだが、マールフィの供述では、まったく、そのようなシーンは見られない。
 マールフィは、弁護人の質問に答えて、この事件の犯人像にも言及した。

 ──アガがスーツケースに押し込められて死亡しましたが、何か心当たりはありますか。
「年の非常に若い方がそういう死亡をして、非常に残念です。つらい出来事だったと思います」
 ──アガの死亡の事情について、しっていることはありますか。
「しりません」
 ──あなたは、アガに恨みを持っているんではないですか。
「いいえ」
 ──どうしてですか。
「アガと話したところ、同国人で同郷でした。そのとき、親しくなり、悪い感情は持っていません」
 ──アガに対して、うらみを持っている人をしっていますか。
「アガが自分でいっていたことで、サリムとの争いがありました。サリムのところで非常に激しい言い争いがありました」
 ──マレキの調書によると、「(事件前日の)3月31日、マレキらとアガが、アガの部屋にいたとき、3人の日本人らしい男が鍵をあけて入ってきた。アガに対して非常に怒っていた。アガはおびえていた」とあります。この3人の日本人に心当たりはありますか。
「しりません。おそらく、サリムの相棒たちではないでしょうか」
 ──なぜ、そう思うのですか。
「サリムが一緒にやっていたのは、日本人たちだからです」

 マールフィが法廷で否認した概要は以上のとおりだが、大麻所持についても、同じように否認した。
 大麻は、マールフィの上着のポケットの中にあったが、「アンジのものです。同居する前、アンジがパイプで吸っていたのを見たことがあります」「自分は吸っていません。3年か4年ぐらい前、1回使いました。すると、1週間ぐらい病気のようにぐあいが悪くなり、それ以降、使っていません」。

(2021年11月2日まとめ・人名は仮名)




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