法廷傍聴控え 拳銃密造事件1
昔、こんな事件がありました。
「組員1人に1丁」といわれるようになる前、まだ拳銃がこれほど日本に蔓延していなかった時代には、「拳銃1丁は組員10人に匹敵する」といわれていた。暴力団抗争の道具として、かれらは入手に奔走したものだ。
真っ先に目をつけたのがモデルガンであった。昔は本物の拳銃のような金属性のモデルガンが市販されていた。これを少し改造すれば、簡単に殺傷能力を持つ拳銃になる。
20年ほど前のデータだが、この年に押収された778丁のうちモデルガンの改造拳銃が632丁と本物の拳銃を大幅に上回り、以後、75年の1330丁をはじめ、毎年のように改造拳銃の大量押収が続いた。そこで、78年、銃刀法が改正され、金属性のモデルガンの販売などが規制されるようになった。このため、材料難になった改造拳銃の押収数が半減する。
しかし、それらによって国内から改造拳銃が消えてなくなったわけではない。たとえば、平成になって押収された拳銃の中で、89年、123丁、90年、64丁、91年、84丁と数は少ないが、まだモデルガンの改造が行われている。
92年4月、名古屋市内でモデルガン改造工場を“経営”していた建設会社が摘発された。二連発式拳銃・デリンジャーのモデルガンを改造したものだ。モデルガンの強化プラスチック製の銃身部分などを鋼鉄製に取り替え、弾を発射できるようにした。
何回も使えるものではないが、暴力団は犯罪に使った拳銃を使い捨てるともいう。1丁5万円ぐらいというから、“使い捨て拳銃”として需要があったのかもしれない。購入したモデルガンは、800丁とも1000丁ともいわれ、すでにかなりの改造拳銃が売りさばかれていたようだ。
前年の12月、この改造デリンジャーを使った事件が起きていた。元暴力団組員が、深夜、名古屋市内の路上で対向車と道を譲れ譲らないと口論になり、拳銃を2発発射して対向車の男性の腕などに2週間の怪我を負わせたのである。殺傷力も十分だ。
モデルガンの改造では満足できない暴力団は、国内で密造を手がける。京都の暴力団は密輸するよりは国内でつくったほうが安全だと、拳銃密造の“先進地帯”として定評のあるフィリピンから“技術者”を4人連れてきて、組事務所で仕事させた。1年間で百数十丁の拳銃を密造し、1丁約50万円で全国の暴力団に売りさばいていた。
フィリピンの拳銃密造は手づくりが主流のようだ。いわば“村の鍛冶屋”が拳銃をつくっているようなものである。その点、日本の場合、本格的な拳銃づくりの技術者はいないかもしれないが、工作機械は優秀だ。それも町工場クラスでも備えている。世界のガンメーカーでも、日本製の工作機械を使って拳銃製造をしているところもある。すると、日本人でもつくれるのではないかと、当然の結論になる。
事実、古くから日本人の手による拳銃密造も行われている。旋盤工の経験のある組員を動員してつくった暴力団もあった。もっともらしい偽の用途をいって、拳銃の部品を町工場に外注し、それを集めて組み立て、162丁もの密造拳銃を製作していた暴力団もあった。
「拳銃を持っているぞ」と拳銃らしきものを見せながら、さかんに吹聴している男がいる。92年1月16日午前2時ごろ、群馬県内の飲食店である。かれは散弾銃を持っていたが、前々から拳銃がほしかった。ようやく手に入ったので、つい見せびらかしたくなったのだろう。店の人は「どうせモデルガンなのに悪ふざけしている」と思った。
しかし、本物だったら困るし、気持ちが悪いので警察に通報した。警察が来て調べてみると、どうやら本物の回転式拳銃らしい。「どこで手に入れた」と聞くと、その男は遊び仲間からもらったと入手先を素直に白状した。
翌日、警察は入手先を急襲した。隣接する町の鉄工所である。そこで、密造した拳銃、製造途中の部品、弾などを発見し、鉄工所の社長、小島雄三(63歳)、長男の専務、小島正一(40歳)、次男の社員、小島伸二(27歳)らを逮捕したのである。
親子3人の裁判は、92年3月23日、前橋地裁で始まった。武器等製造法違反、火薬類取締法違反で起訴されたが、3人は起訴事実を全面的に認めた。
4月23日、父親の雄三は、拘置中に急性心筋こうそくで入院し、出廷できない。2人の息子だけが被告席につく。2人も革ジャンパー姿で、丸刈りの頭だ。とりわけ、弟の伸二のほうは、剃りたてでツルツル。兄の正一に対する被告人質問が行われる。
まず、弁護人から尋ねる。
──親子3人で拳銃をつくったということだが、きっかけはあなたですか。
「はい」
──70丁以上をつくったが、利益を得る目的で製造したのですか。
「当初は利益を考えていましたが、途中から、暴力団から相当強く脅されたり、怒られたりして、結果的にはつくりましたが、お金をもらえませんでした。一度はもらいましたが、製品がちゃんと作動しないので、そのお金も返しました」
このような質問からはじまり、犯行の具体的な事実を聞き出していった。
5月21日、弟の伸二、右足をひきずるようにして歩く父親の雄三に対する被告人質問が行われた。雄三は、入院して緊急手術を行ったが、病舎に入っていると述べた。顔色も悪く、口で息をしている。
3人の被告人質問、冒頭陳述などから、拳銃密造の過程を再現してみよう。
かれらの鉄工所は、自宅と工場が狭い敷地に接近して建っている。そこに住む親子3人と従業員1人の典型的な町工場である。本来の仕事は部品加工の下請けだ。雄三は仕事一筋の男だったが、数年前に病気になって体が少し不自由になった。
そのため、仕事の中心は2人の息子になったが、経営がおもわしくない。銀行から借金をして、マシニングセンタというコンピュータ制御で動く工作機械を導入したものの、仕事が減ったり、予定していた仕事もなかなか回ってこない。
そこへ、“誘いの声”がかかったのである。90年の秋ごろ、暴力団組員が正一にいった。
「鉄工所をやっているなら、拳銃つくれるだろう」
「そんなのつくれるよ」
ほんとうは拳銃の知識などなかった正一だが、空威張りで豪語したのだ。これを真に受けた組員は、早速、組幹部に正一を引き合わせる。これがどの町にでもあるような町工場が拳銃密造工場に変わるきっかけになった。
正一とこの組員とは遊び仲間であり、以前、産業廃棄物処理の仕事を一緒にやるという話もあった。正一はうまい話だと乗り気になったこともあった。
ある日、その組幹部と組員が、ある産業廃棄物の不法投棄をタネに金を脅しとろうと計画を立て、正一が車の運転を頼まれ、不法投棄現場に行ったことがある。そのとき、ガソリン代として2万円もらったが、「見つかったときには同罪だ」と組員にいわれた。
かれらが恐喝を実際にやったのかどうかは不明だが、それが正一の弱みの一つになっていた。それに、飲食店で一緒に飲むときは、組員がほとんど代金を払ってくれた。拳銃密造の話が出たとき、豪語したこともあったが、弱みもあって断れなかったという。正一には個人的な借金が700万円ぐらいあったので、儲けたいという気持ちも、もちろんあった。
当初の話は、3カ月ぐらいの間に10丁ほどつくり、それを組幹部が見本として売りさばくというものだった。正一は、「やってみます」と見本づくりをすることになった。
この点について、弁護人が正一に尋ねる。
──どのようにして、拳銃をつくろうと思ったのですか。
「資料も全然ありません。その組員の話では、本物の拳銃を持ってくるから、コピーしてつくれということでしたが、持ってきませんでした」
以後、「まだか、まだか」の催促が続き、「いまさら、ほんとうはできない」といったら、どんな目に会わされるかもしれない。正一は高校を卒業して陸上自衛隊に入隊したことがあるが、半年ぐらいでやめた。
自衛隊時代、小銃については分解掃除、組立をならったので多少の知識はある。しかし、拳銃はオートマチックを1度だけ分解したことがあったものの、撃ったことはなかった。素人同然なのである。
正一は本屋に行って拳銃雑誌を買い、地元では足がつくというので、遠くの町のモデルガンショップでリボルバーのモデルガンも買った。はじめは組員の指示もあって、モデルガンを改造するため、銃身をふさいでいる金属棒を取り除こうとしてみたが、工場にあるドリルや刃物の先が丸くなって歯がたたない。モデルガンの改造は無理だと思った。
そこで、モデルガンをコピーして本格的に拳銃をつくることになった。そのままコピーするのではなく、「モデルガンよりも銃身を長くしろ」などと依頼主の暴力団側からいろいろアドバイスも受け、工場にある鉄を削ったりしてつくり始めた。
正一は1人でこつこつと機械を動かしていたのだが、しばらくして行き詰まり、工場にあるマシニングセンタを使わなければできないと考えた。この工作機械ならば、穴開けとかネジ切りや曲線関係などの加工も簡単にできる。しかし、正一はこの機械を操作することができない。伸二しか扱うことができなかった。伸二は、県立高校を卒業後、私立大学機械工学科に入学し、2年で中退したが、機械を学んでいる。
「組員からどうしても1丁だけでいいからつくれといわれた。もう逃げられない。1丁つくればいい。1丁だけ手伝ってくれ。拳銃づくりは一般の機械じゃできない。マシニングみたいなコンピュータ制御の機械でなければつくれない」と事情を説明して、弟に頼んだ。弟も兄が拳銃をつくっていることをうすうす感じていたが、「しようがないから、手伝ってやろう」という感じで仲間入りする。
回転式拳銃であるS&Wウエッソン製チーフスペシャルのモデルガンを見本に、伸二がマシニングに使うためのプログラミングを行う。
正一と伸二が父親に内緒で密造をはじめたが、狭い工場である。すぐに父親に見つかった。雄三は、「拳銃づくりのような危ないことはやめろ」と猛烈に反対したが、「暴力団に脅されている。なんとか助けてくれ」と、正一が会社の経営状態、個人的な借金も理由にして説得した。
雄三は、「借金の返済にあてるんじゃ、しようがないな」と、とにかく正一の窮地を救いたいために了承したのである。
(2021年11月25日まとめ・人名は仮名)