法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件10
アキバルの事件で明らかなように、薬物密売の売上高は巨額にのぼる。東京・幡ケ谷と中野坂上を縄張りに密売していたイラン人の場合、7カ月間で1億8000万円以上の売り上げがあった。1日平均では90万円弱である。そのうち、少なくとも約5300万円を、アラブ首長国連邦にある銀行の義兄名義の口座に送金していた。
もうけも大きい。こつこつとまじめに働くことに比べれば、体が楽で、その上、短期間に大金を手にすることができる。そこで、薬物犯罪に走るわけだ。
それだけに、密売にからむトラブルも発生する。たとえば、イラン人の通称アレックス(29歳)の場合、94年4月ごろから、埼玉・西川口を縄張りに、覚せい剤、大麻、モルヒネ、コカイン、アヘン、LSDの密売をはじめた。
覚せい剤は暴力団から仕入れていたが、密売のトラブルに備えて、拳銃のトカレフ1丁と実弾8発を所持していた。実際、暴力団から覚せい剤を買い取るとき、だまされて塩を渡されたこともあった。
そのとき、暴力団のところへ乗り込んで行き、代金を返させたという。
95年9月、埼玉・戸田のファミリーレストランで、外国人同士による拳銃やナイフのようなものを使った小競り合いが発生した。
現場から逃走したイラン人2人が逮捕され、ファミリーレストランの駐車場にとめてあった2人のワゴン車のダッシュボード、2人のマンションから、覚せい剤約1キロ、大麻約600グラム、大麻樹脂約400グラム、コカイン約20グラム、末端価格で1億9000万円もの大量の薬物を発見した。
密売トラブルが殺人にまで発展したケースも起きる。
98年10月28日、東京地裁421号法廷。弁護人の被告人質問を終えて、被告がメモを読み上げる。黒い背広の上下を着込み、肌は白く、背の高い男だ。
「神の名において申し上げます。裁判官、耳を傾け、十分審議してくださるようお願いいたします」
このように冒頭述べ、長い陳述をはじめた。かれはメモを22ページにわたり、びっしりと書いた。日本人女性が日本語に通訳する。1時間ほど経過しただろうか、それでも、13ページ分しか終わらない。続きは次回に行うことになった。
続く11月9日の公判では、通訳だけが日本語を読み上げる方法に改め、スピードアップを図る。被告は手元のメモを見ながら、通訳が間違いないかをチェックする。それでも、20分は費やした。
「裁判官に申し上げます。嘘と偽りのために、かれら(被告の関係者)は使われました。私は無実です。自由にして、一刻も早く国へ帰らせてください」と締めくくった。
被告のマールフィ(30歳)は、イランのテヘランで育った。軍隊に2年勤務し、ミンといわれる陸軍の地雷などを探索する部隊にいた。92年のはじめ、働く目的で来日した。90日間の短期滞在である。日本にいる友人のイラン人を頼り、仕事も探してもらう予定だった。
その後、パスポートの在留期限が切れたので、スイス国籍のガストン名義のパスポートを30万円で購入し、同人になりすます。スクラップ、セメント関連会社などを経て、94年末まで、千葉にある鉄工所で働いた。
イランには妻とこどもがいる。これまで、イランの家族には、全部で300万円から400万円を送金していた。
千葉の鉄工所で働いた後、マールフィは薬物密売をはじめた。かれの供述よると、次のような経緯だった。
イラン人相手に金貸しをしていたが、95年11月下旬、マールフィは“ブツつきの携帯電話”を2台手に入れた。覚せい剤と乾燥大麻の密売専門で、客が100人ついたものだ。
マールフィが200万円貸していたイラン人が、借金を返せず、そのかわりに受け取った。その電話は、「ほかの人に売るつもりでした」。当時、マールフィの行動範囲である埼玉・川口周辺だけでも、イラン人の薬物密売グループは7つから10も暗躍していた。しかし、なかなか売れず、2人のイラン人密売人に後払い方式で貸したが、1台を紛失されたうえ、約束の代金も払わない。
そこで、1台を取り戻し、96年はじめから、みずから乗り出すことになった。ミシェルと名乗り、イラン人から薬物を仕入れ、イラン人の配下を雇い、ガストン名義で西川口にマンションを借りた。配下には1日3万円の報酬を与えた。
そのうち、配下とのトラブルも発生した。配下のササンは、売り上げから1万円とか2万円をくすねたり、薬物仕入れ代金約70万円をなくしたこともあった。泣いて許してくれという。マールフィは、「電話の仕事以外に、ほかのきちんとした仕事もあったので、許してあげました」。
きちんとした仕事とは、かれが資金の大部分を出したもので、2人のイラン人が、40日に1回の割合で韓国に行き、1着6000円ぐらいの革ジャンパーを仕入れる。日本でイラン人のやっている店で、2万5000円から4万円で売る。
「毎月100万円前後の利益を得ることができました。2人のイラン人の名前はいえませんが、日本人女性と結婚しています」。
マールフィ自身は、96年3月、コロンビア人女性と同居し、同年10月ごろ、別のコロンビア人女性ジーナと、ジーナの住んでいた東京・中野のマンションで同居、97年3月下旬からは、同所で、3人目のコロンビア人女性アンジと暮らしていた。
さらに、ロトフィという配下ともトラブルがあった。当時、同居していたジーナの友人レイジーのボーイフレンドである。ロトフィが売上金1000万円をマールフィのところに持ってこないというので、97年2月8日、西川口のマンションに呼び出して、ロトフィを問い詰める。
分割払いで返すということで話しがついたが、再び、140万円ぐらいの売上金をもってこない。ロトフィの行方を探すがわからない。レイジーと東京・新宿のスペイン料理店で、ロトフィの件で会うことになった。約束の時間にいってみると、彼女はいない。
そのかわり、イラン人のペイマンという男から、いきなり酒ビンのガラスで、目を傷つけられた。ペイマンは変造テレホンカード所持で逮捕され、強制退去となったが、偽造パスポートで再入国していた。マールフィは救急車で病院に運ばれ、5日間入院する。
「ペイマンはロトフィから金をもらって襲ったのです。私が病院で警察に捕まり、イランに送られることを期待していると思いました」。2月下旬のことである。マールフィは右目を失明した。
ジーナもこの事件に関係していたと思ったマールフィは、「おまえは、ほんとうにいやな女だ。毎月4000ドルの金をコロンビアのおまえの家族に送ってきた。だれが送ったのか。家賃、洋服、食事、全部、私が出してやった。おまえはいつも気楽に暮らしていた。しかし、満足しないで、私のことを裏切った。どういうことだ」と詰問した。
3月14日、マールフィが外出から戻ってみると、約5カ月一緒に暮らしたジーナは姿を消していた。
マールフィの供述によると、配下の裏切り事件、傷害事件、ジーナとの別れなどがあったものの、薬物密売の平均1日当たりの売り上げは、「15万円から40万円で、利益は3万5000円から5万円出ていました」。
アガ(30歳)は、イランの東アゼルバイジャン州で生まれ、父親が死亡したため、小学校を中退し、縫製の仕事に従事していた。
92年3月、日本に入国した。福島・郡山の縫製会社で働き、日本人女性と同棲したが、96年9月、縫製会社が倒産し、同年10月から川口に住み、薬物密売に関係するようになる。
マールフィが、アガの存在を知ったのは、97年3月21日ごろだった。アガが自分たちの“縄張り”である西川口のレストランで密売しているという連絡が、配下のササンから入った。「見つけて連れてこい」と、マールフィは命ずる。
3月25日、ササンらがアガを見つけ、中野のマンションに連れ込む。マールフィは、「だれのために仕事をしているのか」などと問い詰めた。すると、「サリムのところで仕事をしていたが、喧嘩になった。サリムの下で、売っていたに過ぎない」などと答えた。そこで、マールフィは、即座に、ササンらとサリムの住む川口に向かう。
マールフィは、弁護人の質問に対して、そのときの状況を、次のように答えている。
──なぜ、サリムのところに行ったのですか。
「どうして、私の客をとったのかといいたかった。それに、私の携帯電話の一つがなくなったが、それはサリムのグループに渡ったと、アガから聞いたからです」
──サリムがあなたの電話を持っているのを確認したのですか。
「サリムは持ってないといい、サリムの家で口論になりました」
──サリムとアガが喧嘩状態にあったというのは、サリムも認めていましたか。
「アガは、サリムのところで6カ月ぐらい働いていたが、2週間前にくびになったといいました。この点、サリムは、自分の客をとったので、アガをくびにしたといいました」
──サリムの部屋にいったとき、アガは何といっていましたか。
「サリムが、自分の客をアガがとったというと、アガはそんなことはないと、サリムとアガの間で激しい口論になりました」
──サリムの調書によると、アガはマールフィの客を盗んだことは認め、アガは謝っていたとありますが、それは事実ですか。
「違います」
──また、サリムの調書では、アガが謝ったので、アガに対して、もう人の客を盗むなといって、あなたは許していたとありますが、許したのですか。
「いいえ」
──アガに対して文句をいったのですか。それともサリムに対してですか。
「アガはまったく関係ありません。サリムに対していいました。何もかも取り仕切っていたのはサリムですから」
──サリムと話し合ったとき、話はまとまりましたか。
「私がアガの部屋の鍵をサリムから受け取り、その部屋を、私に譲ってくれることになりました」
──アガとあなたの約束ですか。
「サリムとの間です」
──アガの部屋のかぎをもらって、どうしましたか。
「ササンに渡しました」
──アガはどうするといっていましたか。
「サリムはアガに対し、川口から少しでも早く(前に住んでいた)福島に行けといっていました」
(2021年11月1日まとめ・人名は仮名)