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慰安婦 戦記1000冊の証言16 挺身隊

「済南への誘拐」「看護婦詐欺」で、日本人女性がどのような手口で慰安婦に仕立て上げられたのかを証言してもらった。
 続いて、朝鮮人女性の場合を調べてみよう。
「官憲による組織的な『強制連行』はなかった」「では実状はどうだったのか」「当時の慰安婦たちから事情を聞きとった人たちの証言から推察するほかない。次に列挙したのは、これらの諸証言から私が信頼性が高いと判断してえらんだものである」
 秦郁彦の選んだ証言のひとつが、満州・桂木斯憲兵隊の軍曹の話である。
「昭和20年7月、チャムスの軍特殊慰安所で、接客を拒否して業者になぐられていた美貌の朝鮮人女性から次のような身の上話を聞き、業者に接客を禁じると申し渡した。
『私の父は北朝鮮・清津の資産家で町の有力者でした。ある時、大の親日家の父から関東軍が軍属のような立場で、歌や踊り等の慰問を募集している、男の子がいたら軍隊に志願させるところだが、その代わりに関東軍に応募してくれないか、と言った。
 私は女学校で音楽が得意だったので私にぴったりと思って応募したら、実は慰安所だった』」(1)

「慰問」か、いつもの手口だ。とにかく、慰安婦を確保するためなら、どんなウソでもつくという事例だ。以下の証言の「信頼性」評価はともかく、朝鮮人女性は、なぜ慰安婦になったのか。

女子挺身隊とか

 同じ満州の孫呉での体験を証言するのは、昭和19年6月、東京陸軍経理学校を卒業し、満州・孫呉で勤務した主計将校。

「国境の町、孫呉」「町の南側にソンピラ河が流れ」「河畔に周囲を赤い煉瓦塀に囲まれた、なんとなく妖しいムードの建物が2つ並んで建っている。孫呉第一慰安所、第二慰安所である」「市街地には」「慰安所常盤とか、慰安所いろはとかいう民営の店も開いている」
「主計中尉は、新米のぼくのために、巡察コースの順序から、コツやらを細々と教えてくれた。『野戦貨物廠の次がいよいよ最後の軍慰安所だ。第一、第二とも25人ずつ、50名の慰安婦が、それぞれの個室を持って、兵の慰安業務を行っている。慰安婦はすべて若い朝鮮女性である』。
 中尉はここで声を落して、『彼女たちは、女子挺身隊とか、女子愛国奉仕隊とかの美名で、朝鮮の村々から集められたらしい。18歳から23歳までの独身女性で、仕事は軍衣の修繕、洗濯等の奉仕であると説明されての強制徴用であるようだ。
 連れてこられて、仕事の内容を知り動転するが、もはやどうするという自由はない。
 ここではっきり断っておくが、以上の内容について、われわれ主計将校が容喙する何らの権限を持たない。つまり慰安所の営業について口はつけられない。週番士官としての巡察項目は次の3点だけに限られる。1、兵は部隊別に利用曜日が定められている。このことの確認。2、公用外出者は利用してはならない。3、鉄兜突撃一番(軍用コンドーム)使用の確認 』」
「はじめてお目にかかる慰安所なる場所だ。馬から下りて、軽く深呼吸して、靴音を高く鳴らして中に入る」
「2つの部屋の前だけに、15、6人の兵隊が列を作っている」「ほかの部屋も満員のようだが、列を作るほどではない」「なぜ、この2つの部屋だけ、人気があるのか。覗いてみて、すぐ納得した。襦袢(シャツ)1枚の兵隊に、組伏せられ両膝を開いている裸の女の若い肢体。悲しげにこちらを向いたその顔は、まだ初々しい少女のようで、ハッとするほどの美貌であった。ぼくはもうひとつの人気のある部屋のなかを覗いた。愛くるしい、ぽちゃぽちゃとしたもっと若い肢体だ。円い幼顔をしている。痛ましい思いに胸を衝かれた。
 廊下の突き当たりに机と椅子を置いて管理人が控えている。聞いてみる。この2人は、一昨日、朝鮮から送られてきて、昨日から仕事に着いたのだ、という。『それなのにこんなに集中しては、体をこわしはしないか』『昨夜、硼酸で湿布させたらひと晩で治りました。今日は大事をとって、30人で打ち止めにします』と、事もなげに答える。何たること、何たること」
「数日後の夕暮れどき、意を決してぼくはプライベートに慰安所を訪れた」「2時間2人分の料金を支払い、1室で(前述の)その2人に会った。日本語が少し話せる。源氏名は玉蘭と香蘭。19歳と18歳。朝鮮全羅南道の農村の出身。2人は同じ村、玉蘭は朝鮮の村では数少ない高等小学校卒業だ。運命の嵐に巻きこまれたいきさつは、主計中尉に説明された通りだった」(2)

「女子挺身隊とか、女子愛国奉仕隊とかの美名」でか。これも「慰安婦問題」の争点になっている。さらに証言を探したい。「仕事は軍衣の修繕、洗濯等の奉仕」もよく証言に出てくる話だ。

《引用資料》1,秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮社・1999年。2,金井英一郎「Gパン主計ルソン戦記」文芸春秋・1986年。

(2021年12月24日更新)


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