法廷傍聴控え トカレフ警察官射殺事件2
──結婚した当初は、朝6時には起きて、まじめに建設関係の仕事をしてました。しかし、その年の5月に覚せい剤で逮捕され、執行猶予の判決を受けました。8月には娘が生まれまして、その年の暮れごろからだんだん仕事に行かなくなりました。そのうち、また覚せい剤をやっているようなので、91年9月ごろ、警察に通報したことがあります。
私としては、まじめに仕事をやってほしかったからです。その後、「ちゃんとした生活をしたい。頑張って」と夫にいいましたが、そのときは「わかった」というんですが、言葉だけで実行は伴わなかったんです──
ちょうど結婚したころから覚せい剤に手を出し始め、高橋の言い方では、「怠け者」になったのである。
検察官が覚せい剤のことを聞く。
──覚せい剤を注射すると、どうなるのか。
「気分が楽になる」
──幻覚は出ないのか。
「はい」
──覚せい剤が切れると。
「体がだるくなる」
──なぜ、やめられないのか。
「覚せい剤は簡単に手に入るし、やりたいと思ったらすぐやっちゃう。何回かやめようと思ったが、結局、意志が弱いということか、我慢できなかった」
母親は再婚していたが、父親の死亡後、こどもたちが心配になったのか、ときどき会うようになった。高橋は母親、友人、サラ金などから借金して生活していたが、91年3月には住んでいたアパートの家賃も払えない状態に陥り、妻やもうすぐ2歳になる可愛い盛りのこどもを妻の実家に預け、自分は厚木市内の姉のアパートやホテルで寝泊まりするようになった。
一時は、母親の援助もあって、タクシー運転手になって生活を立て直そうと試みたこともあった。
しかし、それも失敗。妻やこどもとは再び別居状態に戻った。指名手配されているのを知った後、さみしがり屋だという高橋は、妻やこどもを連れ出してホテルを転々とする逃亡生活を続けていた。そのうち、こどもは食欲不振で体調が思わしくなくなったので、7月上旬、妻の実家に預け直した。
五島から、「金さえ揃えれば」といわれ、高橋は母親に拳銃の代金も無心しようと考えた。「今度、新しい部屋を借りて、女房とこどもの3人でやっていきたい」と母親をだまして、ようやく金を準備した。
7月6日午後2時過ぎ、五島の家の近くで、「この中に入っている」と黒いバッグを渡された。高橋が持ってみると、大きさの割にはずっしりと重い。高橋の行動する際の“足”はいつも自動車だ。このころは知り合いに借りた車に乗っていた。連れていた妻に車を運転させ、少し走ったところで車を止めた。そのバッグを開けてみると、拳銃1丁とビニール袋に入った弾が15発あった。
銃の種類などの注文はしなかったが、手にした拳銃は銀色に光り、銃把に星のマークのある中国製自動装填式拳銃・トカレフだった。弾もたくさん付けるという話だったが、15発もあった。念願の拳銃を入手した高橋は、早速、試し撃ちをしたくなった。五島の家から北へ約4キロ、厚木市内の青山学院大学の近くで車を止めた。午後4時ごろだったが、周囲には人家もなく、折よく通行人も車も見当たらない。
高橋は弾倉に弾を1発込めた。近くにあった空き缶を拾って道端の下水溝のふたの上に置き、2メートルぐらい離れたところから空き缶目がけて撃った。
「バーン」という大きな音がして、銃身の先がはね上がり、拳銃を持っていた両手にショックを感じたが、しっかりと握っていたので、想像していたほどの反動ではなかった。引き金も、引いた感じがしないほど軽い。初めての試し撃ちだったが、弾は空き缶を貫通していた。
陪席の裁判官が尋ねる。
──試し撃ちしたときの感想は。
「缶を突き抜けてすごいなという印象。両手をそえてばっちり持って撃ったので、反動はあまり感じなかった」
その後、高橋は車で妻と一緒にホテルに入ったが、中学の先輩に拳銃を見せてやろうと思い立った。実際に、その先輩に拳銃を見せ、試し撃ちもさせた。
翌7日の夕方、高橋と妻は別の友人の家に行き、食事をご馳走になり、午後9時ごろ、友人の家を出た。車で当てもなく走っていると、厚木市内の田んぼのあるところにさしかかった。
再び拳銃の試し撃ちをすることにした。田んぼの中の電柱の近くに車を止めた。電柱から7、8メートル離れて立ち、拳銃に弾を1発込めて、その電柱めがけて発射した。狙ったあたりに弾が当たったような傷があり、命中したと思った。
2回目の試し撃ちをした後、厚木、座間、相模原などを車で走り回った。8日の午前4時半ごろ、携帯電話の呼び出し音が鳴る。つい先日しりあったばかりのキャバレーのホステスからだった。高橋はホステスのことを妻に知られたくない。「1時間後にもう一度電話してくれ」といって電話を切った。
それから、相模原市内を車で走ったりして、午前5時半ごろ、この日の宿泊場所であるホテルに着いた。大和市の北西部を通っている国道16号線から狭い路地を2、30メートル入ったところにあり、1階が車庫、2階が客室というモーテル形式になっている。
高橋は何回かこのホテルを利用していたが、この日は、くの字の形に十室ほど並んだ客室のうち、中央部分の206号室に決めた。高橋はホステスから電話がかかってくるので、「1時間ぐらい出かけてくる」と妻にいい残し、拳銃や弾の入っているバッグを持って部屋を出た。
車を車庫から出そうとしたとき、ホステスから電話がかかってきた。近くのファミリーレストランの駐車場で会い、拳銃を見せてやった。拳銃を撃つところも見せてやろうと思い、相模原市内の公園にあった看板めがけて1発撃った。
高橋は拳銃を撃つのは初めてだった。しかも、五島から詳しい操作方法は教えてもらわなかった。それでも、とにかく3回も試射したのだが、それで会得したことが一つあった。1回目も2回目も弾倉に弾を1発だけ入れて撃ったが、遊底は後ろに引いた状態で元に戻らない。これが不思議だった。
「なんでかな」と疑問に思いながら、3回目のときに2発弾を込めて撃った。すると、1発目を撃ったときに遊底が元に戻った。弾がなくなったときには、遊底が後ろに引いたままの状態になることをしったのである。
午前7時半ごろ、ホテルに戻ると、妻がまだ起きて待っていた。高橋はドーナツとコーヒーを口にし、ベッドに横になった。大切な拳銃と弾の入った袋は枕元のサイドボードの上に置いた。
8日の午後1時半ごろ、高橋は目がさめた。力うどん、玉子丼などの出前を頼み、妻と食事した。それから、セカンドバッグの中から覚せい剤を取りだして水道の水で溶かし、注射器で左腕に注射した。物音といえば、BGMとクーラー。それに近くの米軍基地を離発着する航空機の音だけである。
覚せい剤を打った後、4畳半ほどの大きさの浴室に入り、浴槽にゆったりとつかった。
チェックアウトは午後4時だった。高橋が3回、先輩が1回の試し撃ちで、1発ずつ弾を発射し、残りは11発だ。高橋は改めて、弾を3発、弾倉に込めた。
弁護人がその理由を聞く。
──どうして3発込めたのか。
「(弾倉に)8発入るが、何発も詰めると弾倉のバネがだめになっちゃうかもしれないと思って」
高橋は拳銃、弾の入っている袋、覚せい剤などの入っているセカンドバッグを持って、妻より先に車庫に通じる階段を降りていった。警察に追われているのはわかっていた。しかし、このときはまったく無警戒であった。車庫に出るドアを開けて、車の運転席の横に歩いて行き、鍵穴にキーを差し込んだ。
(2021年11月18日まとめ・人名は仮名)