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法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件12

 全面否認するマールフィに対して、検察官も長時間質問した。マールフィは饒舌に答える。しかし、肝心な起訴事実に関連してくると、検察・警察を指弾したり、答えをはぐらかしたりして、質問と答えがかみあわない。
 2月8日、売上金1000万円を持ってこなかったロトフィを問い詰めた件についても、検察官がより正確に聞こうとすると、マールフィはまったく質問に関係ないことを話しだした。

 ──ロトフィは5カ月の利益1000万円ぐらいをとったのですか。
「私は、最初、薬物とオーバーステイで取り調べを受けました。それが、だんだん、自分たちの想像とかで、私に非常に不利益なことを与えようという質問をしています。公判の期日をむだに使って。想像だけです。もう一度、自分の言い分を話をさせてもらいたいと思います」
 ──私のほうが質問しているんですよ。
「私は調べを受け、どこからブツを得たかと聞かれ、それについては説明しています。だんだん、私にとって不利益な内容について質問されています。もっと、裁判長に詳しく自分の言い分を言いたいと思います」

 裁判長が、「この場では、検察官の質問に答えてください。黙秘権がありますから、答えたくなければ、答えなくてもいいです」というが、マールフィの話は止まらない。

「裁判官にお願いします。私が大きな組織にかかわっているような密売人として取り上げられていますが、違います。薬物以外にも、殺人とかいろいろな罪をなすりつけようとしています。薬物についてはいままでも説明しました。ここでの話を聞いていますと、国際的な非常に大きな密売人と見られています」
 ──1000万円の件ですが、700万円は許してやると決まったのですか。
「薬物に関しては、ここで100%完全なものを説明したいと思います。
 10年間、かつてイランは戦争をしてきました。国を守るため、危険に身を投じました。殺されたり、いろんな目にあってきました。日本にいるイラン人の90%は戦争に行き、傷ついた人たちです。自分の国のため、自分の面子のために戦いました。
 また、この10年間、お金のためにだけ殺しあった人たちもいます。それは薬物です。もう一つの問題、事件に直面しています。
 イランの北のほうには4つの州があります。そこでは、ペルシャ語ではなく、トルコ語を話します。私は6歳のとき、テヘランに移住し、テヘランで生活しましたが、家庭内ではトルコ語を話しました。学校に行って、ペルシャ語を学びました。アガもトルコ系の出身で、お互いに親しい気分になりました。
 トルコの民族は、イランの中でもいろいろな共通性を持ち、助け合わないといけないという気持ちが芽生えました。イラン人が今回1人殺されました。ここで、お金を得るために、いろんなことをやっています。お金を得ようとすれば、どんな方法ででも、いっぱい得ようと思うのが当然です。
 今回、私は薬物以外にも別の仕事を持っていました。そのほかにも、人にお金を貸す商売もしていました。薬物については、きちんと説明しました。
 日本で、薬物の密売をやっている人たちは、アガと同じように、殺されても仕方がありません」
 ──ロトフィの1000万のうち700万を許すことにしたのは、なぜですか。
「警察に対して取引を期待せず、私の身を危険にさらすのに等しいのですが、薬物については全部話をしました。どこで、どこの町で、どのようなグループがあるかということです」
 ──警察の取り調べについて聞いているのではありません。700万を許してやるといったのは、なぜかと聞いているのです。
「客つきの電話で700万から800万と話しましたが、だれも信用しません。警察は、『冗談みたいなことをいうな』といいましたが、『冗談ではありません。1本1000万円とかでも取引されています』といいました。
 密売に関係している名前なども全部、警察に明らかにしました。電話で700万の収入を得ることができます。だんだん、私のいっていることを理解してくれました」
 ──700万許してやるといったことについて聞いているんですよ。
「調べのとき、有名なイラン人の薬物密売グループについて話しました。かれらは、渋谷、新宿、六本木などで密売していましたが、3カ月後、ラジオニュースで逮捕されたことを聞きました。かれらは4000万ぐらい海外に送金していたのですが、それを聞いてうれしかったです」

 このような調子で供述し、傍聴席に戻ったマールフィの顔を見ると、白い肌が紅潮していた。全面否認だけに、陪席裁判官も、かなり細かく質問した。中野のマンションで発見されたナイフとスタンガンについても聞く。

 ──ナイフ、スタンガンを使ったことはありますか。
「ナイフを使ったことはありますが、スタンガンは使っていません」

 ナイフは、3月25日、サリムの家に行ったとき、持っていったと述べた。
 イラン時代から親しいマレキも含め、関係者が全員マールフィに不利な供述をしている。

 ──マレキも被告に不利な供述をしていますが、そのことに思い当たることはありますか。
「かれが2回目に日本に入国したのは95年です。96年に、『仕事をしたい』と電話をかけてきました。私は、『妻もこどももいるだろう』と断りました。なぜ、そのような供述をしたのかはわかりません」
 ──マレキには、薬物の仕事をさせていないということですか。
「はい」
 ──マレキに、ディスコの仕事をさせるつもりだったのですか。
「私の持っていたディスコは、池袋にあって、アマンダという女性と共同でやっていました。マレキにディスコで働かないかという話をしていました」

 続いて、裁判長も質問する。

──検察庁の調べでは、だれかがスーツケースを盗み出し、アガを入れ、隣のマンションに放置したかもしれないと述べていますが。
「そのようなことではありません。そのときの質問は、『だれがこんなことをしたと思う』と聞かれ、『だれにも可能性がある』と答えました」
 ──あなたが、アガを殺していないのですね。
「はい。やっていません」
 ──あなた以外のだれかが、スーツケースを盗み出し、隣のマンションに放置した可能性があると思っているのですか。
「よくわかりませんが、そういう可能性が高いと思います」
 ──だれが、いつしたと推測しているのですか。
「私にはよくわかりません」

 検察官は、「殺人、死体遺棄については、全面否認。大麻所持についても、あったことは認めるが、それはアンジのものと否認している。しかし、アンジらの供述は信用できる。被告の弁解は信用できない」
「スーツケースがなくなったと思っていたと被告はいうが、部屋はワンフロアの住居で、わからなかったはずはない。きわめて不自然だ。手錠は発見されなかったが、手錠を使用したという関係者の供述は信用できる。苦痛にゆがんだ被害者の顔、薬物密売上のトラブルから殺害し、被告には改悛の情もない。アンジらを嘘つき呼ばわりもしている」などとして、懲役15年、大麻没収を求刑した。
 一方、この事件では、最初、当番弁護士が、そのまま私選弁護人となるが、被告と信頼関係が築けず、二番手、三番手も同様で、現在は四番手で、2人の弁護人が私選でついた。
「被告が殺害する理由はない」「マレキの調書では、3月31日、アガの行動が不審だった。3人の男が、被害者に文句をいっていた。被害者はこわがっていた。被害者が仕入れ代金を払っていないことを怒っていた。被害者はサリムの客を盗み、険悪な仲になっていた。サリムの覚せい剤グループが強い殺害動機を持っている」。
 また、関係者の証言、供述は信用できないなどと述べた。死体遺棄についても、「被告が犯人とすれば、隣のマンションに捨てたことは、発見されたとき、被告が疑われるのは当然。ササンらに死体処理をさせることもできた。遠方に捨てに行くのは簡単で自動車もある」。大麻はアンジのものである。
 結論として、「いずれも、該当する事実は存在しない。したがって、被告は、いずれも無罪」と最終弁論で述べた。
 マールフィの最終陳述だが、「法廷で申し上げたいことを書面にしてきた。陳述する機会を与えてください」と述べる。被告人質問の際の陳述はかなり時間がかかった。裁判長は日本語に翻訳してもらい、それを書面で見ることにするとして、「書面以外に、とくにいっておきたいことがあれば」と促す。「とくに書面以外に付け加えることはありません」と述べて、結審する。

 判決は、99年5月7日、言い渡された。客観的事実を踏まえたうえで、マールフィの否認供述と関係者の調書などを比較検討し、「アンジの供述は十分信用できる。被告は不自然、不合理な弁解を繰り返している」「きわめて機密性の高いスーツケースに、ふたで密閉し、殺意をもってやったと認定できる。無罪の主張は理由がない」。
 また、大麻所持にしても、被告の供述は不自然、不合理なもので信用できない。「薬物密売の縄張り破りに対し、その約束を破ったのでやったという動機にくむべき点はない。まことに陰湿、残忍な殺人方法。苦悶ののちに絶命した。異国の地で、30歳で、非業の死を迎えた。被告は反省の態度がうかがえない」。
 このような理由で、起訴事実を全面的に認め、主文は、「懲役13年、未決算入550日、大麻没収」であった。
 被告は控訴したが、初公判を待たずに、控訴を取り下げた。

 79年、イランでは、それまでの王政にかわり、イスラム革命政府が誕生した。以来、薬物犯罪に対して、厳しい取り締まりを実施している。
“ゾルファガル作戦”と称する東京拘置所の脱走事件後、「イラン、麻薬撲滅へ苦戦」という長文の記事が、『朝日新聞』に掲載された。

「『黄金の三日月地帯』と呼ばれる世界有数の麻薬採取・密造地帯が、イラン、アフガニスタン、パキスタンの国境付近にある。ここから欧州に密輸ルートが延び、途中のイラン国内に毎年大量のアヘンやヘロインなどが流れ込んでいる。最近では、同国経由で日本への密輸も目立っているという。79年のイスラム革命以降、イラン政府は麻薬撲滅を『聖戦』(ジハード)と位置づけ、厳罰主義で臨んでいる」(96年7月3日付夕刊)

 このような書き出しではじまる記事によると、イランでは、麻薬常用者が推定約50万人。刑務所収容者のうち、半数の約5万人が麻薬犯罪に関連した者だという。それでも、革命前よりも常用者は三分の一に減ったと、当局者は述べている。しかし、根絶への道は厳しく、日本への密輸も、イラン人の好物であるスイカの種をくり抜いて、アヘンを詰め、日本にいるイラン人あてに航空便で送ろうとして発覚した事件、缶詰に隠して日本行の飛行機に乗ろうとして逮捕された事件などが発生する。
 ジハードとなれば、厳罰は必至である。89年に制定された薬物取締法には、けしや大麻を不法に栽培した者の最高刑は死刑であり、「第4条 大麻、アヘンの密輸、製造、密売」にも、その量が5キロを超えると死刑、家族用の生活資産を除く財産没収だ。「第8条 ヘロイン、モルヒネ、コカイン、ハシシなどの密輸、製造、密売、所持、隠匿、携行」となると、さらに刑は重くなる。
 たとえば、1グラムを超え、4グラム以下は、2年以上5年以下の投獄、30回以上70回以下の鞭打ち、罰金。4グラムを超え15グラム以下は、3年以上8年以下の投獄、30回以上74回以下の鞭打ち、罰金。15グラムを超え30グラム以下は、10年以上15年以下の投獄、30回以上74回以下の鞭打ち、罰金。そして、30グラムを超えると死刑、家族用生活資産を除く財産没収である。
 イランは、中国と並ぶ“死刑大国”だ。アムネスティ・インターナショナルの資料によると、イスラム革命後2年間で459人、89年には、年間1000人以上など、16年間で薬物犯罪者2900人以上を絞首刑に処した。
 日本で7カ月間に約1億8000万円以上の薬物密売を行い、懲役18年の判決を受けたイラン人は、改悛の情を示すため、脳死からの臓器提供のドナー登録をしたというが、イランは峻厳である。(了)

(2021年11月2日まとめ・人名は仮名)


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