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法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件8

 アスカは送金業を行っていたとも述べたが、許可なく送金業を営むことは“地下銀行”と呼ばれ、違法である。
 1998年10月8日午前8時過ぎには、横浜のJR根岸線関内駅前にある横浜スタジアムの周辺に入場を待つ人たちの列が並んでいた。地元の横浜ベイスターズが、38年ぶりのセリーグ優勝までマジック1とし、この日、甲子園での阪神戦をスタジアムの大画面で見ようというのだ。
 横浜地方裁判所は、スタジアムから2区画離れた場所にあるのだが、庁舎新築のため、スタジアムの道路をはさんだ向かい側に刑事法廷の仮庁舎がある。
 仮庁舎のため、法廷も狭い。1階の101号法廷の傍聴席は、長いすを横に1列並べただけで、12人も入れば満員である。午前9時50分から始まった公判の傍聴者は、イラン人風の若い男性が1人、黒い髪、少し褐色がかった顔の女性が1人いる。ほかに、入国管理局の制服を着た男性が3人だ。
 2人の被告が入廷する。イラン人のホセイン被告(36歳)とダウッド被告(40歳)。2人を前に並ばせて、氏名を確認してから着席させ、裁判官が判決を言い渡す。
 通常は、主文を先に述べて、その後に判決理由と続く。主文を後回しにするのは、死刑判決の場合といわれる。裁判官は主文を後回しにしたのである。
 簡単に判決理由を述べた後、主文を言い渡した。主文は、両被告とも、懲役2年6月、罰金100万円。罰金を払えないときには、1日5000円の割合で労役場に留置するというもの。ただし、5年間の執行猶予がついた。
 この裁判官の法廷を、前に傍聴したことがあるが、死刑判決でもないのに主文を後回しにすることもあった。被告に対する一種のショック療法かもしれない。
 執行猶予だから、直ちに強制送還手続に入る。傍聴席にいた入管職員が傍聴席から被告のところに近寄る。ダウッドは入管職員と一緒にすたすたと歩き出したが、ホセインのほうは、側にいる刑務官のほうに両手をあわせて前に出し、いつものように手錠をかけてもらおうとする。それを見て、刑務官が、手錠はいいという意味で、頭をふった。
 初めての“イラン地下銀行事件”で摘発された2人は、無許可営業の銀行法違反と入管法の資格外就労で逮捕、起訴され、98年7月から裁判が始まった。

 ホセインは、かつて日本に来たことがあり、不法残留で、93年3月、東京地裁で、懲役10月執行猶予2年の判決を受け、強制退去となった。
 93年7月、日本で知り合った英語学校教師のアメリカ人女性とトルコのイスタンブールで結婚式をあげる。執行猶予中の94年6月、「妻と一緒に生活するため」、妻の働く日本に家族滞在の資格で入国した。
 法廷で証言した妻は、金髪でスレンダーな長身。「大変まじめで責任感のある人です。私のためにごはんをつくったり、家事をしていました。レストランで働こうとしたが断られ、フィットネスクラブでも断られ、仕事を一生懸命探したが、ありませんでした」と述べた。
 一方、ダウッドも、一度来日経験があった。91年のことだ。3年ほど経過したとき、警察に摘発された。95年1月、東京地裁で懲役1年執行猶予3年の判決を受け、強制退去となった。
 その年の9月、フィリピン人女性と、フィリピンで結婚式をあげ、フィリピンに住む。この女性は、88年ごろ来日し、いろいろな仕事をしていたが、「外国人労働者の支援組織で働いていたとき、同僚のイラン人に頼まれ、拘置所に荷物をもっていったときに、彼としりあいました」と証言した。ダウッドが逮捕されたときのことだ。
 証言時も、ダウッドの妻は、同じ外国人労働者支援組織に通訳として勤めていた。判決のとき、傍聴席にいた女性だ。
 弁護人が、ダウッドの被告人質問のとき、唐突な感じで、「再入国のため、フィリピン女性と偽装結婚したのではないか」と尋ねた。これに対し、ダウッドは否定し、イラン人とフィリピン人の結婚はよくあることだと述べた。
 ダウッドも、ホセインと同じく、日本で働く妻と一緒に暮らすため、執行猶予中の96年2月、家族滞在資格で日本に再入国した。

 ホセインは、95年11月ごろ、東京・渋谷駅から歩いて数分のマンションの4階の一室で、アリアショップと名づけた雑貨店をはじめた。この店は、イラン人を対象に、ビデオ、CD、食品、衣類などを扱う。
 一応、ホセインが経営者となっているが、妻の証言によると、「彼の友達が資金をもっていて、店を出したかったんですが、そのためのビザをもっていなかったので、ホセインの名前で店を出しました。けれど、彼はずっと店にいたのではなく、病気で病院や医者にいくので、1週間に数時間しか店にはいませんでした」という。
 店では、ホセインの叔父のイラン人も働いていたが、96年7月ごろから、ダウッドも働くようになる。
 実は、家族滞在ビザでは、1年間の長期滞在を認められているものの、フルに働くことはできない。そこで、ホセインもダウッドも、入管法違反の資格外就労として、まず、裁かれた。
 ホセインは、「ビザの種類について詳しい知識はなかった」というが、88年に東京都内の私立大学に交換留学生として来日以来、日本の事情には詳しいはずのホセインの妻は、家族滞在の在留資格では、「フルに働けないのは知っていました。しかし、就学ビザでも一定の時間は働くことができたので、家族ビザも同じぐらいは働けるという感覚で、あまり深く考えませんでした」と弁明した。
 ダウッドは、「家族ビザで働けないことはわからなかった」と主張し、妻も、「家族ビザで働けないことは知りません」と弁解した。

 アリアショップでは、商品の販売に加え、ダウッドが加わった96年7月ごろから、送金業務を行うようになる。ダウッドは否定しているが、警察の調べでは、ダウッドは、かつて不法残留で逮捕されたとき、送金業務をやっていたという。
 当時、彼の銀行口座を調べたところ、1年間に2億7000万円の入金があり、2億6000万円の出金があった。94年1月だけを見ても、3600万円入金し、3600万円が出ている。また、強制退去後、フィリピンに滞在していたとき、為替のディーラーをやっていたと見ている。
 98年9月1日、弁護人の被告人質問に対し、ダウッドは次のように供述した。

 ──送金の客はどうして集めたのですか。
「一つはイラン人向け雑誌での広告です。それと、日本のイラン人社会でのクチコミ。また、店の対応で自然に集まってきます」
 ──同業の中には、お金を持ち逃げした人もいるというが、あなたがたは信用があるのですか。
「はい」
 ──信用があった理由は、アリアショップという店を構えていたからですか。
「そのとおりです。ほかにも業者は50軒ほどあるが、客は対応のいい店にきます」
 ──イラン人向けのショップが50軒あるといったが、日本全国ということですか。
「はい」
 ──東京では。
「大体20です」
 ──どの店でも、送金はやっていたのですか。
「やっていました。現在でもやっています。差し入れられたペルシャ語の新聞を見ても、やっていることがわかります」
 ──いまでも送金できるようになっているのですか。
「はい」

 客からアリアショップに送金依頼があると、日本の都市銀行の現金売り相場で、円をドルに換算し、当日の、イラン現地のヤミ相場で、ドルを現地通貨のリアルに換算する。
 それを、イランにいる仲間に、ファックスなどで連絡し、イランの仲間が、現地通貨で、イラン国内の受取人に届ける。
 アリアショップに集まる現金は、ホセイン名義で日本からアラブ首長国連邦など第三国に送金することもあった。
 ホセインやダウッドは、送金業務に関して、イランにいる仲間が主犯格で、日本では店で働いていたホセインの叔父が中心であると強調した。弁護側の主張によれば、このようなシステムの背景には、イランの国内事情があるそうだ。
 つまり、イランは外貨規制があり、イラン国内の商社の決済のため、商社がイランの仲間に現地通貨で支払い、その分は、日本から商社の決済相手のために第三国へ送金する。このようなイランの国内事情に加え、送金客にとっては、1ドルあたり1円80銭の手数料をとられるが、短時間で送金できるという利点があったというのである。

 2人が、アリアショップで送金業務を行っている間、相次いで、外国人のいわゆる地下銀行が摘発された。
 97年6月、神奈川県警が、全国で初めて中国地下銀行を摘発した。密入国した2人の中国人が、1年数カ月の間に約3000人から依頼を受け、約126億円を不正に中国に送金した。
 その方法は、福建省にいる仲間と連絡をとり、送金依頼があると、その金額を連絡し、仲間の手元にある金を、送金先に届ける。0.5%の手数料がかかるため、依頼者は、送金額と手数料を合法滞在者名義の口座に振り込む。そこから、香港の外資系銀行に送金し、福建省の仲間の元にプールしておく。

「依頼人の大半が不法滞在者で、身元確認を求められる銀行送金ができないことや、手数料は割高になるものの、正規ルートより速く送金できるとして、利用者が増えていたという」(『読売新聞』97年6月3日付朝刊)

(2021年11月1日まとめ・人名は仮名)



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