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犯罪はどうしておこるの?こどもてつがく高学年

こどもてつがく高学年
令和 4年12月11日 飯山総合学習センター
文 成戸洋介

哲学とは「知を愛する」ということです。
とはいっても特別難しいことではなく、例えば、
なんで勉強しなきゃいけないんだろう?
なんで友達同士で喧嘩するんだろう?
と考えたことがあるなら、それは哲学的に考えたことがあるということです。
今回のこどもてつがくでは、そういった問いを自分たちで考える練習として、話しあってみたい問いを子どもたち自身に挙げてもらいました。

「どうして宿題はあるの?」
「なぜ人には好ききらいがあるのだろう?」
「はんざいはどうしておこるの?」
「にがてなものがなんですきになるのだろう?」
「なぜかんじをおぼえなきゃいけないのか?」
「わるものは本当にわるものなのか?」
「なぜさんせいうはふるの?」
「なぜたいようがあるのか?」
「なぜかざんがあるのか?」

子どもたちの問いの中から「はんざいはどうしておこるの?」を今日のテーマとして選びました。
それでは、本日のこどもてつがくスタートです。

はんざいはどうしておこるの?

どうして犯罪は起こるのでしょうか?
まずは、子どもたちの意見を直接、聞いてみることにします。
なかなか難しい問いですが、少しずつ意見が出てきます。

「はんざいをすると得する人がいるから」
「見つからなかったらはんざいをしてもいいんじゃないって考える人がいるから」
そこで、ファシリテーターが子どもたちに問いかけます。
「見つからなかったら。犯罪をしてもいいと思う人?」

問いに対して、手を挙げるお子さんは一人もいませんでした。

『人に見つかるかどうかにかかわらず、犯罪は絶対に許されるものではない』という子どもたちの強い意思が伝わってきました。

そんな中、一人のお子さんがぽつり。
「本当のはんざいって何かな…?」

はんざいってどういうこと?

ここから、対話の前提となる「そもそも犯罪とは何か?」についての話が進みます。

「訳もなく人を殺すこと」
「訳があっても人は殺してはダメだし、万引きもしたらだめだと思う。ルールがあるから、ルールを破るのがはんざいだと思う」
「人の迷惑になることがはんざいだと思う」

色々な犯罪についての意見が出ましたが、ここで
「何もしていない人を叩いたら、はんざいだけど、悪いことをした人を叩いてもはんざいじゃないと思う」という意見が出ました。

悪いことをした人は叩かれても仕方ない?

ここで、改めてファシリテーターが問いかけます。
「悪いことをしたら叩かれても仕方がないと思う人?」

―子どもたちは誰も手を挙げません。

先ほど、「悪いことをした人を叩いてもはんざいじゃないと思う」と発言したお子さんも自ら進んで手を挙げることはありませんでした。
『犯罪は絶対に許されるものではない』いう考えを持ちながらも、一方で罪を犯してしまった後のことまでは考えがなかなかまとまらない様子でした。

はんざいをするのはお金がないから?

再び、対話は最初の問いである「はんざいはどうしておこるの?」を子どもたちに尋ねます。

すると、子どもたちからは
「はんざいをしてもいいと思っている人がいるから」
「はんざいをする人ははんざい人の近くにいるからはんざいをする。」
といったような、自分たちとは異なる「犯罪をしてもいいと考える人たち」の存在についての意見が出てきました。

また、
「貧乏な人がお金ないから万引きをして、そしてお金持ちの人は貧乏な人がやってるんだから、まあいっかって思ってお金持ちの人も悪いことする。」
「お金がないからはんざいは起こると思う」
というような貧富の差についての意見も出てきました。
(最初と同じ問いでも対話がある程度進むと、こういった新たな意見が出てくるところが哲学対話の面白い部分ですね。)

まとめの時間 ~はんざいを減らすためにできることは?~

いろいろな意見が出てきたところで、ファシリテーターが再び子どもたちに問いかけます。

「例えば、私(=ファシリテーター)は飲み物を買うお金もなくて、のどがカラカラの時に、隣りの○○さんの水筒をこっそりとって飲んでしまいました。これはダメなこと?」

「ダメ!」

「じゃあ、私がそういうことをしなくなるためにはどうしたらいいかな?」

「お金がないからといってはんざいをしてもいいということじゃないから、罰を受けたらいい」
「勝手に飲んだことについて説教を受けたらいい」

ここでファシリテーターが重ねて問いかけます。
「私が○○さんの水筒で飲み物をのまないと、脱水症状で倒れてしまうかもしれない時は?」

「それでもダメ!」

すると、一人のお子さんから別の答えが出てきます。
「理由を言って、○○さんに水筒の水を飲んでもいいですか?と聞いて、いいと言われたら飲むようにする。」

ここまでの対話では、犯罪はダメなこと、罪を犯した人は一律に罰を受けるべきという意見で子どもたちは一貫していましたが、
ここで初めて犯罪を未然に防ぐアイディアを出してくれました。

そこでファシリテーターからは
「犯罪を減らすためには、罰や説教を受けさせたらいいというのは確かにそうかもしれないね。でも、罰や説教を受けさせるってすごく悲しい、つらいイメージがない?それ以外にも、もっと優しい、温かい別の方法はないかな?」と子どもたちへの最後の問いかけを行いました。

その後は、まとめとして今日の感想を子どもたちに発表してもらい、終了となりました。

保護者の皆様へ

今回のこどもてつがくでは、テーマとなる問いの「はんざいはどうしておこるの?」から対話が始まりましたが、途中から、はんざいの定義について考える対話に変化し、最後は、はんざいを防ぐための方法についての対話へと変わっていきました。

このように対話の内容は様々に変化しましたが、子どもたちは「罪を犯した人は一律に罰を受けるべき」という主張を一貫して述べてくれました。

我々、大人からすると、なかなかに厳しい意見だな…と感じるかもしれませんが、これが子どもたちの素直な意見な様です。

こういった子どもたちの道徳観の発達について心理学者のピアジェは他律的道徳観と自律的道徳観の二つの発達段階に分けて考えています。

他律的道徳観の段階にある子どもは、他人のつくったルールや法律に従うことが道徳で、それらのルールは絶対に変えられないものだと思っています。そして、ルールを破ると厳しい罰を受けなければならないと信じています。(中略)他律的道徳観の特徴のひとつは、行動の意図よりも結果を重視して善悪を判断することです。

https://kodomo-manabi-labo.net/piaget-psychology

自律的道徳観の段階にいる子どもの道徳観は、自分自身のなかにあるルールに左右されるようになります。自律的道徳観の段階にいる子どもは、絶対的な善悪は存在しないことを理解し、他人の視点からも考えられるようになります。

https://kodomo-manabi-labo.net/piaget-psychology

先述したように、今回のこどもてつがくでは「どういう事情があろうとも、罪を犯した人は罰せられなければならない」という主張、
すなわち、他律的道徳観に基づいた意見を子どもたちは一貫して述べてくれました。

言うまでもなく、法律やルールを用いて行動を制限することは子どもたちが学校などの集団生活を送る上では、非常に大切なことです。

ですが、こどもてつがくでは、そこで思考を止めてしまうのではなく、そもそもなぜそのような行動をしてしまうのか?、その行動を防ぐための手段はないのか?ということを考えることも重要だと考えます。
なぜなら、そのような思考のトレーニングを通じて、他者視点から物事を考える力、ルール・前提を改めて考え直す力を養ってもらいたいと我々は考えているからです。

価値観が多様化し、これまでの前提・ルールが通用しなくなる時代が訪れています。
そのような時代で役立つ力を養う機会を子どもたちと一緒にこれからも作っていきたいと思います。

以上

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