「無理しない」と「頑張る」は両立可能か?
文:杉原あやの
2024年9月21日 喫茶Tetugakuyaにて 哲学対話を行いました。
中学3年生から大人までの9名。
簡単な自己紹介のあとで、考えたい問いを出し合いました。
議論のテーマは【「無理をしない」と「頑張る」は両立可能か?】に決定!!
参加者たちは、それぞれの経験や考えを共有し、以下の点について議論を深めました。
* 「無理」と「頑張る」の定義
* 両者の関係性(両立するのか、それとも対立するのか)
* 具体的な事例(仕事、人間関係、目標達成など)における両者の現れ方
* 限界、努力、目標設定との関連性
* 文化や社会的な背景との関係性
* 身体的な限界と精神的な限界
* 個人の目標と社会的な期待
* ポジティブな無理とネガティブな無理
* 頑張ることの目的と意味
・・・・などなど。
議論から得られた主な気づきと感想
無理しないで頑張ることってできたらいいなぁ。
潰れてしまうと、復活するのに時間もかかるし、周りにも迷惑をかけてしまう。でも、適度な挑戦と適度な負荷を自分にかけながら、更に成長するということもある。どの程度が適度な負荷なのか、自分の限界を把握するのは、簡単なことじゃなさそう・・・。
自分自身の身体と心に向き合うこと、また周囲の状況(期待や要請)を把握することなども必要になりそう。いやぁ・・・、これは簡単じゃないなぁ。
仮にそれが自己分析できたりしたとしても、自分を取り巻く人との人間関係や情感があり、NOと言えない空気もあるかもしれない。
だから、きっと世の中にはコンサルという仕事があるんじゃないか、なんて思いました。
また、「頑張る」と「無理」が解釈によって変わってくるのかもしれないとも思いました。
それは、参加者のこんな意見からです。
◉【頑張る】ー【いいことがある】ー【頑張った(と思う)】
◉【頑張る】ー【嫌なことが起こる】ー【自分は無理してたんだ(と思う)】
頑張ってなにかいいことが起こると、「いやあ、我ながら頑張ったなぁ!」と思うのに、嫌なことが起こると「自分は無理してたんだ。」と思う。もしかすると、起こってきた物事は偶然による要素も大きいかもしれないけれど、そんなふうに解釈が変わることもありそう…?
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